格闘技界に新たな“ベンチャーの星”は誕生するか
格闘技界、究極の「ベンチャー企業」
6月5日(日)、東京・後楽園ホールで開催される立ち技格闘技イベント『SHOOT BOXING2016 act.3』が、とても気になる。
“ミスターシュートボクシング”とも呼ばれた絶対的エース、宍戸大樹(シーザージム=39)が4月に引退。シュートボクシングにとっては、団体の新たな方向性を提示する試金石的な大会となるからだ。
既存のキックボクシングやムエタイのルールに、投げ技や関節技(立った状態のみ)をプラスするという新機軸を打ち出し、シュートボクシングがスタートしたのは1985年。格闘技界をビジネスの世界に置きかえれば、かつてない特異なルールを発案し、老舗キック団体に追いつけ、追い越せと競技の普及に努めてきたシュートボクシングは、究極の「ベンチャー企業」ともいえるだろう。
等身大のエースがファンの心を揺さぶった
31年に渡るシュートボクシングの挑戦の過程では、幾多の名王者が誕生している。その中で、「宍戸大樹」は格闘技ファンの心にひときわ深く刻まれる名となった。
宍戸を“ミスターシュートボクシング”たらしめたのは、19年に及ぶキャリアや82戦の歴戦だけではない。
ジャッキー・チェンに憧れた少年が腕試しのために故郷・福島から上京し、体格差も何のその、他団体や海外の強豪に果敢に挑み、打ちのめされ、それでも前を向き、団体運営の仕事と並行しながら格闘技界随一とも言われた練習量をこなし、トップに上り詰めていく……そんな生き方そのものが、等身大のエースとしてファンの心を打ち続け、またシュートボクシングの開拓者精神を余すところなく体現していた。
ミスターシュートボクシングが残した言葉
宍戸が長いキャリアの中で残した言葉には、等身大だからこそ心にしみるものが多い。
たとえば、ひと回りもふた回りも大きい海外勢に苦戦を強いられていた時代。
「自分はここまでだったのか。これから、どこを目指していけばいいのか」
宍戸は悩み、悩み抜いた先に一つの答えを出す。
「パワーでもスピードでもかなわない外国人に勝つためには、体力、スタミナ、トリッキーさ、奇抜さという部分を突き詰めていくしかない」
練習量を2倍、3倍と増やした末、連打の合い間にバックキックやバックブローを織り交ぜる、宍戸独特のノンストップファイトが生まれた。
2006年、団体の威信をかけて出場したK-1 MAXで、宍戸はブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)の左フック一発で失神KO負けを喫した。試合時間わずか15秒。屈辱的な敗戦に進退を考えるまで悩み、ある考えに思い至った。
「ここで辞めたら負け犬だと。お世話になったシュートボクシングに何一つ恩返しできないまま辞めたらホント卑怯者だなって」
また同じ目にあうのではないか。恐怖との闘いも、こんな覚悟で乗り越えた。
「怖さがないと自分はダメなんだ。怖くてしょうがないけど勝つためにはどうしたらいいか必死に考えて、もがくことで道が開けるはず」
4月3日、後楽園ホールで引退試合にのぞみ、ムエタイの強豪相手に壮絶な負けを喫した宍戸だが、宍戸の師でありシュートボクシング創始者のシーザー武士は「男の引き際はこう散るのだと思った。最後まで闘い抜いた勇気を見て、19年間彼を教えてよかったなと思う」と賛辞を送っている。
リスタートを切るシュートボクシングでは、宍戸の奮闘を間近で見続け、宍戸の遺伝子を継ぐ次世代ファイターもリングに上がる。この先彼らが“ベンチャーの星”としてどんな闘いを見せ、どんな言葉をつむいでいくか。挑戦の歴史はこれからも続く。