EU、英国がワクチン問題で衝突 「代理戦争」でアストラゼネカがターゲットに
(「メディア展望」3月号掲載の筆者記事に補足しました。)
英国が欧州連合(EU)から完全離脱した今年1月、新型コロナウイルス感染症(COIVD-19)のワクチン供給を巡って両者は大きく対立した。新たな協力関係を築くはずの英国とEUは、互いへの不信感を募らせてしまった。
この問題について、欧州大陸に住む人と在英者の視点は若干異なることがあるようだ。
ここでは、在英者の視点から、ワクチン騒動を振り返ってみたい。
どこに衝突のきっかけがあったのか。
EUは一括注文、英国は独自の道を選択
昨年、新型コロナウイルスの感染が世界中に広がった。英国は1月末時点でEUから離脱していたが、12月までの「移行期間」中、加盟時とほぼ変わらない扱いを享受した。
6月、EUはワクチンの購入交渉を一括して行う仕組みを設置。より低価格で購入し、加盟国間の競争を防ぐ狙いがあった。義務ではなかったが、全27加盟国が参加した。離脱への移行期間中の英国も参加できるはずだったが、そうしなかった。
この枠組み以外でも、加盟国が交渉済み以外のワクチンを独自に購入することは可能で、例えばハンガリーはロシアが開発した「スプートニクV」を200万回分注文している。
EUの行政府、欧州委員会は一括注文したワクチンを加盟国の人口比に応じて配分し、EU域内で一斉に接種が始まる姿を描いたが、「注文量が少なすぎる」という不満が出た上に、加盟国によって実施の開始時期やその速度に差がついた。
9月、ドイツは一括購入の枠組みで注文済みの米ファイザーと独ビオンテックによるワクチンを自国用に独自注文し、足並みの乱れも見えた。
EUがもたつく間、独自の購入方式を選択した英国は、ワクチン接種を着々と進めた。
3月31日時点で、英国のワクチン接種者(1回目)は約3000万人。BBCの計算では100人当たり51人が接種済み。EUの場合は100人当たり16人。大きな差が出た。
英アストラゼネカの供給減少に不満爆発
ワクチン供給を巡る大きな論争が生じたきっかけは、1月22日前後、英国とスウェーデンの製薬会社が合併してできたアストラゼネカ(本社英南部ケンブリッジ)がEUに対し、ベルギーとオランダに置いた工場で製造上の問題が生じ、当初納品予定だったワクチンの量を大幅に減少させざるを得なくなったと伝えたことだ。
この時点で、欧州医薬品庁(EMA)はアストラゼネカのワクチンを使用認可していない。
昨年12月に認可済みとなったファイザーのワクチンもEUへの供給が遅れ、一部の加盟国では接種の実施を一時停止せざるを得なくなっていた。
アストラゼネカによる供給量の減少報告に対し、欧州委員会や加盟国のいくつかが「そんなことは受け入れられない」というメッセージを出すようになっていく。
フォンデアライエン欧州委員長は1月26日の世界経済フォーラムのオンライン会合で「欧州はワクチン開発のために数十億ドルを投資した」、企業はワクチンを「供給し、義務を果たさなければならない」と述べた。
複数のワクチン・メーカーへのメッセージではあったが、筆者はこの部分の動画が英メディアで紹介されるたびに製造ラインに問題があると説明したアストラゼネカに対し、問答無用で「結果を出す」ことを要求するようなトーンを感じたものである。
その後、EU指導部・主要国から、アストラゼネカ及びそのワクチンを順調供給されている英国を「仮想敵」とするような表現が出てきた。
例えば、アストラゼネカのソリオCEOが伊日刊紙「ラ・レプッブリカ」のインタビュー(1月26日付)の中で、英国へのワクチン供給体制でも同様の問題が生じたが、英国とのワクチン契約はEUとの契約よりも「3か月早かった」ので、「問題を解決できた」と説明した。
日刊紙の記者から、英国で製造中のワクチンをEUに回すことはできないのかと聞かれ、同氏は英政府から「英国のサプライチェーンを使うワクチンは英国内に供給するように」と言われているとも述べた。これがEU指導部の反発を招いた。
同月27日、EUはアストラゼネカに対し英国の工場で生産中のワクチンを加盟国に提供するよう強く求め、欧州委員会のキリアキデス保健担当委員は「早い者勝ち理論」は「隣の精肉店であれば通用するかもしれない」が「こうした契約では認められない」と反論した。
さらに、同月29日、マクロン仏大統領はアストラゼネカのワクチンは「65歳以上の人にはほとんど効果がないとみている」、「私にはデータがなく、数値を確認する科学チームもいない」と述べた。
発言から数時間後、EMAは全年齢層の成人への使用を承認する。
英政府はアストラゼネカとオックスフォード大学のワクチン開発に巨額を投資し、アストラゼネカ製ワクチンの接種を大々的に進めていた。「データがない」と言いながらのマクロン氏の発言は、英政府の努力に水をかける表現にも聞こえた。
英政府のみならず、EU加盟国アイルランド共和国にも衝撃となったのが、EUが1月30日以降に運用を開始した輸出規制だ。加盟国が自国内からワクチンを輸出する場合、事業者に製造量や出荷先の情報を確認した後に出荷許可を出す体制である。
英国のEU離脱に向けての交渉で、難関となったのがアイルランドと地続きになる英領北アイルランドの国境問題だった。
帰属をめぐる紛争で多くの犠牲者を出した北アイルランドでは、和平合意の結果、アイルランドとの間に物理的国境を置かない体制が続いてきた。英国とEUは離脱協定とともに、国境検査をしないことを定める「北アイルランド議定書」で合意している。
ところが、EU域内で製造されたワクチンがアイルランドから北アイルランドへ、そして英国本土に流れることを懸念したEU側はこの議定書を事実上撤回し、国境検査を一方的に復活できる規定の発動を可能にしてしまった。
離脱交渉の過程では「北アイルランドの平和維持」を何よりも重視したEUが、この道を選択してしまったのである。しかも、アイルランドには事前の相談がなかったという。
英政府、そして北アイルランドのすべての政治家が大反対し、EU指導部はすぐに撤回せざるを得なくなった(輸出規制は続くが、国境検査は行われない)。
上記は筆者が在英者として見た一部始終であるが、欧州大陸に住むウオッチャーは異なる説明をするかもしれない。
しかし、一連の動きを通して、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が警鐘を鳴らす「ワクチン国家主義」をEUが体現した印象を世界中に与えてしまった。非常に残念である。
混迷は続く
その後も、EUと英国との間に、ワクチン問題を巡って軋みが続いている。
両者の衝突の「代理戦争」的様相を示したのが、アストラゼネカのワクチンだった。
3月に入って、アストラゼネカ製のワクチン接種を受けた人の一部に血栓症がでたことをきっかけにデンマーク、ノルウェーなどは使用を一時停止。これにほかの欧州の国も続々と加わった。
3月15日、WHOは、同ワクチンの接種を停止しないよう各国に求めた。Wワクチン接種と血栓の発生の関連を示す証拠はないという。
その後、EMAや英医薬品・医療製品規制庁(MHRA)が副作用のリスクよりも効果の方が高いと判断し、各国が使用を再開したが、国によっては接種者の年齢を制限するなど、規制をかける動きは消えていない。
一方、人口6700万人の英国では、すでに3000万人以上が少なくとも1回目のワクチン接種を終えている。医療関係者以外は高齢者から先に接種を受けており、現在は50歳以上の接種を急ピッチで進めている。英政府によると、年齢の高い順から接種を進める方針に変更はないようだ。
筆者の家でも、家人は今週末に2回目のワクチン(ファイザー)を受ける予定で、筆者は1回目(アストラゼネカ)を接種済み。6月には2回目の接種を受ける。
3月29日からは、イングランド地方(ロンドンを含む人口の90%が住む)では、ロックダウンが次第に解除され、6人以下であればほかの人と集まって談笑してもよくなった。ワクチン接種を拡大することで、何とかコロナ禍を乗り切ろうとしている英国だ。