山本量子さんのお別れ会にあった“思いの水流”。そして、55文字に込めた思い
関西の多くのラジオ番組で存在感を示し、多くの人から愛される中、8月18日に48歳で逝去した山本量子さん。「お別れ会」が11日に開催されました。
僕も会場に行かせてもらいました。会場には晴れやかな表情の写真や、思い出の品が展示され、山本量子さんへのメッセージを綴る場も設けられていました。
親交のあった芸人さん、タレントさん、仕事関係者の方々もたくさんいらっしゃっていました。ラジオを通じて零れ落ちてくる山本さんの人柄に惹かれたリスナーさんもたくさん、たくさんお越しになっていました。
会場は毎日放送一階にある「ちゃやまちプラザステージ」。普段はラジオの公開イベントなども行われる広いスペースですが、すれ違うのにも苦労するほど人で埋め尽くされていました。
「お別れの会」という特性上、もちろん、悲しみの感情も存在するものの、それ以上に皆さんが晴れやかで、うれしくて、ほこらしい顔をされているのが印象的でした。
「自分たちが大好きな山本量子がこれだけの人に愛されている」
互いの存在が互いの喜びになり、互いの癒しと赦しになる。その循環を強く感じる場でもありました。
その空気を深く吸う中でメッセージを書くコーナーに案内されたのですが、スッとペンが動きました。
「縁は簡単に切れるものではない。どこまでも続きます」
どんな言葉を書いたら良いのか。そんなことを一切考える暇もなく、もう書き終えていました。
人の思いは見えないものです。人の思いに質量はないはずです。でも、あの場にはあまりにも思いが凝縮しすぎていて、海の中のように水流ができていました。その力で知らないうちに文字を綴っていた。書く仕事をしているので、書くことには多角的に繊細になっているつもりですが、脊髄反射的に書いていました。
会場を出る時、山本量子さんのマネジャーさんからカードをいただきました。山本量子さんからのメッセージということでした。名刺大のカードに文章がプリントされています。
この仕事に出会えたこと
音楽に出会えたこと
そして
皆さんに出会えたことが
私の宝物です
愛と感謝を込めて…
量子
2024年8月
山本量子さんが旅立つ2、3日前にスマートフォンに残していた文字だそうです。その時の思いを病床で綴っていたと。
自分の命の期限を感じる。その中で文字を残す。この文字が皆さんに届くということはどういうことなのか。
誰でも命の期限は決まっています。ただ、健康でいる時にはそれが見えにくい。一方、期限を否応なく突き付けられる中で、体も極限状態であろう中で、自分が何を綴れるのか。
「仕事に出会えたこと」という部分には過去形を使っているが「私の宝物です」には過去形を使っていない。「宝物でした」と書いたら、もう認めてしまう。終わってしまう。そうならないでほしい。
こんなものは僕の勝手な想像です。本当のことは分かりません。たった55文字。その向こう側に奥行きをどこまでも感じますが、そこに何があるのか。本人にしか分かりません。もしかしたら、ご自身も探していたのかもしれません。
人の死は二回ある。一回は肉体的な死を迎えたとき。二回目はその人のことを覚えている人が一人もいなくなったとき。お別れの会に充満していた思いの濃度から考えると、この先、山本量子さんはとんでもない長寿になるはずです。
書く仕事をしているはずですが、こんな手垢のついた言葉くらいしか綴れません。
それくらい、温かく、尊く、切なく、やさしい場でした。全ての言葉が陳腐になるほどに。