【ハッケン!土浦まち歩き】城下町・中城界隈その3・土浦まちかど蔵・大徳~呉服店に見る蔵の役割
中城界隈のルーツを探るまち歩きで、退筆冡の次に訪れたのは「土浦まちかど蔵・大徳」。
「大徳」という江戸時代後期に開業した呉服店を改装した蔵で、国の登録有形文化財。
現在店先では観光案内やお土産品の販売が行われています。
蔵に見る、呉服屋だった頃の名残
正面入り口に入ってすぐ右側に袖蔵(そでぐら)があります。
店頭に並んだ商品をじっくりと見て買うというのが現代の買い物スタイルですが、江戸時代後期は商家で働く番頭や手代がお客様との会話の中で欲している呉服や必要なものを袖蔵から出して見せるというのが主流でした。
ちなみに現在お土産品を販売してる店頭のことは、昔は見世蔵(みせぐら)と言い、「見世」が「店」になっていったそうです。
「土浦まちかど蔵・大徳」の裏側にも蔵造りの建物があり、看板を見ると「元蔵」「向蔵」と書いてあります。これは何なのでしょう? 中城界隈まち歩きのお供をしてくださっている土浦市立博物館・学芸員の木塚久仁子(きづかくにこ)さんにお伺いしました。
木塚さん:蔵の呼び方や役割は家によって違っているんです。大徳さんの場合は、寝具や建具、家財道具などを収納する蔵を「元蔵」と呼んでいたそうです。
例えば障子。風通しの良い夏障子と保湿効果があって寒さをしのげる冬障子があり、季節外れの障子を蔵に入れて保管していました。また、布団も、夜になったら蔵から布団を出して敷き、朝になってしまう。鏡台も朝になったら蔵から出して化粧を終えたらしまう。「ちゃぶ台」で親しまれる食事用座卓も使ったらしまう、そんな「出したらしまう」が日常でした。
木塚さん:海外では日本の家は『ウサギ小屋』と喩えられることがあるほど、小さくて狭い印象があるようですが、こうした『しまう』文化があれば狭くても大丈夫です。
木塚さん:現代ですと冠婚葬祭は専門式場などで行うのが普通ですが、明治、大正時代ぐらいまでは自宅で行うのが当たり前だったんです。
大徳さんくらいの大きな商家になると招待する人数も10人、20人、多い時には50人と多かったので、食器なども保管するのに蔵ひとつ分は必要だったのでしょう。
元蔵、向蔵の中に入ることはできませんが、外から観賞することは可能です。
土浦では最も大きな呉服店として栄えた大徳。
見世蔵や袖蔵などもあわせてゆっくり見ていると、奉公人が忙しく動き回る姿や、会話に華を咲かせながら買い物を楽しむ人たちが目に浮かんでくるようです。
ところで、中城通りを歩いていると、なにか違和感のようなものを覚えることがあります。
木塚さん:この位置から見ると分かりやすいのですが、食い違っているのが分かりますか? 一見まっすぐに見える街道なんですが、あちこちにこうした食い違いがあって先が見通せないようになっているんです。
確かにジグザグとしている個所がちらほら。これって交通事故防止の策かなにかでしょうか?
木塚さん:中城通りは、土浦城に隣接した城下町。城下町の道というのは、もしも戦さになったときに軍勢が一気に町中に押し寄せられないように考えられた“仕掛け”、つまり道自体が防御施設のようなものなのです。
この食い違いの道は、江戸時代の城下町の特徴のひとつ。中城通りの先は突き当たって左右に道が分かれる「丁字路」になるのですが、この形状もまた城下町ならではの防衛対策の一環だといいます。
先が見通せない上に狭い道だな、というくらいでなんの不思議にも感じていませんでしたが、町を守るための形状だと思うと見え方も変わってきます。
<土浦まちかど蔵・大徳>
住所:茨城県土浦市中央1-3-16 MAP
電話番号:029-824-2810
開館時間:9:00~18:00
休館日:12月29日~1月3日
ホームページ:https://www.tsuchiura-kankou.jp/machikado_kura/