【京都市】東山区 『山名宗全公之墓』がある「真乗院」は谷崎潤一郎の『細雪』が執筆されたと伝わる場所!
『山名宗全』は、元々の名を持豊といい、宗全は出家後の法名です。
室町時代中期の守護大名で、西日本を中心に広く領土を治めていた人です。
赤ら顔であったので「赤入道」ともいわれたそうです。
その「赤入道」と呼ばれた、応仁の乱における西軍の総大将の墓所が『南禅寺』塔頭の一つ『真乗院』にあります。
『真乗院』は、室町時代中期の1450年/1463年に『南禅寺』第139世である香林宗簡により創建されました。
「真乗院」は、三門のすぐ近くにあります。
作家である谷崎潤一郎が、南禅寺付近の自宅から眞乗院の茶室に半年間通い、小説「細雪」を執筆したという場所。
『応仁の乱』とは、室町幕府8代将軍・足利義政の後継者を巡る義政の実子・足利義尚(日野富子)と義政の弟・足利義視の抗争が原因で起こった乱です。
その西軍の総大将であった山名宗全は、110,000人を率い、東軍の総大将で160,000人を率いる細川勝元と激突。
1467年(応仁1)~1477年(文明9)の11年間にわたり、細川勝元と山名持豊(山名宗全)とをそれぞれの大将として、諸国の大・小名が東西両軍に分属し、京都を主戦場として戦いました。
『南禅寺』も、応仁の乱で主要な建物が焼失したが、その当事者の墓があるのも歴史の皮肉な話ですね。
将軍の地位を得た富子と義尚、管領の地位を独占した細川家が勝者となりました。
『高津商会』でも「甲冑体験」で大人気の「戦国時代」が始まるきっかけとなったとされるのが「応仁の乱」や「明応の政変」です。
1947年には、作家・谷崎潤一郎(1886-1965)が、南禅寺の自宅からこの『真乗院』にある茶室「蛍雪庵(けいせつあん)」に半年間通い、小説『細雪』を執筆したと伝わります。
谷崎潤一郎は、南禅寺の近くの潺湲亭という名前を付けた借家を借り、そこで7年かかって『細雪』が執筆されたそう。
『細雪』は、1936年(昭和11年)秋から1941年(昭和16年)春までの大阪の旧家蒔岡家の美しい四姉妹を優雅な風俗・行事とともに描く4姉妹の日常生活の明暗を綴った作品。
1950年、59年、83年に映画化された「細雪」では『高津商会』の小道具たちも活躍していますよ。
【真乗院】
場所・・・京都府京都市左京区南禅寺福地町86-11