望郷の念に駆られた、孫太郎の軌跡
江戸時代は厳しい鎖国体制が敷かれていたこともあり、自由に海外に行くことはできませんでした。
しかし中には遭難したことによって思わぬ形で海外に行ってしまう人もおり、今回紹介する孫太郎はその一人です。
この記事では孫太郎が帰国するためにどのような手段を取ったのかについて紹介していきます。
タイコン官との涙の別れ
孫太郎はバンジャルマシンでの生活に満足しつつも、年を重ねるごとにふと心に影を落とすものがありました。
それは故郷への想いです。日が経つにつれ、彼の心は故郷の空気を吸いたいという望郷の念に満ちていきました。
しかし、ここは異国の地、容易に帰れるわけではありません。
そこで孫太郎は、儒教思想に基づく「孝」を重んじる中国人たちの習慣を思い出し、ある作戦を思いつきます。
そして運命の1770年の秋、孫太郎の運命は転がり始めました。
その日、タイコン官は外出しており、屋敷には孫太郎と老母だけが残されていたのです。
肩の調子が悪い老母のために、孫太郎が肩を揉むことになり、絶妙なタイミングで話を切り出しました。
彼は日本に残してきた両親のことを涙ながらに語り、兄弟もいないために誰も面倒を見る者がいないと嘆いたのです。
もちろん、これらはすべて孫太郎の巧妙な作り話でした。
実際には母は早くに亡くなり、父も15歳の時に他界していたのです。
しかしそんなことを知る由もない老母の心にはすっかり孫太郎の嘆きが染み入り、深い同情を寄せることになったのです。
数日後、タイコン官が孫太郎を呼び出し、「お前、日本に帰りたいのか?」と尋ねました。
孫太郎は故郷の両親の最期を見届けたら、必ずまたバンジャルマシンに戻り、再び仕えると誓ったのです。
その誓いを聞いたタイコン官は、「日本は遠いが、もし両親への孝行が叶うのならば、便船が見つかり次第、帰ってよい」と許可を出し、さらにはオランダ船に乗る手配までしてくれたのです。
そして1771年の春、ついに帰国の時が訪れました。
孫太郎はオランダ船に乗り、バンジャルマシンを後にしたのです。
見送りに集まったのは、タイコン官をはじめとする多くの仲間たちでした。
皆、蚊帳や剣、布など様々な土産を持たせ、浜辺まで見送ってくれたのです。
別れの時、老母は下男に肩を借り、涙ながらにこう言いました。
「お前さん、願いが叶って本望であろう。どうか日本で親孝行を尽くし、無事に故郷に帰るのだぞ」と。
孫太郎はその言葉に感謝しつつ、目を潤ませながら手を振り続けました。
船が遠ざかるまで、浜辺には見送りの人々の姿があったのです。
参考文献
岩尾龍太郎(2006)「江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚」弦書房