【市川市】鎌倉殿と市川市(其の弐) ~駒どめの石と八幡様 八幡・葛飾八幡宮~
日本初の武家政権を鎌倉に成立させた源頼朝。その頼朝のもとに集まった者たちは頼朝=将軍を鎌倉殿と呼びました。1180(治承4)年、以仁王より平氏の追討の令旨を受けて挙兵した頼朝は石橋山で敗れ、安房の国に逃れました。東京湾を1周して兵力と士気を高め鎌倉で政権を樹立したその足取りは千葉県、この市川市にも残っています。
八幡様と呼ばれて市民から親しまれている葛飾八幡宮。その由来は平安期にまで遡ります。国道14号線から入る鳥居の脇にある御由緒書きにも、平将門の献幣、源頼朝の改築、太田道灌の修履、徳川家康の寄進とそうそうたる人物とのかかわりが記されています。
気持ちのいい参道から随神門を抜けると境内は正月の準備がなされていました。
境内を右手に見ると「源頼朝公駒どめの石」があります。駒とは古来馬の意味。頼朝が下総国府に参会した際、葛飾八幡宮を参拝し戦勝と武運長久を祈願したと記されています。
その時に、頼朝の馬がこの石に前脚をかけて、蹄の跡を残したことからこの名がついたとあります。
悠久の昔から、大切にされてきた八幡様。境内の千本公孫樹はすでに落葉していましたが、むしろ幹の構造がよくわかります。ほかにも境内には「石」にまつわるものがいくつかあります。江戸城旧石垣刻印石や力自慢を競った力石など。
お正月の初詣の時には、境内をゆっくり見渡してみてはいかがでしょうか。
【葛飾八幡宮】
住所:市川市八幡4-2-1