森喜朗さんの逆ギレ会見がなぜ許されるのか
あの逆ギレ会見がなぜ許されるのか。「いや、私は許していない」という人も多いだろうが、そのような世論が高まったところで結局は何が変わるでもない様をこれまで見てきた。
民意よりもその政治家とその周囲の意向が優先され、問題発言をした張本人は、怒りの声を上げる側が疲れ果てるのを待てば良いだけ。「女性はいくらでも嘘」発言も「セクハラ罪はない」発言もそうだった。
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森喜朗さん(東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会長)の「謝罪」会見を見て、つくづく羨ましいと思った。
森さんは、「世界にはどんな風に説明していきたいとお考えですか」と質問する女性記者の言葉を途中で遮るようにして、喋り始めた。質問への回答は長く、要領を得ずわかりづらかった。
男性記者に「森会長の方からIOCに説明される意思はありますか」と聞かれ、不機嫌そうに「それは必要ないでしょう、ここで話しているんだから」と答えた。
また別の記者に「責任を取らないことは開催への批判を強めるのでは」と聞かれ、「あなたのおっしゃる通りのことは最初に申し上げたじゃないですか」と逆ギレした。
「会長は女性の話が長いと思っているのか」と聞かれ、「最近女性の話を聞かないからあまりわかりません」と突っぱねた。
「いくつか質問させてください」と言われ「いくつかじゃなくてひとつにしてください」と記者が本来守る必要のないルールをさも当然かのように提示した。
「(そういう発言をする人が)オリンピックの組織委員長をすることは適任なんでしょうか」と聞かれ、「さあ。あなたはどう思いますか」と逆質問し、「適任ではないと思います」と記者が答えると「じゃあそういうふうに承っておきます」と不貞腐れた。
その後、質問を重ねた同じ記者に対して「面白おかしくしたいから聞いているんだろう」と吐き捨て、司会進行の男性は記者の質問を遮った。
最後の記者から「(女性が話が長いというのは)データや根拠に基づいた発言とは思えないが」と問われると、「僕はそういうことを言う人がどういう根拠でおっしゃったかはわかりませんけど」と逃げた。
「今回のことで、みなさん怒ってるんですね」とたたみかけられると、「さあ」と声を出し、「森さんの五輪を見たくないという声もネットで上がっています。そういう声をどう受け止めますか」という質問には「だから謙虚に受け止めて、撤回をさせていただくと言っているんです」と、謙虚に受け止めているようにはまったく見えない様子を見せた。
そのあとは司会が「発言に関しては冒頭すでに会長から申し上げた通りになります」と締めくくって、退出。
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私が羨ましいと感じるのは、森さんがこのような逆ギレ会見をぶち上げたところで、「男は感情的」とは言われないことだ。
「男の話は要領を得ない」とも「男はすぐ逆ギレする」とも「男はまともに質問に答えられない」とも「男は都合の悪いことを聞かれると逃げる」とも「男は記者を威嚇する」とも「男は反省しない」とも「男は偉そうだ」とも言われない。
もしこれが女の政治家や経営者なら「これだから女はダメだ」と言う人が必ず現れる。そのようにして、女が居づらい場所が無数につくられてきた。政治の場だけではなく、いくつもの組織の中で。
会見の中で森さんはクオータ制について問われ、「民意が決めることじゃないですか。反対でも賛成でもありません」と言った。毎日新聞の取材に対しては、「話が長い」発言の真意について「一般論として、女性の数だけを増やすのは考えものだということが言いたかった」と答えたと報じられている。
役員などに占める女性の割合を一定数まで引き上げるクオータ制の話が出ると、必ず「性別に関係なく、能力で選べ」と言う人が現れる。じゃあ、現在の男性たちは性別に関係なく能力だけで選ばれてその地位にいるのですか?ということが問われているのに。男が男を男だからという理由で(意識的にしろ無意識にしろ)選んできたことが問われているのに。
意思決定権の場に女性がいないことを、「女性の能力が低いからだ」と考えられる短慮な人が羨ましい。
「女は感情的」「女の話は論理的ではない」「女の話は長い」といった、根拠レスな偏見は世の中にあふれている。そもそもが根拠レスな偏見なのに、反論にはエビデンスや説明が求められる。どうしたって「男性側」の声のほうが大きい。萎縮しない女性の方が稀だと思う。感情的だと思われないよう、論理的ではないと思われないよう、無駄に話が長いと思われないように気を使う。
そのような心理を知らずとも、日本では首相経験者になれる。彼を守る壁が強固だからだ。
守っているのは誰なのか。女性が組織の中で能力を発揮しづらい環境要因を自分たちでつくっておきながら、女性の社会進出が進まないのは女性の責任だと思っている人は、森さんだけではないはずだ。