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津波が襲った菖蒲田浜を、再び“ひと夏の恋が生まれるビーチ”に!/合同会社fluir 久保田靖明さん

岡沼美樹恵フリーランスライター/編集者/翻訳者
合同会社fluir代表の久保田さん

世界の飢餓を伝えたい

ならば、俳優になってやろう!

仙台市中心部から車を走らせること約30分。サーフィンの名所としても知られる七ヶ浜町に到着します。この町にある菖蒲田浜海水浴場は、なんと明治21年の開設で、日本で3番目に古い海水浴場。

この菖蒲田浜海水浴場の目の前に、海を見晴らせる気持ちの良いデッキを設えたカフェレストランがあります。それが、「SEA SAW」です。

人気スポット菖蒲田浜海水浴場の目の前にあるカフェ「SEA SAW」
人気スポット菖蒲田浜海水浴場の目の前にあるカフェ「SEA SAW」

今回の記事の主人公は、「SEA SAW」を営む合同会社fluirの代表である久保田靖明さん。

千葉県出身の久保田さんが七ヶ浜町にやってきたのは、震災後の2012年のことでした。

「僕、県立高校受験がダメで私立に行ったんですけど、受験に失敗したってショックから高校生活の初めはどこか歪んでたんですよ(笑)。それで僕は初め、あまり高校生活を謳歌できずにバンド活動と中学時代からやっていた国際NGO団体に所属しつつ『世界の飢餓貧困をどうにかできないか』という活動をしていたんです。そこで『世界の状況をみんなに伝えられるのはなんだろう』って考えて、『テレビの中で伝えればいいじゃん』って思って、俳優になったんです」。

世界の飢餓貧困を訴えるために、なんと俳優になったという久保田少年。その実力もあって、テレビなどで活躍の場を広げていきます。しかしながら、ある映画のオーディションが、久保田少年の心を折りました。

「『リリィ・シュシュのすべて』という映画で、(主人公を演じた)市原(隼人)さん含めた最後の3人に残ったんです。監督の前で演技をするんですけど、どれだけ自分で考えて演技をしても、修正されてしまう。で、結局オーディションもダメで。『俺がどれだけ考えても、最後に決めるのは監督なんだな』と思って、このまま続けてもやりたいことはできないなって思って俳優を辞めました」。

元俳優でミュージシャンで、JICAの海外青年協力隊員だった久保田さん
元俳優でミュージシャンで、JICAの海外青年協力隊員だった久保田さん

音楽で生きていくことを諦めた青年が

向かったのは、モザンビークだった

そのとき、久保田少年が手にしていたのは、音楽でした。「音楽は自分で全部作れるんですよ。失恋して曲をつくって自分が回復して、路上で歌ったら、聞いた人が泣いてくれて。これ、めっちゃいいな! これなら伝えたいことが伝えられる! っと思って、18歳から本気でバンドの活動を始めました。大学も何となく行ったけど、3年で辞めちゃってスタジオに入って、ライブして、曲作る日々。25歳でバンドは解散するんですけど、とりあえずベーシストとして食いつなごうと思って。幸い、ベーシストとしてお仕事もいただいてバイトをしながら東京で活動をしていました。でも、あるソロで歌われている方のワンマンライブにベーシストとして入らせてもらったときに、演者側なのにすごく感動したんですね。と同時に、『自分には一人でワンマンまでやる力がない』と痛烈に思ったんです。僕は、柏(千葉県の中堅都市)のバンドマンとして地域の中で結果を出すことはできたけど、それ以上にはなれなかった。伝える人として無力すぎるなって痛感しました。『このままじゃダメだ。もっと人間力をつけないと』って強く思いました」。

そのまま音楽の世界で生きていくことを諦めた久保田さんは、自分に何ができるのか、何がしたいのかを熟考します。「音楽以外で何やってきたかな、って考えたときに、そもそも世界の貧困飢餓を伝えたくて俳優やったり音楽やってたりしたんじゃん! って思って、JICAに参加しました。モザンビーク共和国文化庁の仕事として、首都から2600km離れたペンバという町にある文化センターで音楽教室を立ち上げて音楽を教えることがミッションでした。麻薬とかマフィアとか、荒れてる地域で。『そういうのは文化の力が弱いからだ』と指示されて行ったんだけど、行ってみて生活してみたら、原因はそこじゃなくて。警察と軍と政治が全部癒着していて、『がんばっても意味がない』って諦めていることが原因だった。だから『がんばればなんとかなる』という道を文化で作ろうと活動してきました」。

アフリカ時代の久保田さん。音楽の力でモザンビークの人々を支えました(久保田さん提供)
アフリカ時代の久保田さん。音楽の力でモザンビークの人々を支えました(久保田さん提供)

アフリカを襲った革命の嵐

そこで気づいたのは「変わるべきは先進国」

久保田さんは、スラムの中でバンドも組み、イベントを行い現地のアーティストをモザンビークでCDデビューさせたり、海外デビューさせたり、音楽で現地の人々を支えました。そんな折、起こったのが「アラブの春」と呼ばれる2010年から2012年にかけて北アフリカアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府デモ。

「北アフリカだけでなくアフリカ各地に飛び火していって、僕も革命に巻き込まれていったんです。夜な夜なスラムのバーとかでいろんな人たちと話をして、大きく3つのことがわかったんです。ひとつめは、「人種も宗教も関係なく、多くの人がこの世界をとりまく社会システムを変えないといけない」と思っているということ。ふたつめは、「別に途上国の彼らは先進国のようになりたいわけじゃない」ということ。そして3つめが「文化が生きる最後の力になる」ということ。彼らは、誇りを語り、食べられなくても歌うし、生きるために表現するんです。その後、天然ガスが出て、資本主義に巻き込まれていく彼らをみたときに、『変わるべきは先進国』だと思いました。僕は、アフリカのみなさんにはなれないし、何百年と続いた植民地時代のアイデンティティを持つことは到底できない。革命を起こしている彼らと同じ活動ができないのであれば、日本人である僕は、日本という場所で挑戦しなければいけないと思い、帰国を決意しました」。

帰国後、青年は東北へ―

2012年の帰国後、久保田さんは七ヶ浜でボランティア活動に参加しました(久保田さん提供)
2012年の帰国後、久保田さんは七ヶ浜でボランティア活動に参加しました(久保田さん提供)

こうして、2012年1月に帰国した久保田さんは、その後すぐにバックパックひとつで東北にやってきて、ボランティア活動を始めました。そして、3月からは、仕事として東北に赴任。「NPOに派遣されて、たまたまボランティアで来た七ヶ浜に魅せられました。アフリカにいたときに、ビーチ沿いの町にいたのも大きかった。だから、仕事の合間で七ヶ浜のボランティアセンターに行ったりして。ある日、海岸近くにあったサーフショップに行って、自分の名刺出して、自己紹介したんです。そうしたら『今度、ボランティアの人たちにありがとうのイベントを企画しているからよ、経験があるんだから音楽のステージ手伝ってよ』と言ってもらえて。イベントの実行委員会の打ち合わせに行ったら11万円の予算をもらえて、音楽ステージの企画をすることになりました」。

2013年、SEVEN BEACH FESが行われ、浜に笑顔と音楽が戻ってきました(久保田さん提供)
2013年、SEVEN BEACH FESが行われ、浜に笑顔と音楽が戻ってきました(久保田さん提供)

予算はついたものの、PAも雇えない金額だったため、ミキシングの知識もある程度あった久保田さんがPAをすることに。知り合いのブッキングマネージャーに話をしてアーティストのブッキングを行いました。

「イベント当日、最初にスピーカーから音出すのはPAの仕事だと気がついて青くなったんです、『さぁ俺なに流すの?』って。当時は、被災地といわれる土地でピースサインして写真撮ったら怒られていたような世情。被害の最前線であるビーチで、震災後のボランティアで来てくれてたみなさんに向けて行うイベント。当時の僕は震災直後に日本にいなかったという、なんとなくの負い目みたいのもあって。どんな曲をかけたらお客さんや地域のみなさまに失礼じゃないのか不安になりました。でも曲をかけなければイベントが始まらない、そこで浮かんだのがBob Marleyの『ONE LOVE』。それはアフリカで『民族闘争なくそうよ』っていうイベントを行ったときにも『ONE LOVE』かけた経験からでした。実際に曲をかけたら、おんちゃんたちは『はぁ?』ってなってたけど(笑)、若い子たちはビール飲んで、楽しそうで。『そうか、ビーチはビーチで海は海だ、ビーチは元々ドキドキワクワクする場所だった。そんな一夏の恋が生まれるようなビーチにならないと、本当のビーチは戻ってこないんじゃないか』って思ったんです。当時は東北に来て半年ぐらい、『もう、俺が東北でできることはないかも』と思っていたけど、そういうビーチになるためのお手伝いならできる! って思い、それで移住を決めました」。

久保田さんの営むカフェ「SEA SAW」店内。木目の居心地のいい空間が広がっています
久保田さんの営むカフェ「SEA SAW」店内。木目の居心地のいい空間が広がっています

新しい海の可能性を探っていく

移住にあたって、決めていたのはカフェをつくること。「歴史上だいたい変化が起こるきっかけになるのは、バーかカフェなんですよ。意識高い人や面白い人が集まって、世界各国でいろんな革命が起こっている。だから、まずそんな文化が生まれる場所を、被災をした海の目の前につくろうって思っていました。でも、カフェをやるにしても、ビジネス経験もお金もないから、『まずは仲間をつくろう』と。それで、2013年に『SEVEN BEACH FES』というイベントを行って、仲間集めとともに、新しい海の可能性を探っていこう思いました」。

久保田さんは、漁師のみなさんとも良好な関係を築いています
久保田さんは、漁師のみなさんとも良好な関係を築いています

SEVEN BEACH FESは約5000人の来場者を記録する人気イベントに成長。「2019年からは、夏のビーチを楽しむイベントから、秋の海に癒されるイベントに形を変えました。中秋の名月に白波を光らせて、音楽やアートを楽しむライトアップフェスティバルになったんです」。

2019年のSEVEN BEACH FESの様子。波にプロジェクションマッピングを施し、幻想的な世界が広がりました(久保田さん提供)
2019年のSEVEN BEACH FESの様子。波にプロジェクションマッピングを施し、幻想的な世界が広がりました(久保田さん提供)

「海と向かい合う」というテーマで、波で大きな悲しみを受けた町が、波と向き合い、波とまどろむことで世界に対するのメッセージを発するこのイベント。久保田さんは「自然災害とか、コロナとかの渦中にいる今、自分たちでコントロールできないものに向き合うことって大事なのかなと思うんです。コロナによる多くの価値観が揺さぶられる中で、自分たちのライフスタイルを見直すきっかけになれば」。

2022年のSEVEN BEACH FES.は10月7日~10日の4日間、開催されます。

久保田さんが「SEA SAW」のシェフと開発したおみやげ「浜ののりだれ」シリーズ。年間6000本を売り上げるヒット商品になりました
久保田さんが「SEA SAW」のシェフと開発したおみやげ「浜ののりだれ」シリーズ。年間6000本を売り上げるヒット商品になりました

久保田さんが営むカフェ「SEA SAW」で生まれ、「新東北みやげコンテスト」でお取り寄せ特別賞を受賞した「浜ののりだれ」シリーズの誕生物語は、ウェブメディア「暮らす仙台」でもご覧いただけます。

カフェレストラン SEA SAW

住所:宮城県宮城郡七ヶ浜町菖蒲田浜長砂20-8

TEL:022-355-9119

予約サイトはこちら

ショッピングサイトはこちら

撮影:堀田祐介

フリーランスライター/編集者/翻訳者

大学卒業後、株式会社東京ニュース通信社に入社。編集局でテレビ誌の制作に携わり、その後仙台でフリーランスに。雑誌、新聞、ウェブでエンターテインメント、スポーツ、広告、ビジネスなど幅広いジャンルの執筆活動を行う。2016年よりウェブメディア「暮らす仙台」で東北のよいもの・よいことを発信。ローカルビジネスの発展に注力している。好きなものは、旅、おいしいものを食べること、筋トレ、お酒、こけし、猫と犬。夢は、クリスマスのニューヨーク・セントラルパークでスケートをすること。妄想は、そのスケートのお相手がジム・カヴィーゼルだということ。

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