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「子どもを育てるように手がかかる」希少な古代小麦のパン ミシュラン2つ星レストランのテクニック

Bob映像作家

「最も重要なことは、見た目が美しく、美味しいパンであることはもちろん、材料や製法にこだわり、愛情を最大限にかけることです。」と語るのは、東京・銀座にあるミシュラン2つ星フレンチレストラン「エスキス(ESqUISSE)」で、料理部門の責任者を勤めるユーゴ・ペレ=ガリックスさん。京都の老舗料亭「菊乃井 本店」での修行経験もある異色の経歴の持ち主だ。古代小麦をフランスから取り寄せ、イーストを使わず、天然酵母を用いた昔ながらの製法でパンを作り、好評を得ている。総量約10kgのパン生地を、30分間手でこね上げたり、サウナからヒントを得た独自のパン焼成方法をみいだしたり。「食」や「自然」に対し大きな愛情を持つユーゴシェフのパン作りに密着した。

● 古代小麦を使った最高のパンを目指す
「フランス人として、美味しいパンを食べることは大好きなこと!」と笑うユーゴシェフが、本格的にパンを作るようになったのは約3年前。新型コロナウイルス感染症が日本で猛威を振るっていた時だ。勤務するレストランは2カ月間の営業自粛を余儀なくされた。
「この期間に大好きなパンを作る世界に飛び込もうと決めました。インターネットやSNSを駆使して情報収集しました。」と、先の見えない厳しい状況の中でも、前向きにパン作りに専念することを決めた。最初は日本の国産小麦粉を購入してパン作りを始めたが、満足できる結果には至らなかった。ユーゴシェフは、「日本にも有機栽培の上質な小麦はあるけれど、私の目指すパンには合いませんでした。日本の小麦は品種改良されたものが多くを占め、それはきっと、食パンのような柔らかくふんわりとした日本人好みのパンに適しているのだと思います。」と考察する。そこで母国フランスの小麦粉を探すことにした。ユーゴシェフの情熱が伝わり、知り合いの輸入業者のおかげで、フランスでも貴重な品種改良のされていない古代種の有機栽培小麦を、粒の状態のまま輸入できることになった。
「blé barbu(ブレ・バルビュ)」と「blé saisette(ブレ・セゼット)」だ。これらの小麦を購入できるのは、現在、日本ではエスキスだけだ。「品種改良された小麦より、古代小麦はグルテン量が少ないため、消化に良く体に優しいとされています。」古代小麦は紀元前9000~5000年頃から食べられている小麦の原種の一種で、栄養が豊富で低GIだ。

● 古代小麦と天然酵母へのこだわり
小麦が入っている袋の中には、麦穂や小石も混ざっていることがあるため、一粒、一粒、使える小麦だけを選別し製粉作業を行う。とんでもない手間と時間がかかるが、これも「生きた小麦粉」を使うため。「フランスから製粉済みの小麦粉を輸入できますが、すでに風味が弱くなってしまっています。ひき立ての小麦粉は本当に香り高く、手で触れると軽やかで新鮮さがあり、まさに生きていると感じます!」と、目を輝かせる。天然酵母作りにもこだわりがある。まずは青りんごのグラニースミス、シャインマスカット、有機蜂蜜を手でつぶし、密閉容器に入れ、1週間から10日ほど常温で発酵させ酵母液を作る。

さらに10日間ほどをかけ、酵母液に古代小麦粉と水を加え、天然酵母を仕込んでいく。酵母菌のエサとなる古代小麦粉と水は1日3回与え、常に24~26度に保ち、酵母が安定して育つための環境を整えなければならない。「まさに赤ちゃんを育てることと同じです。」

●完全な手作り 自然な製法で健康的な滋味深いパンを生み出す
完成した天然酵母と、ひき立ての古代小麦でパンを仕込んでいく。機械は使わず、手ごねだ。「本当に、できるだけ昔の製法で作りたかった。」小麦粉、酵母、水、塩の4つのシンプルな材料でありながら、総量約10kgの生地を、約30~35分間ノンストップでこね続け、しかも生地の温度は24~26度にキープし続けなければならない。時間も温度も、それ以上でもそれ以下でも駄目だ。天然酵母を使っているため、発酵の進み具合いや香りが変わってしまい、最終的な焼き上がりに大きな影響が出てしまう。「他では絶対に味わえない、唯一無二のパンになります。」
ユーゴシェフの製法を受け継ぎ、現在、レストランでパン作りを担当しているパティシエールの松岡杏奈さんは、毎日、酵母を管理し、慣れた手つきでパンをこね上げている。「動きを少なく最大限に引っ張ってこねるのがコシを作るコツです。今では腕がムキムキになりました!」とたくましい腕を見せてくれた。生地をこね上げた後は、一次発酵させ、計量・分割し成形、最終的な二次発酵を経て焼成する。驚きは、二次発酵にかける時間の長さだ。冷蔵庫で1~3日と数日かけゆっくり二次発酵させる。「あえて酵母の発酵をゆっくり進ませることで、さらに消化に良いパンを目指しています。」

● 身の回りにあるもので工夫を サウナから得たヒント
二次発酵を終えた生地は、レストランにあるシンプルなオーブンで焼き上げる。だが、そこには問題がひとつあった。それは、蒸気が足りないということ。蒸気には、パンの膨らみを良くし、焼き色を美しくする作用がある。そこで、あるアイデアを試すことにした。「日本によくある銭湯に行った時のことです。サウナでは、石にお湯をかけて蒸気を発生させていました。それをパンの焼成に利用できるのではとひらめきました!」さっそく近所の公園に石を拾いに行き、レストランのオーブンの中で石を熱し、お湯を注いでみると、パンの焼成に十分な蒸気を得ることができた。身の回りにあるもので工夫を凝らし、解決策をみいだすこと。これもユーゴシェフが、日頃から大事にしていることだ。

ここまでこだわるのはなぜだろうか。松岡さんはユーゴシェフのパンの魅力をこう説明してくれた。「(一般的な材料と製法では)ここまで複雑な香りは出ないと思います。かんでいて、いろんな香りがしてくるんです。酸味とともに小麦の美味しい香りがしてきます。」ユーゴシェフも「幸せの香り」と、満足そうにうなずいていた。「どこか作業工程に失敗があると、この香りは出ません。パンの断面や膨らみ、食感も悪くなり、その時点でもう私のパンではないのです。」単純に古代小麦や天然酵母を使えば良いというわけではないのだ。

● フレンチシェフは京都で修行 異色の経歴を生かして
ユーゴシェフの経歴はユニークだ。いくつかのフランスの著名店で研さんを積んだのち来日。2015年から2年間、京都の老舗料亭「菊乃井 本店」で修行した。2017 年に「エスキス」で働き始め、2020年7月からは、料理部門の責任者として厨房に立っている。「菊乃井 本店」では、日本語もわからないまま、日本人の中で働き、4 ~5人の相部屋での住み込み生活。1日3回の食事が白飯で、すぐにフランスの美味しいパンが恋しくなったというエピソードも。日本料理に携わることで、日本の文化的・慣習的なこと、日本人の考え方、食材や季節感を大切にすることを学んだ。自然の恵みに感謝し、食材を理解し、最大限に生かすことの素晴らしさを学んだユーゴシェフは、パン作りの世界にもおいても同様に、古代小麦や天然酵母の声に耳をすませ、最高のパンを目指している。

● 誰もが幸せになれるパン作りに、最大の愛情を注ぐ
アフターコロナの今、古代小麦パンを楽しみにレストランへ足を運ぶお客様も増えた。「このようなパン作りには、手間と時間、情熱が必要です。子供を育てるように手がかかります。いい加減にはできません。働いているスタッフにとっても、自分たちで粒から製粉するという作業をすることに意味があります。ひとつ、ひとつ、パンが完成するまでの過程を丁寧に時間をかけて行うことで愛情が生まれ、自然の恵みを体感でき大きな喜びにつながります。」パンを食べる人は、体に優しく滋味あふれるおいしさで心が満たされ、パンを作る人にとっては、自然の恵みへの敬意と喜びで心が満たされる。作り手と客の両方が幸せになれるパン作りをこれからも追及していく。

クレジット
監督・撮影・編集:ボブ Bob (redTanpopo)

制作アシスタント:木村 絵美 Emi Kimura

音楽:北山 奏子 Kanako Kitayama
出演:

ユーゴ・ペレ=ガリックス Ugo Perret-Gallix

松岡杏奈 Anna Matsuoka
協力:
Restaurant ESqUISSEのみなさま
プロデューサー:
細村 舞衣 Mai Hosomura

映像作家

1957年ベルギー生まれ。名門ルーヴァン・ラ・ヌーヴ大学メディア芸術学院を卒業後、ベルギー国営テレビのディレクター兼プロデューサーとして数々の番組制作に携わる。92年、国際交流基金研究員として来日して以来、その魅力に取りつかれ都内に居を構える。2003年、redたんぽぽ設立。05年、社団法人JPSAアライアンス大賞最優秀賞受賞。06年5月より日仏語ポッドキャスト番Chocolat!の制作及びパーソナリティをつとめ、“Chocolat!のボブ”として親しまれる。大正大学 表現学部 客員教授。日本映画撮影監督協会 会員。

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