「僕に嘘をつかせた令和二年」 amazarashi 秋田ひろむが語る
社会で生きる困難や痛みを真っ直ぐに歌い幅広い世代から支持を集めるロックバンド「amazarashi」。作詞作曲を手がけるボーカル、秋田ひろむさんに単独で、そしてJ-WAVE JAM THE WORLDでインタビューした。
今年は新型コロナに苛まれ、生活の根底が揺さぶられた1年。何を拠り所に生き、何に希望を見出せば良いのか迷いの連続だった。秋田さんは青森県で暮らしながら音楽活動を続けている。1人の生活者として自らの「痛み」を音楽に込め続けて来た。綴られる歌詞は文学的だ。
秋田さんは、この令和2年をどう生きたのか。わたしはぜひ聞いてみたかった。そして、2021年は東日本大震災、原発事故から丸10年。核関連施設が集まる青森県で生きる秋田さんにとっては、原発事故の問題は暮らしの延長の社会問題であり、政治の問題だと語る。
令和2年締めくくりのインタビューとして、ぜひ読者の皆さんに彼の言葉を共有しておきたい。
◆虐げられて来た自分 生活する人の歌
堀)
amazarashiの名前の由来を教えてください。
秋田)
普段の日常の中で起こる苦しみとか、悲しみとかを雨に例え「amazarashi」(雨晒し)としました。そういうところから希望が持てるような歌を作りたいという意味を込めています。
堀)
それは、秋田さんご自身が雨に晒されてきた、途方に暮れる時代を過ごされてきたから、ということでしょうか。
秋田)
そうですね。始めた当初は一度ミュージシャンを目指して東京で頑張っていたんですけど、一度挫折して地元の青森に帰って、それでも音楽を続けたくて、やってみようかなと始めたのがamazarashiでした。
堀)
今、雨は降り続いていますか?
秋田)
昔よりはだいぶ良くなったと思いますが、でも一生変わらない自分の人間性みたいなものが、こびりついているみたいな実感はあります。
堀)
僕がamazarashiの音楽を聴くきっかけは、原発事故で避難を強いられた女性が教えてくれたんです。「堀さん、この曲を聞いてくれませんか?私はこの曲に支えられているんです」と。「自分自身も原発の事故、震災、あの時の気持ちを、記憶をもう一度思い出すために聴くんです。鼓舞されるんです」と。「本当に大切なものを見出して、そして闘う時に聴くんです。ここには色々なストーリーが曲の中に」と教えてくれたんですよね。
僕も自分の映画をどういう内容にしようかなとか、日々の取材で社会問題と向き合う中で聞き入っていました。香港の情勢についても、世界で起きている紛争や弾圧についても、コロナ禍についても、取材を進め考えている時に、秋田さんはまさに雨に打たれながらも「伝えなくてはいけないことがある」と声を上げ続けている。しかもその目線は生活者に根付いたものであるという。この音楽にはそれぞれの「わたし」を歌っているのかと思わせる物語があるので、惹かれていったんですよね。
秋田)
嬉しいですね。でも作っているときには自分自身のことを歌っているので、すごく個人的な痛みだとか、苦しみを歌うことが多いので、それが他の人に共感されるというのはとても不思議な感覚なんですよね。
堀)
秋田さんが、感じる苦しみや痛みというのは具体的にどのような感情に基づいたものなのでしょうか。
秋田)
そもそもは自分嫌いから始まって、自分に自信がないとか、肯定感がないとか。それでもなんとか生きていかなくてはならないというところから始まって。それを自分の歌で解決していく作業というか。そういう風に曲を作っています。
堀)
この1年の社会を振り返ると秋田さんはどんなことを強く感じていましたか?「コロナに負けるな」という強いメッセージもメディアを通じて社会で語られる1年でもあり、いろいろな痛みの現場があったかなと思いますが。
秋田)
結局、全てが信用できないなと思ってしまって。自分のことで言えば、音楽があってアルバムを作ることで、自分の主観でしかものがつくれないなと思っていて、amazarashiに関しては。その主観をちゃんと描こうと思ったんですよ。それは、あまりにもネットとか、ニュースとちょっと穿ってみちゃう。騙されそうみたいな。ちょっと一歩ブレーキを踏んで見ていた一年でしたね。
堀)
秋田さんの歌詞を拝見していると、これまで発信されてきた想いと重なる部分がコロナ禍でよりアクセルを踏むことになったのか、そのあたりはいかがですか?
秋田)
「生活する人の歌」だと思っていてamazarashiは。純粋に青森に住んで、生活して、仕事して、というところから見える景色の中で、多分、昔は、初期の頃は自分が虐げられているなと思って生きていて、そのために始めたんですけどAmazarashiは。その視点はずっとあるというか。今のように音楽で生活ができるようになっても、ずっと、その気持ちは自分の中で残っているという感覚はあります。だからニュースなどで辛い思いをしている人を見るとそっちに感情移入してしまうというか。
堀)
虐げられているなというのは、もう少し紐解くと、どのような背景があって、どのような出来事があったのか。
秋田)
10年以上前、東京でバンドをやっていてそこで一つ挫折して、解散して青森に帰ることになったんですけれども。その頃に心を壊してしまって、うつ病みたいになって。で、そこから、いい年で仕事もしていなくて、東京から青森に帰ってきてバイトはするけどうまくいかないという生活の中で、社会から爪弾きにされている感覚がありましたね。そいうところから始まったことです。
堀)
以前、青森で取材をした時に強く印象に残る言葉と出会いました。
戦前、軍部が力を増すきっかけになった「二・二六事件」に参加し処刑された陸軍将校の妹さんが、当時100歳で青森県内でご存命でお話を伺いました。軍人のお兄さんは、実家の青森に帰って来るたびに地元の子供たちに青空学級で勉強を教えてあげたりする人格者だったそうですが、妹はある日、兄が持って帰ってきた荷物の中にあった日記を見てしまうんです。そこにはクーデターの計画や、なぜ政府を倒そうとするのか、複雑な思いが書かれていたといいます。「貧乏な兵隊が血を流し拡大した領土で、財閥が金儲けをし、それとつながっている政治家も私腹を肥やしている。貧乏な農村・漁村を救わなければ日本はダメになる」と言った内容で、妹さんは「現代も構造は全く変わっていない。格差の上にこの国が成り立っている。いつも貧しいものが虐げられ、富めるものが自分達の思うように世界をつくっている」と憤り、当時のメディアは伝えてくれなかったと、私たちの取材で証言をしたいと申し出てくれたんです。
僕は秋田さんの曲を聴いたり歌詞を読んでいて、同じような無念さだったりとか、「なぜこの声を聞かないんだ」というメッセージが自分の心の中に響くなと思って、そして、まさに「メディアは何をやっているんだ」という点は、自分自身への問いとしても突きつけられているなと。秋田さんは、今のメディアの課題についてはどのように考えているのですか?
秋田)
今、ネットとかはもう広告が当たり前じゃないですか。amazarashiももちろん利用しますけれど、なんか、そういう風に見えてしまうというか。2ちゃんねる世代なので、その頃ってネットは自由だという風潮があって、その感じで見ていたけど、最近は検索するとほぼ広告だしとか、ツイッターでバズってるとか見ても、これ広告なんじゃないかって、そういう疑いで見てしまうことはすごくあって、誰かが何にも知らない人から奪おうとしているんじゃないかと見えますね。
◆原発事故とAmazarashi
堀)
避難を続ける女性が「そうだと思う」と僕に教えてくれたAmazarashiの曲の歌詞の一節があって。「古いSF映画」のこの部分です。読み上げていいですか。
僕らが信じる真実は 誰かの創作かもしれない
僕らが見てるこの世界は 誰かの悪意かもしれない
人が人である理由が 人の中にしかないのなら
明け渡してはいけない場所 それを心と呼ぶんでしょ
僕は人の尊厳というのはそれぞれの心の中に大切に仕舞われているものであって、決めさせないとか、限られた選択肢の中でしか決断させないとか、そういう状況が尊厳を傷つけるんだということを、原発事故の取材をする中で感じるようになったのですが、この歌詞には重なる部分があるのではないかと思って聴いています。この曲が生まれた背景を教えていただけませんか?
秋田)
その頃、住んでいたのが青森県むつ市の関根というところで、車で5分もかからない位の所に(原発の使用済み核燃料の)中間貯蔵施設があったので、福島での事故を見た時にすごく共感しやすい距離にいたというか、すごい想像してしまって。住んでいる人は「絶対」安全というのを漠然と信じていて。危険なのはみんな知っていて。でも、CMでは「安心なエネルギー」とか言っているから「安心なんだろうな」位の感じで暮らしていて。でも事故が起きて「まさか」というか「起こるんだ」という気持ちが、自分の環境とダブったというか、青森県内には原発関連の施設も多いですから、事故が起きた時には俺たちもいってしまうじゃやないかと。「明日は我が身だ」と。共感できる場所に住んでいた時に書いた歌です。
堀)
「明け渡してはいけない場所 それを心と呼ぶんでしょ」というフレーズが特に印象に残りましたけど、どうしてこの言葉を選んだのでしょうか。
秋田)
純粋に、原発だけのことでいったら個人的には反対なんですけど、友達とかも働いているし、先輩があそこに勤めているだとかよく聞く話で。そういう人たちは家族がいて、それで生活している人がいるというのを考えると、純粋にやめろよと言えなくなっちゃうというか。青森の違う問題とダブってくるなって。一回、その人間性がそこに見えてしまうと厳しくは言えなくなっちゃうというか。
堀)
拳を振り上げるだけでは解決しない問題があるんだなというのは、確かにありますよね。まさに原発の問題はそういうジレンマがあるし、対立している問題は特にそういうですよね。でも、それでも「聞く」、それでも「みる」という方向になるのか、もう目をつぶってしまうのかに分かれるんだと思いますけど、秋田さんはどう思われますか?
秋田)
個人的には、そういうことから離れたいタイプの人間だとは思っているんです。静かに暮らしたいみたいな。でも、なんか、音楽がそうさせるじゃないですけど、好きなミュージシャン達はそういう話をするし、問題提起をするし、それに憧れてやっているというか。音楽に引っ張られているというのはあります。
堀)逆にホッとするというか、共感するというか、ファイティングポーズを撮り続けたり、世の中に意見し続けるというのは大変なことですよね。
秋田)
タフな人だなと思います。言い続けられる人は強い人だなって。
堀)
でも「音楽が」というのは、聴いてくれる、届ける先の人たちのことも見えているからかなと想像するのですが、実際にはどうなのでしょうか。
秋田)
作る時には自分だけのためにつくろうといつもやるんですけど、でも、その自分の個人的な痛みを共感してくれる人が意外といて。例えば、海外とかにも広がったりしているし、それは不思議な感覚です。救おうと思ってやっているわけではないので、そこをやると自分がしんどくなってしまう。でも嬉しいし、力にはなります。
堀)
「救おうと思ってやったら自分がしんどくなる」というのはどういうことですか?
秋田)
昔、挫折した時に、その時にはすごくデビューしたくて、知り合いの音楽関係者に色々言われてその通りにやるというのを繰り返していたらうまくいかなって、しんどくなっちゃって。今度音楽をやる時には自分の好きなようにやろうと。目的は音楽をやることなんで。自分がやりたいことだけをやるんだったらずっと続けられるなと、自分で決めたんですよ。
堀)
取材の中でもそうしたことを感じることがあります。社会正義のためにと思ってやっていたらどこかで間違うし。目の前の大切な人、もしくは自分がこうするべきだと思うことを伝えることが結果として何かの変化に繋がるのかなと思うようになりましたね。2ちゃんねる世代と仰っていましたが、僕も同じ世代なので何か通じる感覚があるのかなと。
秋田)
なんだかアンダーグラウンドがオーバーグラウンドになったんだなと今のツイッターとかを見ていると思って。蓋をしていた陰口みたいなものがメジャーになっちゃったなみたいな、そんな風に見えてしまいますよね。
堀)
そういう様子をご覧になっていて秋田さんは何を思われているのですか?
秋田)
触れたくないなと。あまり見ないようにしていますね。攻撃性というか、1人の主観の言葉があったとして、主観なんて人それぞれなのに、それが違うだけで・・・。それこそ繋げるべきだなと思うんですけど、なのになんで攻撃しちゃうんだろうと。
◆自分が選ばれない側だったら
堀)
ちょうど「辻褄合わせに生まれた僕ら」の歌詞の中で僕が共感した歌詞は、
誰もが転がる石なのに 皆が特別だと思うから
選ばれなかった少年は ナイフを握り締めて立ってた
匿名を決め込む駅前の 雑踏が真っ赤に染まったのは
夕焼け空が綺麗だから つじつま合わせに生まれた僕等
という部分。「誰もが転がる石なのに、皆んなが特別だと思うから、選ばれなかった少年はナイフを握りしめて立ってた」。今、国内外、世界中で多様性が叫ばれるようになり、「100人いれば100通りなんだよ」と言われる一方で、違いがわかればわかるほど、だったら関わらない、だったら認めない、だったら排除するという、違いを知れば知るほど、対立や分断が深まる方向に向かっているというジレンマを感じています。この歌詞に出会った時に、まさにそうした状況がふと重なって見えたので、曲の背景をぜひ聞いてみたかったんです。
秋田)
この歌詞は、自分が選ばれなかった少年だとしたら、社会から見放された人間だったら、自分は自殺するタイプだと思っているんです。同じように、他人に怒りを向ける人もいると思うんですよ。ナイフを持った少年はまさにそうした状況を描いているんですが、やはり自分の報われない状況を描いたんだと思います。強烈にもがいているというか、amazarashiの曲はラストに小さな希望を入れています。曲を書いているなかで、答えは見えないですけど自分なりの希望が欲しいと思っているんですよ。最後の歌詞で、自分なりの希望を見つけることができた、完成だ、という作り方をしていて。それだけに、一番自分の苦しい部分を描いています。
堀)
令和二年といえば、4月の緊急事態宣言期間中は、色々な気づきがある一方で、人々が孤独や不安に苛まれた期間でもありました。心の柱を保っていられないような期間だったと、僕自身も感じていました。秋田さんはどのように過ごされていましたか?
秋田)
自分も同じで、すごく孤独を感じて、メンタルが折れた時期もあったんですけど、本当に暇で、曲を作ることしかやることなかったし。時間が経って少し元気になった時に、音楽にかける時間が増えたというか。単純に作るだけではなくて、録音する勉強もできたり、部屋でしたりもして、そういうのが繋がって、今回のアルバムも自宅でレコーディングしたし、そういう悩みながらももがいて、前進できたかなという年ではありましたね。
堀)
秋田さんが、青森での暮らしの中で見つめた世界というのは、どんな日常だったのでしょうか。
秋田)
すごい取り残されたような気がして。自分自身が。言葉にするのが難しいですが。
◆僕に嘘をつかせた令和二年 その先の救済は?
堀)
今年は年末に「令和二年 雨天決行」をリリースしましたね。どんな思いを込めて作った曲になりますか。
秋田)
日記のような感じで作ったんですよ。「令和二年」という曲はやることがない時に作ったんですけど、そこからツアーも延期になって。だったら今年中に音源出すしかないかと。だとしたら、今のコロナ禍での自分の生活を記録しておくことが一番いいなと思ったんですよ。それで全6曲つくりました。
堀)
「令和二年」の中で、僕が気になる箇所がありました。
仕事がなけりゃ 先立つは金 見捨てられた市井 令和二年
先は見えない「けど大丈夫」 僕に嘘をつかせた 令和二年
この「僕に嘘をつかせた」という一節はどんなことを想って文字にされたのですか?
秋田)
結構、「大丈夫だよ」って自分自身も言ったなと思いまして。もっと切ないのは、「大丈夫だよ」と言われることで。みんな周りも言うじゃないですか。大丈夫だよって。
堀)
確かに。「大丈夫」「頑張ろう」「負けない」こう言う言葉で溢れると、逆に「もうダメだ」「もうしんどい」「負けてしまいそう」と言う思いを吐露しにくくなる空気が生まれますよね。僕もそれは実感しました。
秋田)
なかなか言えなくなりますよね。すごい止むに止まれず作ったアルバムというか。今後10年先に今年のことを思い出す時に記録しておくべきだと思ったんですよ。すぐ忘れちゃうじゃないですか。その瞬間思ったことを作品にしておくのが重要なことなのかなと思いました。
堀)
忘却というのは悪意なく訪れるというか。それぞれ日常があるし、持ち場を守るのが精一杯で。気がつけば2011年3月の震災、原発事故さえ、心の中で小さなものに変わっていたりとか。秋田さんは「忘れていく」ということについてはどんなことを感じますか?
秋田)
怖いですよね。怖い。同じ過ちを繰り返すのが一番怖いと思うんですよ。自分のことでもそうなんですけど。あの時は「次は絶対こうしよう」と思うのに、同じことを繰り返してしまうことってあるじゃないですか。人間関係とかでもそうですけど。「覚えておく」ということが、今自分が思う、やっておくべきことなんじゃないかなと思っています。
堀)
一方で、思い続けることが負担になってしまうことがありませんか?この記憶を抱きかかえながら生きていくのか、と。例えば、メディアの報道ではいつまでも震災の記憶を「被災者」に背負わせてしまう描き方をしていないかとか。秋田さんはどう思われますか?
秋田)
周りの人間ですよね。加害者にならないために覚え続けるためで。被害者、傷ついた人は忘れられるのが一番ですよ。
堀)
今年は特にコロナもあって、世の中見上げる空はグレー色だったと僕自身思うのですが、今こそ、何をするべき、何が必要とされていると思いますか?
秋田)
難しいですよね。ミュージシャンの視点で言えば、説得力が必要だと思っていて。要は自分の敵を説得するくらいのパワーがないとダメだなと思っていて。自分のことを好きな人はわかってくれるじゃないですか。同じ意見の人だったり。「繋ぐ」ということを考えた時に、説得力なのかなと考えたりはしましたね。
堀)
「説得力」というのはどんな意味で使われていますか?
秋田)
言葉だったり、音楽だったり、ビリー・アイリッシュが政治的なことを言ったりするじゃないですか。ああいうことだと思うんですよね。Amazarashiはそれがないという自覚があるし。単純に売れる、売れないじゃなく、戦っている姿を見せる勇気、そういうことなのかなと思います。
堀)
その勇気の源泉は何ですか?
秋田)
身近な人の幸福、仲間たちの幸福・・・。それしかないかな。守るために頑張る、ということ。
堀)
幸福や平和とか、その言葉の意味は100人いれば100通り。それぞれに思う、平和や幸福の形があると思っています。時にその違いがぶつかり合う原因になったり。
秋田さんにとっての「幸福」とは。どんな幸せの像が見えるのでしょうか。
秋田)
一生音楽をやりたいですね。それが一番の幸せです。Amazarashiをやっている中で、音楽に助けられた、じゃないな。単純に好きなんでしょうね。好きだからやめなかった。好きだからずっと続けるために人から言われたことはやりたくないとか。自分のやりたいようにやるというのが幸せですね。
◆「政治を音楽に持ち込むな」への反論
堀)
amazarashiでは最後に希望を描くと先ほどお話しされていましたが、音楽が好きだという話と繋がってくる部分があるのかなと思いながら聞いていました。なぜ最後に希望を込めるのか?
秋田)
自分のために作っているからです。自分が救われたくて、自分が聞きたいものを作っているわけだから、自分の答えを探す方法が音楽なのかなと。
堀)
僕はamazarashiの音楽を聴くたびに、宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」を思い出すんです。
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ
色々なバックグラウンドを持った人たちが秋田さんの音楽に救済されていく様子に心が惹かれます。普遍的なテーマ、メッセージがそこにあるんだと思いますが、秋田さんはどのように歌詞を書き上げていくのでしょうか。
秋田)
東京で病んでいた時に、お金もなかったんで、BOOKOFFとかに行って。100円コーナーで古い小説を買って読んでいました。太宰治とか、寺山修司とかそのあたりを。元々はロックバンドだったので音楽=反体制というのは影響を受けてきたと思います。媚びたら負け、みたいな。
堀)
声を上げるのが、おっかない時代でもあるなと思っています。意見を述べたらあっという間に反論されて否定されるような。怖くなって思わず沈黙してしまうことが僕にもあるんですよね。でも、amazarashiを僕に紹介してくれた、原発事故での避難者の女性は、国や電力会社を相手どる裁判まで闘って、声を上げ続けている。そういう人たちの姿をご覧になって、秋田さんは何を感じましたか?
秋田)
すごいと思います。自分ができるかなと考えたら、やっぱり躊躇しますよ。そもそも、自分自身は率先して意見を言うタイプの人間ではないし。だからこその「表現」で。この方法でなら言えるというのがあるんだと思います。音楽に関しては。堀さんの映画を見たんですけど、女性の方が座り込みをしていて抱えられているシーンとかあるじゃないですか。自分はできるかな?とかすごい思って。できないよなと思ったんですよ。みんなそれぞれ思いはあるけど、怖くて行動できないことは多いと思うんですけど、それを突破する力が音楽には、多分自分にはあるんだと思うんで。
堀)
表現の世界に、音楽や芸能、スポーツの中に「政治を持ち込むな」という声も聞かれますよね。秋田さんはどう考えていますか?
秋田)
絶対間違いですよね。持ち込んでいいと思います。特にamazarashiとかもそうですけど、生活を表現するのであれば、密接に関わってくるものなので、政治は入り込んできますよね。さっき言った、住んでいる家の近くに原発関連の施設があるとか、そういうのも生きていれば当たり前のようにぶつかるものなので、それを表現して何が悪いんだと思います。
(了)