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「やっぱり諦めないことにした。」日本の司法に絶望した弁護士が、公共訴訟で目指す社会変革#令和の人権

加瀬澤充ドキュメンタリー映画監督

見た目を理由に職務質問をするのは差別であり、憲法に違反する――。2024年1月29日、外国出身の3人の男性が、人種や肌の色、国籍などを理由に警察官から繰り返し職務質問を受けてきたとして、国や愛知県、東京都などに賠償を求める「人種差別的な職務質問をやめさせよう!訴訟」を東京地裁に起こした。外国にルーツを持つ人たちがいたるところに見られるようになった日本で、原告の代理人としてこの訴訟に取り組んでいるのは谷口太規弁護士だ。国や地方自治体を相手取り、社会問題の解決を目指す裁判は「公共訴訟」と呼ばれている。谷口さんが仲間とともに立ち上げた弁護士事務所「LEDGE」は、日本で初めて公共訴訟を専門とする弁護士集団だ。谷口さんには、かつて日本の司法制度に絶望し、弁護士を辞めた経験がある。その彼がなぜ、弁護士として再び活動を始めたのか。なぜ公共訴訟専門なのか。谷口さんが見すえる社会のあるべき姿を探った。

私たちの知らない人種差別的な職務質問のリアル

「人種差別的な職務質問をやめさせよう!訴訟」の原告の1人、パキスタン生まれで日本国籍の星恵土(セイエド)ゼインさんは、8歳で来日、13歳で日本国籍を取得した。人生の大半を日本で暮らすものの、専門学校に進学してから頻繁に職務質問を受けるようになり15回以上も受けたという。アフリカ系米国人でフィットネス・トレーナーとしてジムを経営するモリスさんは、日本で暮らす約10年の間に16、17回も職務質問されたという。近所のスーパーに買い物に出かけた時やバイクの運転中など、いずれも日常生活の中でのことだ。

東京弁護士会は2022年に実施したアンケートで、それまでの約5年間で職務質問されたことがある外国籍や外国出身者に、何回質問されたかを聞いた。「2~5回程度」が50.4%、「6~9回程度」10.8%、「10回以上」11.5%と、計72.7%が複数回受けていた。また、職務質問を受けた人のうち、85.4%が「警察官が最初から外国ルーツを持つ人であることを認識して回答者に声をかけてきた」と認識しており、その理由について92.9%が「身体的特徴」と回答している。こうした実態やそれがもたらす苦しみは、日本人にはほとんど知られていない。

警察官の職務質問は、警察官職務執行法(警職法)2条に基づいている。ただ、質問をするには罪を犯すか、犯そうとしていると疑われる十分な理由が必要とされる。

谷口弁護士は、今回の訴えの理由をこう説明する。「外国ルーツの見た目であることと犯罪は、何の関連性もない。外国人、不審なやつ、犯罪者と一直線に結びつけて彼らは職務質問しているように見える。 警職法の適用にあたり、日本人と外国人を差別的に取り扱っているのではないか、つまり憲法違反ではないかということを問題にしている」

憲法14条はすべての国民の法の下の平等を保障し、13条は個人の尊重をうたっている。繰り返し行われる人種差別的職務質問は、その双方に違反しているのではないかという。

「例えば、学校で宿題をやっていないクラスメートがいたとします。そこに、宿題を出しなさいと先生が来たとします。出したらいいじゃないかと思うかもしれません。でも、それが毎日毎日あなたにしか来ないで、出しなさいって言われたらどう思いますか?」谷口弁護士によれば、これは個人の尊厳を著しく傷つける差別行為だという。

国などの被告側弁護団は、ゼインさんらへの職務質問については「あくまで不審な行動を取ったから」と法廷で主張している。一方、原告側弁護団が証拠提出した愛知県警本部作成と見られる若手警察官向けのマニュアルには、「一見して外国人と判明し、日本語を話さない者は、旅券不携帯、不法在留•不法残留、薬物所持•使用、けん銃・刀剣・ナイフ携帯等 必ず何らかの不法行為があるとの固い信念を持ち、徹底的した追求、所持品検査を行う」(原文ママ)などの記載があったという。

国の弁護団に取材したところ、こうした原告側の弁護団から提出された証拠も検討した上で「都道府県の警察において人種、肌の色、国籍または民族的出自のみに基づいて職務質問を行うという組織的な運用が存在することは否認する」と答弁書通りに主張していくとの回答だった。

日本の公共訴訟が歩んできた歴史 

これまでの大きな公共訴訟としては、水俣病や四日市ぜんそくなどの公害訴訟、ハンセン病訴訟などが知られている。1998年に提起されたハンセン病訴訟では、らい予防法が廃止になったにもかかわらず患者には謝罪も補償も一切ないことに、患者たちが立ち上がった。裁判所は、不当な隔離により居住移転の自由や人格権への過剰な制約があったとして憲法違反と判断。首相と国会が原告へ謝罪し、補償金を支給する法律の制定へとつながった。こうした公共訴訟は、社会問題を解決するにあたり国会で過半数の賛成を要する立法措置とは違い、少数の原告によるものであっても司法の判断によって救済に導ける点に特徴がある。

とはいえ、日本では公共訴訟は一般的ではない。理由は時間とお金だ。公共訴訟は最高裁まで進むケースが多く、決着までに時間がかかる。弁護には高い専門性が求められ、数百万程度の費用が発生するような作業でも無償のことが多く、取り組む弁護士の数には限りがあった。

こうした厳しい現実の中、谷口弁護士は身を削るように公共訴訟に取り組んできた。通常の事件の弁護で生活や事務所を維持する。早朝や深夜の空き時間を費やして準備をする。体を壊したこともあるが、それでも公共訴訟への取り組みを続けた。

ところが、13年前に国と向き合ったある訴訟をきっかけに、谷口さんは弁護士を辞めた。

司法に絶望した過去 谷口が弁護士を辞めて見つけたもの

きっかけとなったのは、強制送還中に死亡した外国人の死をめぐる裁判だった。

2010年、成田空港でガーナ人のアブバカル・アウドゥ•スラジュさん(当時45)が移送中に急死したのは、東京入国管理局職員の過剰な制圧行為が原因だとして、日本人の妻が国に損害賠償を求めた。法務省の調べでは、入管職員が内規で原則認められていない「猿ぐつわ」やプラスチック製の結束バンドでスラジュさんを拘束し、飛行機の座席で深く前かがみの姿勢をとらせていたことが判明している。国側は、スラジュさんの死は心臓にあった特殊な腫瘍による突然死で、制圧行為との因果関係はないと主張。2016年11月の最高裁判決で、スラジュさんの妻らの敗訴が確定した。

「こんなことがまかり通る司法なんてあり得ないと思い、必死でどうにかしようと。本当に、やれることを全てやったという感じでした」。谷口さんは、悔しそうに振り返る。

国側が主張する腫瘍による突然死に反論するため、膨大な時間をかけた。あらゆる法律論を考え、数百枚の書面を書いた。大学の医学部図書館にこもり、文献を読みあさった。翻訳費用も十分に捻出できず、弁護団みんなで辞書を引きながら、徹夜で外国の論文を訳した。だが原告の主張は退けられた。裁判が進行するにつれ、スラジュさんの妻が憔悴(しょうすい)し、言葉数が少なくなっていった様子は、今も脳裏から離れない。

「正しい立証ができれば正義が実現されるって信じているから一生懸命頑張れる。日本の司法そのものがちょっと信じられなくなって。無駄だって思いました」

絶望を感じた谷口さんは弁護士を辞め、別のことを学びに米国に渡る。豊かな自然がすぐそばにある田舎町で、ゆとりある時間を新しい分野の勉強に費やした。

渡米の翌年に行われた大統領選挙で、トランプ大統領が誕生した。移民排斥を主張するトランプ氏は、就任後間もなく中東・アフリカの7カ国からの入国を制限する大統領令を出した。谷口さんはニュースを見ながら、「自由と移民の国と言われた米国は、こうして変わっていくんだ」と感じた。

ところが、司法の力で米国社会を守ろうと、大統領令を覆すための裁判が起こされる。ソーシャルメディアを通じて寄付が集まり、弁護士たちが空港へ駆けつけ、入国制限を受ける当事者たちから話を聞いた。その結果、複数の連邦裁が大統領令を差し止めた。そのニュースを見た谷口さんは、自身にこう問いかけた。

「司法はやはり私たちの社会の自由と公正さを守ってくれる。こういう戦い方がありえるんだ」。谷口さんは当時の心境をこう語る。「やっぱりあきらめないことにした、っていう感じですかね」

こうして、日本に戻ることを決意。2018年に帰国すると、翌年、クラウドファンディングなどで公共訴訟と市民をつなぐウェブプラットフォーム「CALL4」を立ち上げ、LEDGEの設立へと進んでいく。

“私”が“公共”に変わる時 公共訴訟専門の弁護士事務所LEDGEに見据える未来

谷口弁護士は、公共訴訟専門の事務所の設立は「パラダイムシフト」だと考えている。これまで多くの弁護士たちが通常業務のかたわらで公共訴訟に携わってきた。そこにフルタイムの専門弁護士が現れたことで、これまでとは次元の異なる領域まで進めるのではないかと期待する。たくさんの資金を獲得し、大規模リサーチや専門的な調査員による国際調査を実施するなど、公共訴訟での戦い方の幅を広げていける可能性がある。

                            

LEDGEの所長には、弁護士登録から4年目の戸田善恭さんに依頼した。戸田さんが公共訴訟のキャリアを積み重ね、LEDGEが実績を上げていくことで、次の人たちが同じように闘い、新しいキャリアを追求していく。その先に見えてくるのが、少数意見も尊重し、おかしいと思われたことが「仕方ない」と放置されず、行動によって変えていけると多くの人が実感できる社会。谷口さんは、その実現を夢見ている。

「人種差別的な職務質問をやめさせよう!訴訟」は、東京地裁で双方が主張を戦わせており、高裁、最高裁へと続く長期戦が予想される。

提訴後に谷口さんたちが開いた報告会には、多くのサポーターが詰めかけた。これまで職務質問に苦しんでいたという若者はこう語った。「これまでは個人的な問題だったのが、これは社会の問題であり、この社会に暮らす人たちみんなの問題なんだということが、ようやく声を上げて言えるようになった。ようやくっていう感じですね」こうして、苦しみを抱えながらも声を上げられず、あきらめていた人たちが支援に駆けつける。谷口さんはこうした連帯こそ、公共のあり方ではないかと感じている。

「ある個人が『職務質問を受けたことで損害賠償を求めている』と言うと、『それはあなたにとっての裁判でしょう』と多くの人は思うでしょう。でも、原告の彼らは、ある意味みんなの代理なんですよね。同じような立場にある人たち本人(当事者)でもあり、みんなを代弁している人たちでもある。それだけではなく『そんな差別的な世界に生きたくないよね』という日本ルーツの人たちも含めて、その代弁として立っている。それが『私』から『公共』に変わっていく瞬間なんだと思う」

外国ルーツの人々と共に暮らす社会の形を、私たちはどう描くべきなのか。「公共」とは何なのか。いったんは弁護士を辞めるまでに絶望した谷口さんの言葉は、私たちに問いかける。 あなたはどんな国に暮らしたいですか?

「#令和の人権」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。日常生活におけるさまざまな場面で、人権に関するこれまでの「当たり前」が変化しつつあります。新時代にフィットする考え方・意識とは。体験談や解説を通じ、ユーザーとともに考えます。

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【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】

ドキュメンタリー映画監督

佐藤真監督を師事。映画美学校に通いながら中編ドキュメンタリー「あおぞら」を完成させる。その後、佐藤真監督「阿賀の記憶」(2005)、諏訪敦彦監督「A Letter from Hiroshima」(2002)にスタッフとして参加。その後、2002年にドキュメンタリージャパンに参加し、ディレクターとして数々の作品を演出する。2019年、最初の劇場長編「牧師といのちの崖」を公開、数々の国際映画祭で上映された。最新作は「アパラチアンレンジズ」(2024)。