「これなら北の方がマシ」韓国社会に幻滅する脱北者たち
韓国でタレントとして活躍していた脱北女性、イム・ジヒョンさんが突如として北朝鮮に戻り、当局のプロパガンダメディアに登場したのは先月16日のことだ。「北朝鮮に騙された」「拉致された」などの見方がある一方で、自ら望んでの帰国だとする情報もある。
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そんな中、ひとりの男性が最近、ニューヨーク・タイムズの取材に応じた。脱北者のクォン・チョルナムさん(44歳)。彼は韓国政府に対して、自らを北朝鮮に帰国させるよう要求し続けている。
両江道(リャンガンド)延社(ヨンサ)出身の彼は、薬草を売る商売をしていた。そんな彼の運命を変えたのは、ある女性との出会いだった。
ブルーベリー採りに行った先で偶然出会った女性から「中国に行けばカネになる」と言われた。彼は女性とともに北朝鮮から脱北した。しかし中国に到着するや、女性は姿をくらました。
脱北ブローカーに2500ドル(約27万7000円)を払い、ラオス、タイを経て1ヶ月かけて2014年11月に韓国に到着した。その後、釜山に近い工業都市、蔚山に定住することになった。
工事現場で働いたが、英単語が理解できないことでバカにされた。また、5フィート(約152センチ)ほどの身長のせいで、職業選択の幅が狭まった。それでも北朝鮮に残してきた家族のことを思って熱心に働き、4500ドル(約49万8000円)を送金した。そんな中、父親が亡くなったとの便りが飛び込んできた。さらに、ブローカーからは脱北費用を払えと裁判で訴えられた。
そんな彼の心が折れてしまったのは、昨年5月のことだった。レンガ運びの仕事をしたのに、社長から約束された給料が払われなかったのだ。警察に駆け込んだが、社長の言い分ばかりに耳を傾け、自分の訴えが受け入れられることはなかった。
怒りのあまり警察署で「北朝鮮に帰って記者会見を開いて何が起きたかを洗いざらいぶちまけてやる」と叫んだ。パスポートを申請し、手持ちの現金をドルに両替し、北朝鮮に帰る準備を進めていた昨年6月22日、警察に踏み込まれて逮捕された。国家保安法6条4項(潜入脱出罪)違反容疑だった。
同年9月に執行猶予付きの判決を受けて釈放されたが、もはや蔚山の町に彼の居場所はなかった。仕事はなくなり、他の脱北者からも避けられるようになった。
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今年3月、彼はソウルへ行き、韓国キリスト教平和研究所のムン・デゴル神父が営むホームレスシェルターに転がり込んだ。そして「私は朝鮮民主主義人民共和国の公民だ」と書かれた横断幕を持ち、抗議活動を行なうようになった。記者会見を開き、7月には国連のキンタナ国連北朝鮮人権状況特別報告者にも会った。もはや北朝鮮で処罰されることすら恐れていないと語る。
「韓国人はわたしを愚か者扱いして、脱北者という理由で、同じ仕事をしても同じ額の給料をくれなかった」
「脱北者を二級市民として扱う韓国での暮らしに幻滅した。北朝鮮では豊かではなかったが、韓国でのように汚物扱いはされなかった」
「努力したが、韓国は私に合っていなかった。北朝鮮に帰って、元妻と16歳の息子と再会したい」(クォンさん)
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北朝鮮当局は、中国浙江省の北朝鮮レストラン従業員が集団脱北した件を巡り、「拉致された」として韓国に対して全員の送還を求めている。そのような状況でのクォンさんの動きは、北朝鮮に新たなカードを与えた形となってしまった。こうなれば、韓国社会に彼の居場所はますますなくなるだろう。
問題の根底にあるのは、韓国社会の脱北者に対する根強い差別だ。韓国政府から独立した人権擁護機関である国家人権委員会と仁荷大学が脱北者を対象に行なった調査によると、45.4%が北朝鮮出身という理由で差別を受けたことがあると答えた。このような差別が解消しない限り、同様の問題はいくらでも再発するだろう。