しあわせとは何か~ある女子格闘家の日々から考える~
「今、全然しあわせじゃない」
最近、そんな悩みや不満の声を偶然、何人かから日替わりで聞いている。「買いたい物が買えない」「買いたい物を買いすぎて生活が立ち行かない」あるいは「姑にののしられた」「派遣先の上司とうまく行かず一刻も早く辞めたい」など。多くはお金と人にまつわる悩みだ。
うんうんと聞いているくらいしかできないのだが、聞いているうちに「では私は今、しあわせなのか? いや、そもそも“しあわせ”って何なんだ」と頭がこんがらがってきてしまった。
そんな折、女子格闘家・ライカの試合を観た。
7月24日、東京ディファ有明で開催されたMMA(総合格闘技)団体・パンクラスの大会で、ライカはパンクラス王者・中井りん(29)と対戦し、最終3ラウンド、中井のヒジ打ちでTKO負けを喫した。
「ライカは今、しあわせなのだろうか」
試合を観終わったあと、ふと頭に浮かんだ。
ライカは世界3階級制覇を果たすなど13年間、プロボクサーとして活躍してきたが、2013年8月の試合を最後にジムから引退勧告を受け、ボクシングのリングを下りた。だが、「挑戦し続けたい」との思いは消えず、翌年からはキックボクシングとMMAを新たな闘いの場としている。
柔道やレスリング未経験だけに、MMAで習得すべき動きや技は気が遠くなるほど多い。中井戦に敗れたことでMMA戦績は2勝4敗と、またひとつ黒星が先行した。ひとかどのファイターになるまでに10年かかるとも言われるMMAの世界だが、ライカは現在40歳。人並み以上に吸収して行かなければ、自身が満足する闘いができないままリングを後にするかもしれない。
ボクシングを辞める時、盛大な引退セレモニーをやろうという声もあった。引退後にジムを開くなら支援してもいいという人もいた。その道を選んでいたら、第二の人生は大きく変わっていたかもしれない。しかし、ライカはどちらも丁重に断った。
ライカが選び取った今の道は正しかったのか。ライカは今、しあわせなのか。
どうにも気になって、試合から数日後、ライカに直接聞いてみた。
「しあわせ……。あんまり考えたことないな」
それがライカの第一声だった。
そして、しばらく「うーん」とか「そうだなあ」とつぶやいてから言った。
「今、格闘技をやらせてもらって、生きていることがしあわせかな。子どもの頃、やりたくてもできなかったことが、今やっとできている気がする」
ライカは3歳から18歳まで児童養護施設で暮らしている。施設を出たあとは短大に進み、資格を取って歯科衛生士となったが、あくまで生活のためであり「やりたいこと」ではなかった。
「好きなことを思いきりやることが、あの頃は夢だったんですよ。それが今やっと。いろんな人の応援で、やりたいことをして生きていることに、生かしてもらっていることに、しあわせを感じる。だから、勝たないといけないんですけどね」
では、今の部屋でも満足なのか。私は聞いた。
競技転向を契機に、ライカは横浜のロフト付き7畳の部屋から、新しいジムに近い都内の木造アパートに引っ越した。風呂なしの6畳で家賃は3万円。入居当初は天井裏を走り回るネズミの駆除に苦労した。どうせ見ないからとテレビも人に預けている。
「優先順位だと思うんです」とライカは答えた。
「自分は体のケアやトレーニングを大切にしているから、それ以外の余計なところにはかけたくない。部屋は寝られればいい。何がほしいとかやりたいとか、言ったらキリないしね」
それから、しばらく雑談をした。投票日の近い都知事選にも話が及び、私は「新しい都知事にやってほしいのは地震対策でしょう?」とライカに尋ねた。以前、ライカがこんなことを言っていたのを思い出したからだ。
「地震て、一瞬で何もかも、命もなくなってしまうことがある。やりたいことが急にできなくなる。それが怖いんです。自分はボクシングを長くやってきたけど、今まで頑張ってきたのに、本当はもっとやりたかったのに、怪我や病気で次の日にいきなりできなくなった人たちを見てきている。だから、その人たちの分までという訳じゃないけど、自分は明日、突然できなくなっても後悔しないように、格闘技を毎日やり切りたいんですよ」
都知事選にはあまり興味がないと言っていたライカだが、私が「地震」の一言を口にした途端、一も二もないという調子で答えた。
「そうですよ! 耐震の対策をしてほしいですよ。大きいのが来たらボロアパートが潰れちゃいますからね。こんなボロでも、今は自分のお城ですからね(笑)」
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