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中国の”デタラメ”にも理由がある

橘玲作家

日本が提案した国連での「核全廃をめざす被爆地訪問決議」は156カ国の圧倒的多数で採択されましたが、核保有国である米英仏は棄権、中国、ロシア、北朝鮮が反対しました。なかでも中国は突出していて、傅聡軍縮大使は日本がヒロシマ・ナガサキの悲劇を「歴史をゆがめる道具」として利用し、「日本の侵略で中国だけで3500万人が犠牲になった。その大半は日本軍の国際法に反する化学・生物兵器の大規模使用の犠牲者だ」と批判しました。中国はほかでも同様の主張を行なっていますから、「南京大虐殺」の犠牲者30万人説に加え、これが今後、中国共産党の「正史」になっていくことは間違いないでしょう。

日本陸軍が「731部隊」のような研究機関を使って細菌兵器を開発したり、中国戦線でその効果を検証していたことは戦史に記載がありますが、(幸いなことに)試験段階で敗戦を迎えたため、日本国内ではリベラルな歴史家ですら化学・生物兵器の大量使用を否定しています。日本の侵略と国共内戦、軍閥の抗争によって中国で多くの死者が出たのは事実ですが、その多くは餓死・病死で、「数千万人が日本軍の化学兵器で殺された」というのは荒唐無稽というほかありません。「南京大虐殺」の世界記憶遺産への登録もそうですが、国連の場で他国を声高に批判する以上、中国は歴史家の検証に耐える証拠を提出すべきです。

しかしここではすこし頭を冷やして、中国がなぜこのような“デタラメ”を言い立てるのか、その理由を考えてみましょう。

第二次世界大戦の人類史的悲劇として誰もが思い浮かべるのは、アウシュヴィッツとヒロシマです。アウシュヴィッツはホロコーストというナチスの「加害」の歴史遺産ですが、ヒロシマは核兵器による一般市民の無差別殺戮という「被害」の記録で、これによって戦後日本人は、心理的に、自らの「加害」と「被害」を相殺しました。これがドイツのリベラルな知識人が日本の歴史認識に批判的な理由で、戦後処理で近代ドイツ発祥の地である旧プロイセン領を失い、1000万人を超えるドイツ人が追放されたにもかかわらず、自分たちは「加害」の悪役を永遠に担わされ、同じ敗戦国の日本がいつのまにか「被害」の側に回っていることが許しがたいのでしょう。

これは中国も同じで、大陸への侵略という「加害」と、太平洋戦争の敗北という「被害」を、日本人の都合で勝手に相殺することが認められるはずはありません。ここまでは納得できる主張ですが、問題はその手段として共産党に都合のいい歴史を捏造し、ナショナリズムを刺激していたずらに対立を煽ることでしょう。ただしそのことで、日本軍の「加害」の歴史的事実が免責されるわけではないのもたしかです。

今年は戦後70年で、安倍談話をめぐる騒ぎもあって多くのメディアが戦争特集を組みましたが、そのほとんどは「(日本人)被害者」を登場させて、「あの悲劇を繰り返すな」と訴えるものでした。

戦争のほんとうの恐ろしさは、「無辜の民」が犠牲になること以上に、ごくふつうの市民が平然と“隣人”を殺すようになることです。このグロテスクな「加害」のリアリズムから目をそらせ、「被害」の側からのみ歴史を語るなら、どの国であれ、悲劇をふたたび招きよせることになるでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年11月16日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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