26歳J・ラームが素晴らしき愛妻の支えで全米オープンを初制覇するまで
今年の全米オープンを制したのは26歳のジョン・ラームだった。
大会史上初のスペイン人チャンピオンとなったラームを、選手用の通路で待っていたのは愛妻ケリーと長男ケパくん。ラームは笑顔でケパくんを抱き上げ、父も子も泣いてはいなかったが、ケリーの目には嬉し涙が込み上げ、何度も目元を拭っていた。
そんな愛妻ケリーの存在なくして、ラームのこの勝利は無かった。そう思わずにはいられない。
【英語も減量も教え、ときには放置】
ラームが米ツアーにデビューして間もなかった2017年、彼はなぜだか頻繁に松山英樹と同組になり、そのたびにラームに付いて歩く米国人女性とロープ際で出会い、私は彼女と妙に親しくなった。
「アナタはジョンのガールフレンド?」と尋ねると、彼女は頷きながら「イエス。フィアンセです」と答えた。そして、すかさず「それで、アナタはヒデキのガールフレンド?」とジョークで返してくる明るい女性だった。その後は、松山とラームが同組になるたびに「アゲイン?(また一緒だわ?)」と、何度もお互いに笑い合った。
彼女の名前はケリー。ラームと同じアリゾナ州立大学出身で「私は陸上部でやり投げをしていて、ジョンはゴルフ部。アスリートどうし、気が合って付き合い始めた」と教えてくれた。スマホに収めてあったケリーの大学時代の勇ましいやり投げ姿も見せてくれた。
スペインからアメリカへやってきたばかりだったラームは、大学入学当時はスペイン語しか話せず、「私がデートしながら英語を教えたので、彼の英語はみるみる上達しました」。
ラームは今も太り気味の体型だが、「入学したころの彼は、ぶくぶく太っていたので、私が15キロ以上、痩せさせた。痩せることで集中力も持久力もアップするし、動きやすくもなる。それが成功に結び付くのよって説得し、ジョンもそれを信じて減量に励んでくれました」
ケリー自身、やり投げの世界では、その名を轟かせるほどの名選手だった。
「それは、、、やり投げをやっている人数が少なかったから私が上に行けただけのこと。でも、私もアスリートとして食事と肉体とパフォーマンスの関係を学んだから、それをジョンに実践してもらっています。彼は短気だけど、一方で、とても素直。一度信じて決めたら、とことん努力する。その信じ方と努力の仕方が、とにかくすごい」
フィアンセの教えを忠実に守り、実践したラーム。その姿勢は、大学時代も、プロ転向して米ツアーで勝利を挙げ始めてからも変わることはなかった。
やがてケリーと結婚したラームは、アリゾナにあるケリーの実家から至近距離の場所に2人の新居を構え、ケリーにとっても自分にとっても居心地のいい環境を整えていった。
今年4月には第一子となる長男ケパくんが生まれ、ラームは戦うための足場と自身の人生の拠点を着々と固めていった。
スペインの熱い魂が宿るラームは感情の起伏が激しく、試合中、かっとなってクラブを叩きつけたり、ルール委員に食ってかかったりしたことも多かった。
そんなとき、愛妻ケリーは怒れる夫を「放っておく」と明かしてくれたことがあった。
「そういうときは宿に帰るまで一言も話さず、帰ってからも部屋に閉じこもって1,2時間ぐらい出てこない。壁や床を叩いたり蹴ったり、ガンガン音が聞こえてくる。私は黙って待っているだけ。要は、放っておくんだけど、彼はお腹が空くと自然に部屋から出てきて、何か食べたいって言う。そんなふうに子どものような大人です。でも誰よりも強くなりたい、勝ちたいという気持ちは誰にも負けないと思う」
減量であれ、ゴルフであれ、私生活であれ、目指すものを一心不乱に追いかけるラームだからこそ、数々の試練を乗り越えて全米オープン制覇を成し遂げ、メジャー初優勝と通算6勝目を達成できたのだろう。
夫になり、父親になり、ラームの父親と長男をまじえて「ラーム3世代が揃った父の日は格別だ」と頷いたラーム。
その成功の陰には、愛妻ケリーの存在があった。