女性経済学者は男と論文を共同執筆すると出世できない?
「ジェンダーギャップ(社会的な性差)をなくさなければならない」というのは、リベラルな社会の大前提です。それにもかかわらず、残念なことに、世の中にはセクハラやマタハラ、ストーカーやドメスティック・バイオレンスなどの「女性差別」があふれています。
こうした現実に憤慨するのは当然ですが、だとしたら、「差別主義者」を批判するリベラルなひとたちはどうなのでしょう?
アメリカではアカデミズムは「リベラルの牙城」とされていて、「大学でトランプ大統領に反対する集会を開こうとしたら、トランプ支持者は誰もいなかった」というジョークもあります。そのなかでも、有名大学の経済学部ともなれば、女だからといって差別されるようなことがあるはずはありません。
そこで研究者が、これを検証するために、経済学の論文数と終身在職権の関係を調べました。ジェンダーギャップがなければ、定評のある学会誌に発表した論文の数と、大学の審査で終身在職権を認められる可能性は男女で同じはずだからです。
リベラルな大学関係者が安心するのは、単独の論文では男女差がなかったことです。男でも女でも、論文を1本発表するたびに終身在職権の可能性が8~9%上昇しました。
その一方で、不穏な結果もあります。女性の経済学者が共同で論文を執筆すると、在職権を認められる確率が上がるのではなく、逆に下がってしまうのです。
さらに不穏なのは、こうした効果が、男性の経済学者と共同執筆したときにだけ現われることです。女性の経済学者同士が共同で論文を書いたときは、単独の論文と同じように評価されました。男性の経済学者は、共同研究の相手が男であっても女であっても評価になんの関係もありませんでした。
経済学者の名誉のためにいっておくと、「ふだんは立派なことをいっているくせに、本音では女を差別しているじゃないか」と決めつけることはできません。単独で論文を書く女性経済学者は、ちゃんと評価されているのですから。
だとしたら問題は、「なぜ男性と論文を共同執筆すると評価が下がるのか」です。その理由は2つ考えられます。
ひとつは、アカデミズムのなかに暗黙の性役割分業がある可能性。年上の男性経済学者が、駆け出しの女性経済学者を指導しながら共同で論文を執筆しているのだとしたら、終身在職権の審査で女性の評価だけが下がる理由が説明できます。
もうひとつは、女性の経済学者がこうした「家父長制」の負の効果に気づいていて、優秀なひとほど単独で論文を発表している可能性。実際には両者の相乗効果で、「論文を書けば書くほど評価されなくなる」という理不尽なことになるでしょう。
この「不都合な事実」を発見した研究者(女性)は、「経済学の論文では、共同研究者の名前をアルファベット順にしていることが影響しているのではないか」と指摘しています。貢献度の大きさで順番を決める社会学の論文では、こうした「性差別」は観察されなかったからです。
「リベラル」な大学人ですら、無意識に埋め込まれた「ジェンダー意識」から逃れることは容易ではありません。しかしそれは、ちょっとした工夫で改善することができるのです。
参考:Heather Sarsons(2017)Gender Differences in Recognition for Group Work,https://www.harvard.edu/
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