【神戸市】神戸海軍操練所の遺構発見 坂本龍馬の神戸での足跡
勝海舟が進言して1863年(文久3年)に開設された神戸海軍操練所のものとみられる遺構が発見されたと2023年の年末に発表されました。神戸海軍操練所は坂本龍馬も学んだ海軍の育成機関として知られています。そこで神戸の海軍操練所と坂本龍馬に関する跡地を振り返ります。
海軍操練所の防波堤が見つかった現場
今回海軍操練所の遺構が見つかったのは、京橋南詰交差点の一画。駐車場だった場所を発掘調査していたところ海軍操練所の遺構とみられる防波堤の一部が見つかったというもの。現場に行ってみると周辺にはシートがかけられていて中は見られませんが、「発掘調査中」の看板がかけられています。
発掘現場から京橋を北に進むと海軍操練所跡の碑があります。この碑は、龍馬の神戸の足跡としても必ず紹介されるスポットとして有名な場所。
海軍操練所の跡地として建てられていたこの碑ですが、今回の発掘された遺構が操練所跡地と確認されれば改めて脚光を浴びることになるでしょう
神戸海軍操練所跡碑
神戸市中央区新港町17-1 京町筋を南へ進む
JR三ノ宮駅 徒歩10分
海軍操練所跡の碑から少し歩いた場所にあるみなと公園には、もうひとつ海軍操練所の石碑があります。石碑の裏には、海軍操練所で忘れられない人として、勝海舟、坂本龍馬、伊藤博文、陸奥宗光らの名前が刻まれています。右側にあるのは第四代兵庫県知事陸奥宗光公の顕彰碑と「国史を愛し郷土史を偲ぶ人びとに捧ぐ」と書かれた石碑。ここにも海軍操練所について触れています。
みなと公園
神戸市中央区波止場町1
元町駅 徒歩10分
今はなき神戸での龍馬の足跡跡地
兵庫区平野にある祇園神社前の通りにあるのが中道古道。昔からあるこの古道はきっと坂本龍馬は歩いたのではないでしょうか。
龍馬が中道古道を歩いたかもしれないという理由は、この先に以前には勝海舟寓居跡とされた旧神戸村庄屋生島四郎太夫の別邸の門が残されていていたからです。ここは、海軍操練所を開設した勝海舟が寓居した場所で、坂本龍馬もこの場所を訪ねたと当時の寓居の案内板には記されています。しかし残念ながらこの門と建築物は現在は取り壊されています。
神戸での数少ない龍馬の足跡の跡地だった勝海舟寓居跡はもうありませんが、海軍操練所の遺構が確認されれば新たな跡地が加わわることになります。