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日本海での軍事演習に「対日戦勝記念日」9月3日を選んだ中露の思惑

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
中露海軍軍事演習を視察する中露首脳(2014)(写真:ロイター/アフロ)

 9月2日と3日、中露海軍が北海道沖の日本海で軍事演習をした。日本降伏文書署名の9月2日と対日戦勝記念日9月3日に合わせた「脅し」と見ていいだろう。対日戦勝記念日に対する中露の扱いに関して考察する。

◆9月2日と3日に中露両軍が日本海で軍事演習

 4年に一度開催されるロシアの軍事演習「ボストーク2022」が9月1日から始まった。これまではモンゴルと中国を誘うくらいだったのだが、今年は13ヵ国が参加し、特に8月30日のコラム<中露貿易の加速化 対露制裁は有効なのか?>に書いたように、何と言ってもインドが参加したことが注目される。8月31日の「ボストーク2022」開会式には中国だけでなくインドの部隊も参加している。

 日本にとって気になるのは「ボストーク2022」の7ヵ所の演習場のうち、北方領土周辺の北海道沖にある日本海でも行われたことだ。

 中国国防部は9月3日、<9月2日午後、日本海関連海域で「ボストーク2022」の実弾射撃演習を行なった>と報じた。それによれば、南昌号【南昌型(055型)駆逐艦】、塩城号【江凱II型(054A型)ミサイル・フリゲート】および東平湖号【福池型(903A型)補給艦】などの艦隊編成隊がロシア軍とともに対空実弾射撃軍事演習を行なったという。

 100発以上の砲弾を瞬時に発射し、数千メートル離れた傘のターゲットを海に落下させた。 編隊指揮官によると、この演習は、機器の性能をテストし、外国軍との相乗効果を促進し、船舶の対空ミサイル防衛能力と対空戦闘訓練レベルを向上させることを目的としたようだ。

 9月4日、中国国防部は中国人民解放軍のロシア・ウスリスク電として、<9月3日午後、「ボストーク2022」は日本海関連海域で全装備の全要素実弾合同演習を行った>と報じた。「全要素」というのは「中国軍の陸海空部隊すべてが参加した」ということを意味する。それによれば、中国軍の陸海空部隊は以下のような実弾演習をしたという。

 ●空中戦術グループ:いくつかのJ-10(殲撃十型)B戦闘機がロシアの偵察機や爆撃機との共同作戦で、高空における「敵」の重要な目標に対して精密に攻撃した。

 ●陸上戦術グループ:いくつかのZ-10(直10型)攻撃ヘリコプターやZ-19偵察・攻撃ヘリコプターの低高度における「敵」に対して集中的な火力攻撃を行った。99型戦車、04A歩戦車、その他の陸上部隊は、丘を越えたりしながら迅速に「敵」陣地の最前線を突破した。

 ●海上戦術グループ:日本海関連海域でロシア艦船と共同で編隊航海や浮雷破壊などの訓練を行った。(概略引用ここまで)

 中国がこのように、陸海空全ての軍種が同時にロシアの軍事演習に参加したのは初めてとのことだ。そしてボストークが9月2日と3日を含めながら実弾軍事演習を中露で行ったのも、初めてのことである。ちなみに、「ボストーク2014」は9月19日~25日で、「ボストーク2018」は9月11日~17日だ。

◆9月2日は日本の降伏文書署名日で9月3日は対日戦勝記念日

 日本が敗戦を宣言したのは1945年8月15日の終戦詔書(玉音放送)で、それによりポツダム宣言受諾が公表された。しかし実際に降伏文書に署名したのは同年9月2日である。東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ号の甲板上において調印された。

 これは日本と連合国側との間で交わされたもので、それが「中華民国」の蒋介石(主席)の元に届いたのは9月3日だ。

 蒋介石は、中華民国として戦ったのは「この自分だ」ということにこだわり、終戦詔書が報道される寸前に、「交戦勝利に当たり全国軍民および全世界の人々に告げる書」という勝利宣言を重慶の中央放送局から放送している。

 ましてや降伏文書に関しては、蒋介石の手元に着いた瞬間こそが、真の日本の降伏だとして、「9月3日」を戦勝記念日としたのである。ソ連だけでなく、時にはアメリカまでもが毛沢東を応援したりする中、日本軍と戦ったのは「この自分だ」ということを明確にしたいという強い思いがあったのが、直筆の日記にも滲み出ている。

 1945年8月15日、毛沢東は、拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』に書いたように、「日本がもう少し頑張っていてくれれば、中国共産党は日本敗戦前までにもっと成長できたのに」と、日本が降伏宣言をしてしまったことを悔しがった。

 そのとき毛沢東はまだ一国のリーダーではないわけだから、2015年8月25日のコラム<毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない>に書いたように、中華人民共和国が誕生したあとの1951年9月2日になって、ようやく旧ソ連のスターリンに「戦勝の祝電」を送っている。

◆旧ソ連とロシアにおける「対日勝利記念日」

 それでは、その旧ソ連とソ連崩壊後のロシアでは、対日勝利記念日をどのように定めてきたかについて見てみよう(以下では旧ソ連は、単に「ソ連」と書く)。

 1945年9月2日、ソ連軍幹部会は法令で9月3日を日本に対する勝利の祝日と宣言し、休日にすると定めた。ところが1947年5月7日になると、ソ連最高会議幹部会は上記の法令を修正して、休日としない勅令を発布した

 ソ連の第二次世界大戦に対する戦勝記念日は、あくまでもナチス・ドイツに勝利した日を意味し、対独戦勝記念日である「5月9日」を戦勝記念日として盛大に祝賀してきた。ソ連が崩壊し、ロシアになった後も、戦勝記念日は「5月9日」で、1947年の勅令以降は9月3日に祭典を開くことはほとんどなかった。

 ところが2010年になると、ロシア上院は、<9月2日を「対日戦勝記念日」とする法案を可決した>のである。

 その背景には日本の北方領土問題がある。

 ソ連が日ソ不可侵条約を破棄して突如対日宣戦布告をしたのは1945年8月8日で、拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』に書いたように、旧満州国の「新京」(現在の長春)に入城してきたのは8月12日前後だった。だから北方四島にたどり着いたのは「8月15日」以降で、ロシアが北方四島の領有権を主張するには、「対日戦勝記念日」は「9月2日」か「9月3日」でないと、都合が悪いのである。

 終戦後に他国に攻め入ったのでは、「戦利品」としての正当性を主張することはできないので、北方四島の領有権問題がクローズアップされればされるほど、対日戦勝記念日は「8月15日以降」でないと都合が悪いことになる。

 そのため、2017年になると、今度は<9月3日を「対日戦勝記念日」として新たな祝日にするよう退役軍人などが提案>し、さらに2019年には<ロシア下院議員が、9月3日を「対日戦勝記念日」として正式な祝日にするよう提案>している。

 そして2020年、遂にこの法案が承認された。

 興味深いのは2020年の動きだ。

 プーチンが2014年にウクライナのクリミアを併合してから、西側諸国からの制裁が始まっていたので、制裁の程度は厳しくないものの、同年2月にロシアのソチで開催された冬季五輪には、西側諸国の首脳の出席は少なく、その中で安倍元総理の出席が際立っていた。

 このような背景から2015年9月からプーチンはウラジオストックで「東方経済フォーラム」を開催するのだが、安倍元総理はこの「東方経済フォーラム」にも必ず出席していた。ところが、その安倍元総理が2020年8月28日に辞任した。するとプーチンは、まるで日本への配慮は必要なくなったとばかりに、なんと、数日後の9月2日に、1945年8月に対日宣戦布告して旧満州やサハリンなどへ侵攻したことに関する機密文書を開示してしまったのである。

 これは日本の日経新聞でも報道されているが、ロシア国防部のウェブサイトにもある。ただし今は遮断されていて日本からは読めない。まだ遮断される前に読んだところによれば、そこには上掲の『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』に書いた長春におけるソ連軍の動きが手に取るように描かれており、終戦直後、毎日のように家に強盗に押し入って来るソ連軍に対する幼い日々の恐怖が蘇って、震える思いで「機密文書」を読んだ。

◆日本政府の抗議を拒絶したプーチン

 7月28日の事実ドットコムの報道<北方領土軍事演習に抗議 政府>によれば、日本政府は早くから「ロシアが8月から極東で行う軍事演習の実施区域に北方領土が含まれている」として、外交ルートを通じて「北方領土に対するわが国の立場と相いれず、到底受け入れられない」と抗議している。

 しかし、これに対してプーチンは8月19日、ロシア安全保障会議のパトルシェフ事務局長に激しい日本批判を表明させることを以て、実際上「日本の抗議を拒絶」したのである。その抗議の内容は中国語のスプートニクにある。趣旨は「アメリカの従属国である日本は、世界のロシア恐怖症のリーダーになろうと奮闘している」というもので、要は、「ウクライナ戦争において日本はアメリカに従属して対露制裁を積極的に行っている非友好国である」ということが言いたいのだろう。

 だから、こうなったからには北方領土の1ミリたりとも譲らず、中国とともに軍事的にも日米に対抗していくという意思表示と受け止めることができる。だから9月2日と3日を選んで、北海道沖の日本海を中心に軍事演習をしたということだ。

 加えて、9月7日のスプートニクの記事には、アメリカが今度は台湾を使って中国に挑戦していることが書いてある。

 逆の見方をすれば、日本は今、北と南の両方から中露両軍に挟まれているということも言えなくはない。

 ただし習近平は、今月29日の日中国交正常化50周年記念があるので、プーチンほどには挑戦的な言動をしていないが、実際の軍事演習という行動においては、非常に脅威的な動きに出ているということが言える。

 日本に選択を迫るための「脅し」と解釈してもいいだろう。

 岸田政権がどう出るのか、見物だ。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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