「机の概念を壊す新しい商品を」 日本一の家具産地で唯一生き残る机専門メーカー3代目の挑戦#ydocs
「ヨコタウッドワーク」は、日本一の家具生産地・福岡県大川市で唯一残る机専門メーカーだ。かつて市内に机専業は40社ほどあったが、住宅面積の縮小、パソコンやタブレットの普及、そしてランドセル人気と反比例する学習机の需要低迷により、減少の一途をたどった。ヨコタの3代目社長である横田圭蔵さん(49)は、社の生き残りをかけて机の概念を壊す新たな商品への試行錯誤を続けている。個室空間タイプの机、部屋の間仕切りにもなる本棚――。アイデアあふれる試作品を次々に繰り出しては展示会に出品するが、バイヤーたちの反応は鈍い。それでも横田さんは「小さな会社だからこそ、アイデアから試作までのスピードで勝負できる」とめげる様子はない。伝統の産地で「机屋であることにこだわりたい」という横田さんの挑戦を追った。
コロナ禍で売り上げ伸ばすも、反動は大きく
木材を加工する音でにぎやかなヨコタウッドワークの工場。その向かいの倉庫には、見慣れない家具が並んでいる。これらはみな、圭蔵さんがデザインした試作品だ。大がかりな個室空間タイプの机は「あまりにもやりすぎて、買ってもらえなかった」と圭蔵さん。間仕切りにもなる本棚も、「あまりにもでかすぎる」と売れなかった。圭蔵さんは次々にアイデアを繰り出し、年に20は図面化してきた。だが、商品化にはいたらず、没になったアイデアは何百にも上るという。
もちろんヒット作も生んでいる。2020年からのコロナ禍による在宅需要により、家具業界は2年ほど好調を維持。当時は「ウッドショック」と呼ばれた世界的な木材不足が起きたが、大川では資材を扱う業者が在庫を豊富に準備していたこともあり、直接的な影響は比較的小さかった。そんなときにヨコタウッドワークが売り出したのが、圭蔵さんデザインのリモートワーク用「折り畳み収納デスク」だ。使わないときはコンパクトに収納できる点が受け、1370台を売り上げた。
一方、「アフターコロナ」の反動は大きかった。家具全体の需要が冷え込んだほか、輸入材や船運賃の高騰、円安や人手不足も追い打ちをかけた。ヨコタウッドワークでは2021年に4719あった出荷台数が、2023年は3362と3割も落ち込んだ。
伝統の家具産地・大川の発展と衰退
有明海に注ぐ筑後川の河口にある大川市は、上流の大分県日田市で切り出される日田杉などが集積する港として古くから栄えた。その杉材を用いた造船業が盛んになり、多くの船大工が根付いた。
室町時代に船大工の技術を生かした指物(さしもの)作りから始まった大川の木工は、婚礼家具を中心に大きく発展。分業により家族経営の木工関連事業者が数多く存在し、「石を投げれば社長に当たる」といわれたほどだ。
ところが、バブル経済の崩壊後は衰退の道をたどる。経済の低迷に加え、和服から洋服への変化、クローゼットの普及など住宅事情とライフスタイルの変化が、タンスなどの箱物家具を得意とした家具産地を襲った。1991年度のピーク時に約1268億円あった生産額は、2018年度は約330億円(経済産業省工業統計調査)と、約4分の1にまで縮小した。
なかでも大波をかぶったのが机専門メーカーだ。かつては「大川机組合」に約40社が参加していたが、バブル後は倒産が相次いだ。少子化による学習机の需要の低下、書斎や役員室の減少、木製からスチール製への材質の変化、輸入机の台頭に百貨店での売り場面積の縮小。要因を挙げれば、きりがないほどだ。生き残ったメーカーも椅子やダイニングテーブルなどの「脚モノ」家具に切り替え、机専業はヨコタウッドワーク1社だけになってしまった。
同社が売り上げを伸ばしていたのは、バブル真っ最中の1988年前後。圭蔵さんの父親でいまは会長を務める博樹さん(74)が、初代が創業した「横田木工所」をヨコタウッドワークに改組したころだ。博樹さんが「国内で最初にデザインした」というパソコン用木製デスクが大ヒットしたこともあり、いまの約3.5倍の売上高を誇っていた。
博樹さんの長男である圭蔵さんは、家業を継ぐことには否定的だった。朝から晩まで自宅の隣の工場で仕事漬け、土日祝日も販売や会合で家にいない父を見て育ったからだ。
高校卒業後に「カメラマンの勉強がしたい」と訴えたが、父は反対。父に言われるままにデザインの専門学校に渋々入学するが、デザインの歴史や背景に興味が湧かずに中退してしまった。父の取引先の家具屋の紹介で関東の会社に就職。4年ほど働き「あわよくばこのまま関東に」と目論んでいたところで、父から「そろそろ帰ってきていいんじゃないか」と呼び戻された。
こうして大川に戻り、家業を継いだ1998年には、バブル後の不景気が始まっていた。このころ、経理と経営の半分を担っていた母親の病気も発覚。その仕事を引き継ぐ形で家業に本格的に取り組むようになった。
木工所の3代目であることの意味とは
圭蔵さんは家具製造を、かつては単に「代々続く実家の仕事」ととらえていた。自分が社長をやることになって、その本質がようやく見えるようになったという。「4代目(に継がせる)というよりも、この会社が残っていくことが一番喜ばしいことだと思っている」と圭蔵さんはいう。誰が家業を継ぐのかは重要ではなく、この家具産地大川を残していきたい。ただその前に、ヨコタウッドワークで働くのが面白そうだとか、社長をやってみたいと思えるような会社でなければならない。そのためには、自分がいま頑張らなければ。
圭蔵さんはいま、子どもの頃から家族の中では最も遠い存在だった父と二人で暮らす。週に3、4日ほど夕食を共にして、ほどよい距離感の関係を築けていると感じている。
一方、一線を退いて会長となった博樹さんは、いまでも毎朝会社の鍵を開けることだけは欠かさない。自分の父であり圭蔵さんの祖父である創業者が、やはり同じことをしてくれていたからだ。
ペットブームに活路を見出す
いま、圭蔵さんが進めている商品開発のテーマは「ペットと人が暮らす家具」だ。きっかけとなったのは、在宅ワークの増加でペットを飼う人が増えたことだ。大川市が「わがままなネコもよろこぶ」をコンセプトに2017年から続けている「ネコ家具」のプロモーションも背景にある。
その新商品のひとつが「ネコもヒトも」。机で作業しているヒトの頭上に、底板が透明なネコ用通路が取り付けられている。ヒトが作業をしている時も、頭上を歩くネコの姿を下からながめることができる。「机屋であることにこだわりたい。だからこそ一般的な机にこだわらない商品開発を心がけている」と圭蔵さんは話す。
2016年、生活雑貨の国際見本市である「東京国際ギフトショー」に折り畳み収納デスクを出展したところ、ペットやスポーツなど、それまでは縁のなかった業界との接点が生まれた。ここ2年開発を続けている「ペットと人が暮らす家具」は、ペット用品会社からの販売が決定。これまでは「家具業界の机」としてしか販売されなかった机が、「ペット業界の机」として流通するようになったのだ。
「一喜一憂しないこと。狭い商品ジャンルだけど、そこを一心に突き詰めて考えると幅が広がる。家具ってこうだろうというルールというかセオリーに縛られずに、自分なりのエッセンスというか、ニュアンスを入れた家具を作りたい」。圭蔵さんはこんな思いで、新しいアイデアを形にしようと日々取り組んでいる。
「自分がイメージしたものが形になって、こんなのが世の中にあるんだっていうのを喜んでもらう人たちが目の前にいて、なおかつお金ももらえて。こういうところは、幸せな仕事だと思う」
【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。
クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】
クレジット
監督・編集・記事 完山京洪
プロデューサー 山本兵衛
撮影 岩男海誠