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大晦日、ゆく年に――2013スポーツ総括

川端康生フリーライター

楽天日本一

球場にこだまするファンキーモンキーベイビーズの「あとひとつ」が感動的だった。

嶋キャプテンの「見せましょう、野球の底力を、東北の底力を」から3シーズン目、スタンドで突き上げられた無数の拳と、球場の外で握り締められた無数の両手。テレビ映像を通しても伝わってくるその固さに、胸が熱くなった。

東北楽天イーグルス、球団創設9年目での日本一。

2004年、プロ野球に勃発した球団再編の嵐、オリックスと近鉄の合併に端を発し、一部オーナーが画策した「新リーグ構想」、「たかが選手が」発言、史上初の選手によるストライキ、ホリエモン……とにかく紆余曲折を経て、仙台に誕生した球団が(分配ドラフトと自由獲得選手で編成され、2年連続最下位だったチームが)、ついに日本一になった。

そればかりか、2年10か月前の午後から変わった日常を、いくつもの寒い夜を乗り越えてきた人々の心を輝かせ、顔をほころばせ、だからこそ支えられる存在となって。

球団そのものにも、球団に在籍した選手たちにも物語があり、大きな声を出して応援している人たちにも、無言の人たちにも物語があった。

そんな数えきれない物語の、一つのエンディングとして、楽天優勝は心揺さぶられる名シーンであった。

無論、そんな感動は、いまも多くの人々が不自由な暮らしを強いられているという「現実」と胸の内で交錯する。

「感動の消費者」に甘んじたくなければ、「強いられている人々」に強いているのは誰なのか、という自問を繰り返すしかない。

繰り返す――彼らが眠れない夜を繰り返した末にガッツポーズに辿り着いたように、ただ「繰り返す」ことこそが何かを成し遂げるための方法なのだから。

マー君とメジャーリーグ

リーグ優勝の瞬間にも、日本一の瞬間にもマウンドには田中将大がいた。

決して好調とは言えなかった(特に前半戦)。それでも開幕から勝ち続け、24勝無敗。勝率「10割」はあの仁王のような表情とともに記憶される。

あの面構え、緩みきった僕の顔もほんの少し引き締めてくれた。ふやけた日本男児にほんの一部にでも伝染するなら、なお嬉しい。

そのマー君のメジャー移籍を楽天が容認したのは少し驚いた。驚いた、というよりも納得しつつも首を傾げたというのが適当かもしれない。

「新ポスティング制度」である。入札なのに(下限ではなく)「上限」が設定され、しかも20億円(2000万ドル。それも分割払い)。普通の経営判断なら、とてもじゃないがYESとは言えない。マー君関連のグッズ売り上げだけでも20億円以上というし、入場料収入、露出(宣伝効果)、何より勝ち星……。

それでも楽天が「容認」という判断を下したのは、やはり世論を読み取った結果なのだろう(そういうツールは潤沢な時代だし、会社なのだから)。

一次感情で世相が動く時代である。やたらと公開される「心(らしきもの」が「ムーブメント(らしきもの)」を、やたらと巻き起こす。

もちろん、しょせん一次感情。「らしきもの」が長続きするわけではない。

でも、とにかく、そんな時代なのだ(優勝キャンペーンでの“偽装”も判断に影響したかもしれない)。まさしく赤字覚悟の出血大放出となった。

ところで、この新ポスティング制度、<選手にとっては◎、メジャー球団にとっては○、日本球団にとっては×>と言われているが、本当にそうか。

“マー君”ではない(世論の後押しを受けない)選手がメジャー行きを希望した場合にも、球団が赤字覚悟で「容認」してくれるかどうか……。

ポスティングでの移籍そのものが難しくなるリスクをはらんでいることも、選手は覚悟しておくべきだろう。

とは言ってもメジャーリーグの方は、いま「国際ドラフト」へ向けて改革の真っ最中だ。今回の新制度にしてもバタバタと締結したもので、あちらの体制が整った暁には、また改められる可能性が低くない。

つまり日本では(国民的ヒーローが対象となったことで)注目され、物議を醸した新ポスティング制度だが、アメリカにとってはさほどの関心はない(のだと思う)。

それに、そもそもわずかしかいない日本人選手(10人ちょっとか)よりも、彼らの視線はドミニカを筆頭に大量の選手を産出するカリブ諸国へ向けられている。

もちろん、「マー君」への関心と期待は大きいに決まっている。シビアな競争社会で、日本のエースの心意気を示してほしいと願う。

いい機会なので付け加えると、マー君には大活躍はもちろんだが、その上で「新人王」の拒否を期待したい。

というのも、かつて野茂が新人王に輝き、日本中が拍手したとき(少なくとも日本では「輝き、拍手」した)、日本通のアメリカ人から言われたことがあるからだ。

「なぜ日本人は喜ぶんだ? NOMOは新人じゃないだろう? 新人王を与えられるなんて日本野球を下に見ている証拠じゃないか。むしろ怒るべきだよ」

確かに日本にやってきたメジャーリーガーに「新人王」はあげないよなぁ、とそのとき僕は俯いたので。

国民栄誉賞と「55号」

いまさらという気がしないでもないが、長嶋茂雄が国民栄誉賞を、松井秀喜とともに受賞した。「いまさら」だから、松井とのセットにせざるをえなかったのだろうが、僕自身の気分としては随分失礼な話である。

そもそも長嶋茂雄に賞なんていらないのだ。そんなものはなくても「長嶋茂雄」は特別なのだから。

国民栄誉賞の第1号は王貞治が受賞した。というより、ホームランの世界記録を達成した王を称えるために創設された賞であった(1977年、福田政権下。僕は小学6年生だった。「714号」と「756本」のフィーバーはすごかった)。

その王のもう一つの偉業がシーズン55本塁打で、その記録を今シーズン、バレンティン(ヤクルト)が塗り替えた。

言うまでもなくこれまでも更新のチャンスはあった。バース(阪神)、ローズ(近鉄)、カブレラ(西武)らといったいずれも外国人選手たちによって、だ。

でも、誰も56本目を打つことはできなかった。許されなかった、と言った方がいいかもしれない。記録に迫った打者には、“ホームランを狙えるようなボール”が投じられることはなかったからだ。

もちろん王監督自身が四球や死球を投げさせたわけではない。それでも(巨人に限らず)バッテリーは“ホームランを打てないボール”を投げ続けてきた。

その記録が今年ついに破られた。長く守られてきた「聖域」がついに決壊したのである。

小学生の頃に、テレビで756号を見て(同じテレビで「コント55号(=今度55号)」の欣ちゃんも見ていた)、その後読んだ伝記で王さんは台湾籍で国体に出ることができなかったエピソードに憤り(差別という言葉も覚えた頃かも)、そして大人になって力道山や多くの有名人が実は大陸出身者で、日本のスポーツや芸能が彼らによって成り立ってきたことを知り……と「昭和」の空気を吸い込みながら育ってきた僕にとっては、バレンティンの記録更新は感慨深いものがあった。

昭和は遠くなったのだ。

そして川上哲治と大鵬がこの世を去った。

再び個人史と重ねれば、少年時代の僕にとって野球は巨人が優勝するが当たり前だった(川上監督のV9は僕の生まれた年から始まっている)。アルバムをめくれば大鵬に抱き上げられている幼い自分の姿を見ることもできる(九州場所の会場出口で両親が頼んで撮ってもらったらしい)。

二人に限ったことではないけれど、訃報を耳にするたびに昭和は本当に遠くなっていく。

21年目のJリーグ

年末に『笑っていいとも』に出演していたカズが、なんだか居心地が悪そうで気の毒だった。若い客席はカズの登場にはしゃいではいたが、5月15日の煌きも、ドーハの悲劇も、セリエAへの挑戦も覚えていない(というより、年齢的に知らないのかも)様子だったからだ。

リスペクトがなかったとは言わない。けれど……。Jリーグも今年、21年目を迎えた。

そのJリーグでは、快走していた大宮アルディージャ(昨年から21戦不敗!)のベルデニック監督が突如解任になり、後半戦はほとんど勝つことさえできなくなり、代わりにアルビレックス新潟が台頭し、優勝目前の横浜F・マリノスまで倒してしまい、最終戦でサンフレッチェ広島の劇的な逆転優勝で幕を閉じた。

サンフレッチェ広島は2年連続のV。チーム人件費(ざっくり言えば選手の年俸総額)14億円の地方クラブの快挙と言っていいが、他チームのフロントが落ち込む方が先だろう。

ちなみにプロ野球を制した楽天も年俸総額では下位(19億円)の地方チーム。今年はそういうシーズンだった。

ちなみにちなみに年俸でプロ野球のトップの巨人(38億円)は日本シリーズでは敗れたものの、ペナントリーグはきっちり勝っている。それに比べてJリーグトップの……と続けると苦情が来そうなのでやめておく。

まあ、サッカーでも野球でも、チーム作りは一筋縄ではいかないのだ。

Jリーグに話を戻せば、黄金時代を築いたジュビロ磐田がJ2に降格した。が、それは驚くには当たらない。昨年もガンバ大阪が落ちている。

20年を重ねたJリーグは極めて日本的な、良くも悪くも“横並び”のリーグに育ってきた(ナンダカンダ言っても「格差」にアレルギーのある国民なのだと思う)。

プロ野球のようにドラフト(戦力均衡策)がないのに不思議な話だが、とにかく「どこが優勝してもおかしくない」=「どこが降格してもおかしくない」戦いが今シーズンも繰り広げられたということだ。

もちろんJリーグ創設の最大の目的は競技力の向上であり、20年間の最大の功績は今年も継続された。

日本代表、ワールドカップ出場権獲得。

これで5大会連続である。この1点において、Jリーグの「成功」は揺らがない。

3年目のザック・ジャパン

そのザック・ジャパン(ザッケローニ監督率いる日本代表チーム)はワールドカップ出場を決めた(本田のPK!)後、著しく停滞した。

本当は「出場を決めた後」になって急に停滞したわけではないのだが、コンフェデレーションズ杯で顕在化してしまったことで、日本代表を取り巻く空気は“お祭り騒ぎ”から“悲観論”へと一変した。その意味で、アップダウンの激しい一年だったと言える(10月と11月に遠征したヨーロッパでも二つの顔を見せた)。

“柿谷フィーバー”とか、本田のACミラン移籍とか(もちろんビッグクラブへの移籍はリスクもある)、来年の顛末を占う要素は数限りないが、今年代表チームに漂った“マンネリ感”が、ピーキングへ向けていい方に作用することをここでは期待しておきたい。

上がり続けることはできない。だから、また上がるために一度落ちる。2013年に落ちたことで、ちょうど上り調子で本番を迎えた、そんなパターンである。

ピークで戦えばそれなりの結果を出せるくらいの実力を、Jリーグ21年で日本サッカーは備えてきている。

「統一球」問題

今年のスポーツ界は物議を醸すことが多かった気がする。

(安藤美姫の出産にも驚いたが、それはさておき)プロ野球では「統一球」問題が起きた。

ボールの仕様変更は興行主(日本プロ野球機構。主に親会社オーナー)の自由だと僕は思うが、少なくとも選手には伝えるべきだった。飛ぶボールか、飛ばないボールか。それは特にバッテリーにとっては大違いだろう。

また、この騒動の余禄(と言ってはなんだが)で「コミッショナー」にも注目が集まった。

「知らなかった」に始まり、まるで他人事のようなコメントを繰り返した加藤良三(当時)コミッショナーは結果的に引責辞任することになったが、僕なんかは「プロ野球のコミッショナーなんて名誉職みたいなものでしょ」と昔から思っていたから、「知らなかった」にも、そのくせ「ボールに署名(サイン)」がしてあっても、さほど驚かなかったし、糾弾する気にもならなかった。

前コミッショナー自身も「まさかこんな目に遭うとは……」が本音ではなかったか。

もちろん「ガバナンス」と「説明責任」全盛の昨今においては(そして吊し上げ社会では)、僕のような“いい加減”な考えは通らない。前コミッショナーも許してもらえなかった。

年末には次期コミッショナーとして弁護士にして元東京地検特捜部長の就任が発表された。モノ言うコミッショナーになるのか? だとすればオーナーたちと対立しちゃったりするのか? なんて相変わらずいい加減なことを思いながら僕は眺めている。

「2ステージ」と「プレーオフ」

Jリーグでも物議は醸された。

「2ステージ」制の復活と、それに伴う「プレーオフ」の導入(2015年から)について、である。

レギュレーション改正はリーグにとって大きな変化だし、ましてサッカーでは「1ステージ(1シーズン)」制が当たり前だから、サポーターたちも随分騒いだ(かなりの枚数の横断幕が掲げられた。もちろん「反対」の)。

「当たり前」とつい述べてしまったが、それはヨーロッパのサッカー強国でのことであって、実はヨーロッパでも南米でもかなりの国で「2ステージ」とか「プレーオフ」とかでリーグが行なわれている。

日本ではすぐに「世界」と言って括ってしまうが、当然のことながら世界にはさまざまな国があり、それぞれの国はそれぞれに違う(ドイツやブラジルだって世界だが、セルビアや北朝鮮だって世界なのだ)。

Jリーグは、要するに日本リーグであって、日本人の、日本人による、日本人のためのリーグなのだから(ヨーロッパをモデルにしたって事実極めて日本的なリーグになっているのはさっきも書いた通り)、日本に合っている形でやるのが一番だろう。

だから「2ステージ」の方がお客さんが増えて、「プレーオフ」をやった方が収入も増える、というのなら僕はそれでもいいと基本的には思っていた。

しかし、散々物議を醸した末に(サポーターの反対を押し切って)、新レギュレーションを発表したのに、不備があったとして、新「新レギュレーション」を再発表し直した今回の経緯は、さすがにマズかった。

おまけにその新「新レギュレーション」がかなり難解で面倒臭い。これではお客さんも増えないし、収入も増えないのではないか、と心配になるようなものだった。

(このあたりのことは有料コラム「誰がパスをつなぐのか」にしつこく書いています。ぜひご参照。著者ページから入れます)。

とにかく21年目のJリーグは人気と収入の伸び悩みに直面していて、だからこそ「変わらなきゃ」と改革に取り組むことを決めた、ということである。この変更が、未来をよりよい方向に導いていくのか、その成否が出るのは少し先になる。

(来季からはJ3も始まります。琉球FCも加わり、これで北海道から沖縄まで36都道府県にJクラブが存在することになります。ちなみに神奈川県にはなんと6チーム!)。

暴力と指導の間で

柔道女子日本代表監督(続投から辞任へ)をはじめ、学校、社会人を問わず、指導者による暴力も(「体罰」の問題とシンクロしながら)今年大きく取り沙汰された。

暴力的な指導は、いまに始まったことではもちろんない。その意味では“鉄拳制裁”的な指導が、時代にマッチしなくなったという面はあるだろう。いわゆる“シゴキ”も同様に批判された。

いずれにしても死亡者さえ出ている現状はやはり看過できない。「暴力」はよくないことに決まっているし、それが「指導」という名目で行なわれていいはずもない。

だから指導者による暴力も、先輩によるシゴキも、やはり「NO」とすることに基本的に異議はない。

ただしその上でもあえて僕は、それは当事者同士の問題ではないでしょうか、と小声で付け加えておきたい。

高校時代に野球部にいたから“ケツ(尻)バット”をされたことが何度もある。痛かったし、嫌だった。けれど、だから辞めたいとは思わなかったし、それを野球部の外に訴えようとも考えなかった。野球部なんだからそんなもんだろうと元々思っていたからだ。それを承知で入部したのだ。

いや、個人的な話に問題を矮小化するつもりはない。でも、今年(メディアを含めた)社会から糾弾された指導者が、選手や保護者の希望で、すでに指導の場に復帰しているケース(有名駅伝校の例だ)だってあるのだ。当事者たちが納得し、それどころか望んでいるのに、周囲が騒ぐのはどこおかおかしい気がする。

正義を叫ぶのは簡単だ。だけど、“正義の第三者たち”の声があまりに大きいのは、どこか気持ち悪い。「家族」や「恋人」と同じように、スポーツ(チーム)においても当事者同士にしかわからない関係だってあるはずだ。

まして文科省が「大会に勝つことや競技力を高めることを必ずしも目指さない運動部の活動」について検討を始めるというニュースには強い違和感を覚える。

勝つために最大限の努力をし、競技力を高めるために必死で練習するからこそ、たとえ負けたとしても、上手になれなかったとしても得るものがあるのである。

勝利を目指さず、そればかりか競技力を高めることも目指さないなんて、そんなものはスポーツではない。レクリエーションだ。

文科省のこの方針には僕ははっきりとNOと言いたい。

東京五輪が決まった

最後になったが、今年スポーツ界最大のニュースを取り上げないわけにはいかない。

2020年オリンピックの東京開催決定である。

4年前は開催都市争いに敗れ、そればかりか費用使途がウヤムヤにされるなど散々な招致活動だったが、今回は見事に勝ち取った。(「お・も・て・な・し」はさておき)プレゼンテーションでのスピーチは感動的で、深夜のテレビの前で目が潤みさえした。

もちろん五輪招致はスピーチコンテストではないから、プレゼンテーションで決まったわけではない。

だとしても、パラリンピアンの佐藤真海をはじめとしたスピーチは本当に素晴らしく(先ごろ辞任した元作家にして前アマチュア政治家は除く)、僕たち日本人に大切な何かを改めて思い出させ、考え直させてくれるものだった。

彼女たちが燈してくれた炎が(間違っても「流行語」として浪費されるのではなく)、一人一人の人生とみんなの社会を輝かせる灯りとなり、やがて2020年の聖火へと結びついていくのなら、それだけで「東京五輪」は大成功だと思う。

そして何より、未来の代表選手たち――陸上の桐生や体操の白井といった今年注目された選手たちだけでなく、いまはまだ無名のアスリートたちに、オリンピックをリアルに感じながら日々のトレーニングに励む幸福がもたらされたことを、大人として心から喜びたい。

……とここで原稿を結べればハッピーなのだが、残念ながら吉事の後にもやはり物議を醸すことは起きている。

オリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設費用の問題である。

なんせ当初1300億円と見込んでいたはずなのに、いつの間にか最大3000億円との試算に膨らんでいたのだ。現在もなお、維持費も含めた金額が頻繁に変更されるなど、計画そのものの杜撰さが指摘されている。

そもそもハディド女史のデザインに対しては、コンペ当時から疑義の声が上がっていたのだ。建設費用や施設規模のことを除いても、あの予想図を見れば神宮外苑周辺の景観にそぐわないのは明らかだ。

完成予定は2019年3月。しかし、オリンピックの終わった後も、スタジアムは残る。日本人にとって誇れる競技場でなければならないと思う。

もちろん、いかにオリンピックの御旗を掲げようとも、いい加減な支出が許されないことは言うまでもない。他にもお金を使うべき人や町が、いまこの国にはある。

その新国立競技場での最初のビッグイベントはラグビーワールドカップだ。そのラグビーは……と他競技へと話を広げていきたいところだが(なんせ野球とサッカーのことしか書いていない)、きりがないのでこの辺で。

ただラグビーの日本代表が今年ウエールズ代表を破ったことと、2019年のワールドカップには釜石も開催地として名乗りを挙げていることを記して、2013年の総括を終える。

あれからもうすぐ3年が経つ。良きことも、そうでないことも巻き込みながら、日本と日本人のそばに、今年もスポーツはあった。

フリーライター

1965年生まれ。早稲田大学中退後、『週刊宝石』にて経済を中心に社会、芸能、スポーツなどを取材。1990年以後はスポーツ誌を中心に一般誌、ビジネス誌などで執筆。著書に『冒険者たち』(学研)、『星屑たち』(双葉社)、『日韓ワールドカップの覚書』(講談社)、『東京マラソンの舞台裏』(枻出版)など。

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