アイリス・チャンが死んだ日
2004年11月9日、アイリス・チャンは車の中で口に銃口をくわえ、引き金を引きました。といっても、ほとんどのひとは彼女のことを知らないでしょう。
中国系アメリカ人2世として生まれたアイリスは、大学でジャーナリズムを学び、いくつかの新聞社や出版社でアルバイトをした後、1950年代の赤狩りでアメリカを追われた中国人科学者の評伝を出版します。27歳で新進気鋭のノンフィクション作家となったアイリスの2冊目のテーマは、南京大虐殺でした。
中国での生存者へのインタビューなど、2年に及ぶ調査の後に書き上げた『ザ・レイプ・オブ・南京』は50万部を超えるベストセラーとなり、アイリスをたちまちのうちにセレブの座に押し上げます。
しかし、満を持して上梓した3作目の『ザ・チャイニーズ・アメリカン』は、彼女の期待に反して酷評に晒されることになりました。西部開拓時代のアメリカで鉄道建設に従事した中国人がどれほどの迫害に耐えたのかを描いた力作ですが、アメリカの知識層は、旧日本軍が中国人をレイプする話には喝采を送っても、アメリカ人が中国移民を差別する話は好まなかったのです。
この頃から、アイリスは不眠とうつ病に悩まされるようになります。そんな彼女が4作目のテーマに選んだのはフィリピン戦線におけるバターン死の行進で、生き残ったアメリカ兵に取材して、ふたたび旧日本軍の残虐行為を暴こうとします。しかし彼女の病んだ神経はもはや困難な取材に耐えられず、夫と2歳になる子どもを残して、享年36の短い生涯を終えることになったのです。
新聞やテレビでその衝撃的な死が報じられたとき、私はたまたまニューヨークに滞在していました。なぜこんな古い話を覚えているかというと、ニューヨークタイムズやワシントンポストなどアメリカの一流紙が、「30万人以上が虐殺され、8万人以上がレイプされた“もうひとつのホロコースト”を発掘した」と、なんの注釈も付けずに彼女の業績を賞賛していたことに驚いたからです。
日本では南京大虐殺について詳細な検証が行なわれており、旧日本軍による蛮行を認める戦史研究家でも、陥落時の南京城内の人口が20万人程度だったことなどから、死者30万人の“大虐殺”を史実とはみなしません。しかしそうした研究はほとんど英語に訳されることはなく、一部の現代史の専門家を除けば欧米ではまったく知られていないのです。
南京大虐殺を歴史の捏造と主張するひとたちは、『ザ・レイプ・オブ・南京』の翻訳出版を阻止し、「死者数万人」とする国内の“見直し派”とはげしく論争してきました。彼らの目的は、目の前にいる日本人の論敵を打ち負かし、歴史教科書など南京大虐殺を認める日本語の文書をこの国から放逐することでした。
しかし彼らが、日本国内の日本語によるガラパゴス化した論争に夢中になっているあいだに、英語圏において南京大虐殺は“史実”となっていたのです。
アイリス・チャンが死んだ日に、私ははじめてこの“不都合な国際常識”を知りました。そしていまだに、このことを指摘するひとはほとんどいません。
『週刊プレイボーイ』2012年10月8日発売号
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