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朝鮮戦争'停戦70年'を支える『板門店体制』…平和をどうたぐり寄せるか

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
停戦協定に署名する国連軍代表(左)と北朝鮮/中国人民志願軍代表。韓国政府所蔵。

27日、朝鮮戦争は停戦70周年を迎えた。北朝鮮は中国・ロシアの代表団と共に「戦勝」を祝い、韓国は参戦国の首脳と共に「連帯」を謳い上げた。それぞれの立場はあるにせよ、確かなことは今なお朝鮮戦争は終わっていないということだ。過去70年をどう振り返るのか。『板門店体制』という視点を鮮烈に提案した気鋭の研究者に聞いた。(徐台教)

●守られない『停戦協定』

...署名者たちは双方に莫大な苦痛と流血を招いたコリアでの衝突を停止させるために、互いに最終的な平和的な解決が達成されるまで、コリアでの敵対行為と一切の武力行為の完全な停止を保障する停戦を確立する目的で...

(停戦協定より)

53年7月27日朝10時、板門店で朝鮮戦争の停戦が実現した。50年6月25日に朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の「南侵」により朝鮮戦争が始まって以降、3年1か月ぶりに朝鮮半島は静寂を取り戻した。

停戦協定の第4条60項では「双方は3か月以内に朝鮮半島問題の平和的な解決問題を協議することを建議する」と取り決められていた。

この延長線上に54年4月から7月にかけて米ソ中や南北を含む18か国参加の下でジュネーブ国際会談が行われ、朝鮮半島問題がインドシナ半島問題と共に主要議題として扱われた。

会談では朝鮮半島の統一などをめぐり五十余日間も議論が行われたが、統一選挙の方法や、中国軍・国連軍の撤退時期をめぐる意見の相違が大きく合意には至らなかった。

その後、こうした会談は一度も開かれないまま今に至る。戦争は完全に終わらず、南北は今なお軍事境界線を挟みにらみ合いを続けている。

なぜ朝鮮戦争は終わらず、朝鮮半島に平和は訪れないのか。

2015年に大著『板門店体制の起源(未邦訳)』を通じ、70年にわたる停戦状態を世界ではじめて『板門店体制』と名付け、その性質を捉え直したのがソウル大学平和統一研究所の金学載(キム・ハクチェ)教授だ。今月20日、同研究院を訪れ話を聞いた。

金学載:1976年生。ソウル大学統一平和研究院HK教授。社会学博士(ソウル大学)。13年から16年までベルリン自由大学専任研究員。16年から現職。

金学載(キム・ハクチェ)ソウル大学統一平和研究院HK教授。今月20日、筆者撮影。
金学載(キム・ハクチェ)ソウル大学統一平和研究院HK教授。今月20日、筆者撮影。

——『板門店体制』という言葉をはじめて知った時に、衝撃を受けました。ひと言で定義するとどんなものと言えますか。

『板門店体制』とは、53年7月27日の停戦協定の結果つくられた、韓国戦争の戦後処理体制であり一種の平和体制です。特徴としては低い水準の消極的な平和(※)であることが挙げられます。そして、その実情としては米国とロシア・中国の間の均衡状態といえます。

(※消極的な平和:ノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルトゥング博士が定義したもので「戦争のない状態」と置き換えられる。不平等などの構造的な暴力がない「積極的な平和」と対比される)

なお金学載は著書と関連論文の中で、板門店体制の5つの特徴を以下のように整理している。

(1)国家間の平和条約による現実主義的な権力均衡体制ではなく、流動的で臨時的な軍事停戦体制。停戦協定の争点は純粋に軍事的な問題にだけ限定されていた。

(2)国連のレジーム(体制)の下位にある地域レジームとして見るべき。当時の国連の決議案は中国と北朝鮮の主権を認めておらず、中国と北韓に対し処罰的で主権を認めない規範たちに基づいている。

(3)カント的な意味の世界連邦でもNATOのような集団安保体制でもなく、米国とソ連の両者防衛協定に基づく特殊な軍事同盟体制と結合している。

(4)米国・ソ連からの軍事経済的な援助や核の傘など新たな補充的な資源で支援されている。

(5)南北朝鮮が積極的に参加し主導することをせず、米中が全体の過程を主導した。

——一般的な「停戦状態」と呼ぶことと、あえて『板門店体制』と呼ぶことの違いには何がありますか。

「停戦協定」というのはまず、戦争を止める合意を指すもので、イスラエルとパレスチナ、インドとパキスタンの間のものなど、世界中に多くの事例があります。

『板門店体制』と命名する長所は大きくないかもしれませんが、ウィーン体制やベルサイユ体制、ジュネーブ体制など他の平和体制や秩序と比較し、特徴を確認しようとする試みによるものです。

——『板門店体制』が変わりそうだった時期としては、いつ頃を挙げられるでしょうか。

72年の『7.4南北共同声明』に代表されるいわゆる「デタント(緊張緩和)」の時期、さらにソ連崩壊、冷戦終結と東欧の改革開放につながった1987年、88年、91年などの脱冷戦の時期、00年の南北首脳会談、03年から05年までの6者協議、18年の南北首脳会談などがありました。

様々な指標を見る時に「脱冷戦」が進んだ1987年から2008年の間までは、米国・日本・韓国が経済的にも、政治外交的にも勝利した状態で、東アジアで交流協力、経済統合が進んだ時期でした。

——これまで70年間、『板門店体制』を維持してきた最も大きい力はなんでしょうか。

『板門店体制』とは冷戦的な利害関係の下、米国や中国など外部の力により作られた臨時的な妥協としての軍事停戦体制です。そしてその特徴としては「ロック・イン・エフェクト」があります。

ある制度が成立し、特定の補償構造を作りだすと、これに依存し利益を得る組織が発達し、制度と組織の間に共生的な関係が作られその制度を持続させる効果が生まれるというものです。

こうした関係はさらに、自己強化的な性向を帯び、依存すればするほど多くの利益を得ることになります。これには分断体制論(※)や敵対的共生論(※)などの説明が当てはまります。

こうした要因に加え、「安全保障のジレンマ(※)」の問題と中国の浮上による米国—中国・ロシア間の「周辺国間の力の均衡」が外部からの変化を難しくしていると見ます。

※分断体制論:南北分断が長く続く間に、南北社会の内部に分断を再生産する内部要因が蓄積されたというもの。分断体制の主要な葛藤は、南と北のイデオロギー的、政治的対立ではなく「南北にまたがる分断体制の既得権勢力と、南北の大多数の住民との利害関係の対立である」とした。91年に韓国の学者・白楽晴が提唱した。

※敵対的共生論:南北関係が悪化する毎に南北両体制の内部で強硬な勢力の発言力と影響力が高まるというもの。韓国の社会学者・韓完相が提唱した。

※安全保障のジレンマ:ある国家が安全保障の不安から軍備を増強する場合、相手国も軍備を増強し、これが繰り返されることで結果的に互いに安全保障が悪化するというジレンマ。

停戦協定の交渉を待つ間、北朝鮮の兵士(中央)と米軍兵士(両隣)が米『タイム』誌を読んでいる。51年の7月にされたもの。韓国国史編纂委員会所蔵。
停戦協定の交渉を待つ間、北朝鮮の兵士(中央)と米軍兵士(両隣)が米『タイム』誌を読んでいる。51年の7月にされたもの。韓国国史編纂委員会所蔵。

——北朝鮮の核開発も「ロック・イン・エフェクト」の一つとして説明できるのでしょうか。

そうです。北朝鮮が核開発をしたことで、東北アジアの「安全保障のジレンマ」の状況が固着化し、板門店体制の持続に影響を与えています。

——東アジアを見ると、日米韓・朝中露という陣営間の対立が深まる様相です。

今、東アジアでの力の均衡が朝鮮半島の真ん中にあります。脱冷戦の時期には、米国が冷戦で勝ったため「これ以上の冷戦はない」という状況が生まれ、東欧などでは改革開放と陣営間の修交が続きました。

だが今は中国が浮上しており、力の均衡の中で今後、中国がどう変わるか分からない状況です。周辺に友好的なのか、朝鮮半島の統一に友好的なのか、南北韓が民主主義市場経済に統一されるときに、中国がそれを受け入れるのかについて確認できない状態です。

そして大部分は中国がそれを望まないと思っています。米国と韓国、日本が支持する民主主義市場経済に北朝鮮が編入されることを好まない。

こんな状況で均衡状態よりも良い制度や合意にどんなものがあるのかを誰も体系的に提示できないため、力の均衡状態がこの状況を維持していくでしょう。

——『板門店体制』を変化させる原動力の一つとして、論文では「社会的平和の水準を高めること」を挙げています。これはどういうことでしょうか。

『板門店体制』に関わる国家、特に民主主義国家の内部で、社会的な格差や差別の問題が減るということです。

政府としては、外交政策や統一政策を長期的に推進することに対する支持を得る基盤である社会経済的な条件が、ある程度揃わなければならないということです。

社会経済的な条件が両極化する場合に政治も両極化します。政府の経済政策に対する賛成と反対が社会の社会経済的な条件と相まって政治的な立場の差として表れます。すべての民主主義国家でそのような傾向があります。

つまり、社会的平和というのは、国内における様々な社会的・経済的・政治的な条件が分断され、国際協力や外部に対する寛容や包容が弱まる部分が最小化してこそ、自由主義国際秩序や周辺国家との平和に向かう長期的な土台が作られるということです。

社会的な平等の水準が高いほど外国に支援も多く行い、国際機構に参加もし、周辺国との関係も平和な姿になります。

金学載教授の主著『板門店体制の起源』(2015、フマニタス)。研究者の絶賛を浴びた。筆者撮影。
金学載教授の主著『板門店体制の起源』(2015、フマニタス)。研究者の絶賛を浴びた。筆者撮影。

——韓国社会は『ヘル朝鮮』と呼ばれるほど厳しい社会状況の中にいます。

韓国の役割はとても重要です。しかし一方では韓国社会が抱える社会経済的な問題はあまりにも大きいです。例えば学齢年齢が今後10年間で10万人以上減るといいます。

社会の両極化、政治の両極化が進む中で不平等などの社会内部の問題解決を優先しない限り、どんな国際関係の変化についても国内的に合意できないでしょう。冒険的なことを推進できない状況にあるということです。

——今後、『板門店体制』をめぐってどのような変化が起こると考えますか。

社会的な平和を東アジアの次元で考えると、北朝鮮や中国と、韓国そして日本との間の所得水準の格差があまりにも高い状況です。

韓国社会内部だけでなく、東アジアの水準での社会的経済的な格差が減るときに国家の関係がはるかに楽になるでしょう。

この差が縮まる時に関係がより平和で往来が可能になる状況になるのではないか。そんな時期が短ければ5年、長くとも10年から20年の間に訪れると見ています。

中国がアジアでの新たな均衡を受け入れる場合、例えば米国と中国・ロシアとの三角協定に韓国と日本やQUAD(日米豪印の外交・安保枠組み)のような別のフォーマットでの核の安全保障に関する追加合意が確実化した状態で朝鮮半島を非核化する。それを韓国と北朝鮮と日本が受け入れるといった、南北朝鮮と日本が充分に受容できる東アジアの核の秩序が作られれば変わるのではないでしょうか。

——韓国の研究者に絶賛された著書が出て10年近く経ちました。『板門店体制』について思うことは。

その後も研究を続けながらたくさん新たな知識を得る中で、人々の考えや利害関係に加え、国際的な利害関係が本当に多様で異なることを改めて感じています。だからこそ合意を作るには非常にたくさんのエネルギーが必要になるでしょう。

——日本も『板門店体制』に無関係でないということがよく分かりました。日本の市民に対しお話ししたいことは。

日本は90年代に東南アジアや北朝鮮との関係改善を積極的に試みた時期がありましたが、当時は韓国や中国の準備ができていませんでした。

東アジアではこのように足並みが揃わないことがあります。それぞれが隣国に対しうまくやろうとした時期があったが、そのつど各国の状況がすこしずつ異なりました。

だが今後、それぞれの国がある程度成熟した段階に入る時点がやってくるでしょう。その時に少なくとも若者世代が「もう一度よい関係を築いてみよう」という方向に考えることができればよいと思います。(了)

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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