日本代表、2013年の初戦で見えたもの
強い日本代表
「我々にとって貴重な経験となった。ここ数年、日本のように強いチームと試合をやっていなかったから」
ラトビアのスタルコフス監督はそう話した。
確かに。
日本代表の選手たちには余裕があった。だからパスは確実に次の選手へ。ボールは常に青いユニホームのすぐそばにあった。
日本代表の選手たちには技術があった。だから狭くて厳しいところへ。攻めは難所をえぐり続けた。
けれど――。
足元から足元へ、パスは美しくつながっていくというのに、プレースピードは上がらなかった。
隘路をテクニカルに何度も攻め込んでいくというのに、迫力は漂わなかった。
少なくとも前半の41分(岡崎の先制ゴールが決まるまで)はそんなゲームだった。
そう、決して日本代表の出来がよかったわけではないのだ。
それでも日本の選手たちに余裕があったのは、両チームに決定的なスキルの差があったからだ。その意味で敗軍の将のコメントは正直だと思う。
確かに、日本代表は「強いチーム」だった。
たとえ出来が悪くても、これほどボールを支配し、相手を押し込み、優勢に試合を進められるくらい素晴らしい選手が揃っているチーム……そのことに(改めて)感心しながら前半を見た。
遠藤と前田の存在感
「チームの出来」について言えば、後半は明らかに改善された。
前半と後半とで変わったこと――細貝に代わって遠藤が、清武に代わって前田が、ピッチに立った(前田はトップに入り、岡崎が清武のいた右サイドに出た)。
パスが長くなった。展開がダイナミックになった。
トップの前田に縦パスが入るようになった。前田が落としたボールを、香川や岡崎、内田や長友が勢いよく仕掛けられるようになった。
「人が代わった」から「展開」や「ボールの流れ」や「勢い」が変わった、と直結していいのかどうかはわからない。
細貝や清武(あるいは1トップの岡崎)もそれぞれに持ち味を発揮したと思うし、いいシーンもあったから。
しかし事実として、遠藤、前田が入った後半の方が(前半より)明らかに出来はよくなった。
だから遠藤と前田の存在感(「あいつらはやっぱりはずせない」とか)を、やっぱり改めて感じながら後半は見た。
この試合の評価?
……で、このゲーム自体の意味はどうなのか? 日本代表の評価は? ○か、×か?
そんな問いかけは、ザッケローニ監督のこんなコメントでかわしたい。
岡崎を1トップで先発起用したことについてのコメントだ。
「オカザキの一番いいところが出るのはセカンドトップ。1トップでは(DFを)背負ってしまい、ゴールに向かってプレーできない。(なぜ先発で起用したか?)前田が90分やるのは難しかったから。国内組をこの時期(始動直後)に無理にプレーさせて万が一のことがあってはいけないなぁと。遠藤にしても……」
そういう試合だったのだ。別に揶揄しているわけではなく、そういう時期の、そういう度合いの試合。
だから――○か×かを真顔で迫られても困る。パーツパーツの印象を淡々と(間違っても声を張ることなく)呟くのみである。
あえて言うなら、観客のみなさんが非常に喜んでいた。楽しそうだった(海外組、勢揃いだったし、大津も出たし)。
よかった。その一点だけで真夜中にスポーツライターは微笑めるものなのである。