岩田副総裁の指摘した戦後のハイパーインフレの要因
2月28日の京都における岩田規久男日銀副総裁の講演では、どうやら質疑応答も行われたようである。大胆な金融緩和は、戦前の軍事調達のための国債発行同様にハイパーインフレを招かないかと出席者から質問された岩田副総裁は、「終戦直後は戦争で生産力がなくなったため人々が少ない物を買おうとして猛烈なインフレが起こった。今は生産能力はあるが需要がない状況。高いインフレになる確率は少ない」と説明したそうである(ロイター)。
戦後という特殊な状況下にあり、生産力の低下により食料品をはじめとして物資が不足し、この物不足がハイパーインフレを起こしたとの説明である。しかし、質問者の意図は、戦前の膨大が軍事費拡大のため高橋是清の考案した日銀による引受による国債発行方式が恒常的なものとなり、いわゆる財政ファイナンスが戦後のハイパーインフレの要因となったのではないかとの指摘であろう。
これについては、「物価が2%を超え、3%、4%と中期的に上昇していくような場合には、政府の財政規律が緩んで『どんどん国債を買ってくれ』と言われても日銀は買いません」と言い切った。「戦前は軍の言いなりで国債を買わざるをえなかったが、今の日銀は独立しておりそういう状況でない」と付け加えた(ロイター)。
高橋是清が行った日銀引受方式の国債発行は、財政拡大の必要上からの国債発行手段が制限されていたなか、それを選択せざるを得ないものであった。物価上昇を抑制する意味においても、日銀は引き受けた国債を市中に売却していた。ところが銀行の引受余力が減少し、軍事費主体に財政の拡大財要求は続き、財政規律を意識した高橋是清と軍部が対立した結果、高橋是清は暗殺された(2・26事件)。その後の日銀は軍事費主体の財政拡大により、国債引受を続けざるを得なくなった。
今年4月4日の日銀が決定した「量的・質的金融緩和」と呼ばれる大胆な金融緩和策は、日銀が自ら決定したことではあるが、その内容は安倍自民党総裁が昨年11月から唱えていたものそのままであった。見方によれば、このときの日銀は安倍政権、つまり政府の言うとおりに国債を買わざるを得なかったわけであり、さらに安倍総裁は日銀法改正までちらつかせて日銀の独立性そのものも脅かそうとしていた。
アベノミクスとは、日銀に大量の国債を買わせることで、市場に財政ファイナンスを意識させて、円高調整を図ったものとも言える。これは安倍総裁の輪転機発言等からも明らかであった。財政規律への懸念もあったが、海外投資家はこれを円売り・日本株買いのチャンスと捉えてアベノミクスと呼ばれる現象が生まれることになる。
戦後のハイパーインフレについては、物不足だけで説明し、巨額な政府債務や日銀の国債引受等を使っての臨時軍事費の支払いなどによる影響がまったくなかったとは言えないはずである。むしろ後者による影響が大きかったことは、日銀の百年史でも記述されている。
日銀の百年史では「昭和7年以降継続的に長期国債の本行引受によって財政赤字を賄ったことがインフレーション進展の基本的なメカニズムであった」との記述もある。これがむしろ一般的な見方ではなかろうか。
政府の財政規律が緩んでどんどん国債を買ってくれと言われても日銀は買いませんと、岩田副総裁は言い切った。しかし、異次元緩和により国債保有についての日銀依存度が高まり、物価の上昇はさておき、国債への信認低下による長期金利の上昇が始まった際に、果たして民間金融機関は国債価格の急落を目の当たりにして国債を日銀の代わりに買い入れることができるのか。長期金利が3%、4%と上昇すれば、政府からの依頼ではなく必要に迫られて日銀は国債を買い入れざるを得なくなることも想定されるのである。