病室からの帰り道は涙があふれた…姉を亡くした妹が「歌詞を作るWS」で言葉にならない思いを共有する理由
静寂の中に、誰かが口ずさむメロディーがどこからともなく聞こえてくる。「歌詞をつくるワークショップ(WS)」が開かれている東京都内のカフェ。「歌詞を作ることは、自分の中に深く潜っていく作業」と話すのは、集いを主宰するシンガー・ソングライターの石塚明由子(いしづか・あゆこ)さんだ。WSでは、参加者の心の中から導かれた言葉が、石塚さんの歌声に乗って空間に放たれる。石塚さんには、最愛の姉を看取った経験がある。しばらくは姉のことを語ることさえできなかったが、その気持ちを歌詞にして歌うことで、悲しみと向き合えるようになったという。「歌詞を作ったところで不安や悲しみは消えない。でも歌になれば誰かに届くもの。一人きりで抱え込んでいた気持ちが癒されたように感じた」と自身の体験を振り返る。石塚さんが伝えようとする、孤独な心を救う「歌のマジック」とは。
◼孤独な作業とメロディーの共有
IT系や教育関係、ヨーガ講師に大学生。さまざま職種の20代から50代の10人ほどがイヤホンを付け、流れてくるひとつのメロディーに耳を傾ける。
こうして始まるWSは、2013年から22年8月までに全国各地で47回の開催を数えた。参加者が言葉を導き出すための唯一の手がかりは、石塚さんから提供される2分ほどの課題曲(メロディー)だ。石塚さんがギターに乗せて旋律をハミングした音源がWSの1週間前に参加者に届けられ、言葉を引き寄せる呼び水の役割を果たす。
メロディーから呼び起こされる記憶や感情は、人によってさまざまだ。WS当日は、石塚さんから「歌詞を作るというのは自分との対話。メロディーに心を寄せ、自分の中にある素直な言葉を紡いでください」という30分ほどのレクチャーの後、歌詞作りに入る。1時間のうちに書き上げなくてはならないのだが、ほぼ全員が完成にこぎつける。
続く発表の時間、参加者は歌詞が「歌」となって旅立つ瞬間を迎える。車座になった面々の視線の先には、それぞれの直筆の歌詞、そしてギターを抱えた石塚さんが立つ。生まれたての歌詞一つひとつに、石塚さんは自身の解釈や思いを声色やアレンジに込め、その場で歌い上げるのである。
《季節は めぐって あなたは 消えていく 同じ夢を 分かちあってきたけど》
都内でヨーガ講師をする40代の男性は、人生の中で絶えず繰り返される変化を受け入れる気持ちを、こんな歌詞に込めようとした。だが、言葉がうまく収まりきらない。心残りのまま、石塚さんの歌に託した。歌声を聞いて、全く新しい印象に生まれ変わったことに驚いた。「歌になったら、凡庸な言葉でも立体的になることがわかった。歌の力ってすごいんだなって」
同じ旋律からでも、人によって全く異なる歌詞が生まれるのがこのワークショップの醍醐味(だいごみ)だ。
《ぽつぽつ ざぁざぁ しとしと ぴちゃぴちゃ 続く雨音 ゆがむ 景色 灰色》
《夜の川で 君にあったよ 草の舟で 渡ろう 夢でみた 回転木馬 瞳とじて》
参加者は、「同じメロディーなのに全然違うものができあがる」と驚きを隠せない。
2017年から定期的にWSを開いている東京・谷中のカフェ「COUZT CAFE + SHOP」のオーナー椿ひとみさん(33)は、「明由子さんが歌ってくれることで、何か受け取ってもらえたような気持ちになるのではないか。カッコつけようとどんなにこねくり回しても、言葉にはその人が今までに考えたことしか出てこないところが面白い」と語る。自分が書いた言葉に予想外の表情が生まれたり、他人の歌詞に自分の気持ちを見つけたり。書いた人も聞く人も、新たな歌との出会いを体験する。
■言葉にできない気持ちは歌に変換してしまえ
石塚さんは2013年にそれまで続けてきた音楽ユニットの活動を休止し、現在はソロで活動する。歌を始めた当初に所属したバンドで、メンバーの曲にボーカルの石塚さんが詩をつけるようになったことが、作詞を始めるきっかけとなった。
作詞の経験はなかったが、自分が歌うのに借りてきたストーリーは歌えないと、自分の中から言葉を見つける作業を繰り返した。やがてネガティブな感情を出し切ったような感覚を得たという。メロディーに言葉を乗せていく手法も、自身の生活の中からストーリーを見つけていくことも、このころ身につけたスタイルだ。
石塚さんが、「心の最も深いところから出してきた曲」と振り返るのは、2015年、ソロとして最初のアルバム「Hello, my sister」に収録した『ピアノ』という曲だ。最大の理解者だった姉を看取り、喪失の中で生まれた曲だった。10歳離れた姉は石塚さんに音楽の楽しさを教えてくれた。歌が好きで、まだピアノが弾けない幼い石塚さんに無理やり伴奏を手ほどきし、一緒に歌った。年が離れていたため、石塚さんが小学生の頃には進学のため家を出たが、帰省のたびに新しい楽譜を買ってきては、「これ弾ける?」と2人でピアノの前に座った。
姉が多発性骨髄腫という血液のがんを宣告されたのは40代の時だった。石塚さんは、その後3年間の闘病を姉のそばで過ごした。壮絶な治療が続き、いよいよ姉にとっての最終治療といわれた造血幹細胞移植も効果がなかったと医師から告げられた翌日、病院の廊下でぼうっと夕日を眺める姉の姿を見つけた。石塚さんは声をかけられなかったという。
「弱音を吐かない、本当に強い人だった。でも痩せ切った背中に、もうどうやって生きていけばいいのかっていうのが感じられて。あの日の光景は今でも忘れられないんです」。病室では泣かないと決めていた石塚さんだったが、病院から駅までの道のりはいつも、涙で先が見えなかった。『ピアノ』には幼い頃の姉との思い出をつづったこんな言葉が並ぶ。
《ドレミファソ ド ド ドレミファソ ファミレド これ弾いて あれ弾いて とお姉さん
褒められよう ほ ほ 褒められたい
そんなきもちでピアノを くりかえし くりかえし くりかえし
運命の糸が絡まったまま お姉さんは空へのぼっていった》
姉が亡くなってから数年は、姉のことを言葉にすることができず、自分の心の中だけに閉じ込めてきた。しかし歌詞に変換できたことで、姉の物語を自分以外の誰かに知ってもらえるとうれしく思えた。
「自分の中だけにとどめるより、歌にしてあげると、いろんなところに旅をしてくれる。受け取った人が同じような体験をした気分になってくれたり、違う捉え方をしてくれたりするから、一人きりのネガティブな気持ちが癒されていくように思う」。だからこそ、この体験をほかの人とも共有したい。その思いがWSにつながっていると石塚さんは話す。
■孤独から共感へ
WSで石塚さんが特に意識するのは、場そのものが持つ安心感だという。「パーソナルな部分に触れさせていただく会だからこそ、『ようこそ』と受け入れてくれるような空間であることは大切な条件の一つ」。なのだという。知らない者同士が集い、自分の心と向き合ったのち、ともに歌の誕生を見守る。その輪の中にいるからこそ、参加者は安心して言葉を交わし合うのではないか。
6月、宇都宮でのWSに参加したのは、小学6年生だった息子を1年前に脳出血で亡くしたばかりの40代の夫婦だった。書き上がった歌詞を前に、そこに集った人たちと息子に思いをはせた。
「生きるのもしんどいほど辛いけど、息子とのステキな思い出を私が覚えているために、生きないと」。歌詞づくりでは、まずは湧いてくる言葉を書き出し、そこからメロディーのパートごとに意味合いを分類して並べていった。前半では息子と過ごした時間の描写、後半では息子に思いをはせる気持ちをつづった。その作業に時間をかけることで、息子と過ごした時間を歌という形に残せた自分自身への納得感のようなものが感じられたという。
後日、石塚さんのもとへ届いたメールには、その後の心の変化がつづられていた。「言葉にして、深すぎてどこにあるのかわからなかったトゲが取れた感じです」
自身の参加体験をきっかけに、宇都宮で5回のWSを企画してきた三厨(みくりや)由美さんは、歌を囲んで生まれるやりとりが万華鏡のようだと話す。「心が沈んでいる時に、頑張れよのエールを人の歌詞からもらったり、暗い詩を書いてもそれが喜びの歌だよって思ってくれる人がいたり、いろんな角度から見てくれる」
書き手も聞き手も一つの空間に集い、顔が見えているから対話が生まれ、それぞれが心に持つ「似た感情」が見えてくる。石塚さんは「作品の中にその人を感じることで、幸せな気持ちになれる。他者の存在を知れた時、自己の存在を認識する。そんなWSを目指したい」と語る。
現代社会では、多くの人が孤独や孤立と背中合わせに暮らしている。そんな社会で歌詞をつくるワークショップは、音楽で心と心をつなげてくれる貴重な「止まり木」になっている。