【日南市】昭和37年創業。日本の伝統を受け継ぐ下駄屋で世界に1つだけの一足を。
油津商店街の一角にある、昔ながらの下駄屋「あさひや」さんを紹介します。
あさひやさんは、好きな台と鼻緒を選んで世界でたった1つの自分だけの下駄をすげてくれる(作ってくれる)今では珍しいお店です。
下駄を修理するお店はあれど、台と鼻緒を1からすげるお店は、次々に廃業し、現在は宮崎県内には、ほとんどありません。
「お客様の喜ぶ顔が見たいから」店主は、昔ながらの製法を守り続け、一つひとつ丁寧に下駄をすげています。
あさひやさんの歴史は古く、創業は昭和37年。(実際はもっと前みたいですが、残っている1番古い写真が昭和37年だったので創業年に認定)に遡ります。
当時の写真を見せていただきました。
昭和37年頃は、油津の街が大きく変わる時代でした。港百貨店(後の山形屋)が開店。プロ野球の広島カープの日南キャンプがスタート。南宮崎から北郷間の鉄道が開通し、日南線が全線開通するなど油津は活気に溢れていました。
繁華街となった油津商店街は、夜を通り越して朝まで大人たちがお酒を楽しんでいたそうです。朝になり、朝日さす中を大人たちが帰路に向かっていくことから、「あさひ通り商店街」と言われていました。
『あさひや』の名前の由来は、この「あさひ通り商店街」からきています。
以前は、あさひやさんの店付近に7店舗ほど下駄屋がありましたが、人々の履物が下駄から靴に変わり、時代の流れとともに下駄屋も靴屋へ変わっていきました。
あさひやさんも昭和40年代は、陶器や民芸品、化粧品を下駄よりも多く取り扱っていた時期もありました。
それでも店主は、「陶器は、売ったら終わりだけど下駄は、お客様のために一生懸命作った後も履きやすい、歩きやすいなどお客様の喜ぶ姿がたくさん見れるから好きなんです」と下駄への愛着、こだわりを話してくれました。
店内には、多数の台と鼻緒が置いてあり、自分好みの下駄にカスタマイズしてくれます。
私も人生で初めて、下駄を作ってもらいました。
鼻緒は、柄だけではなく、素材や形がそれぞれ違うため、実際に手にとって用途、自分の足にあった鼻緒を店主と相談しながら選びました。
私は、足が痛くなりにくい柔らかな素材の鼻緒を選択。
台も素材、木目、高さなど1つ1つ同じものはありません。常連さんの中には、台の木目までもこだわって購入される方もいるみたいです。
現代の台は、桐と杉が多いとのこと。実際に持ってみると、重さが全く違いました。杉は重い分、頑丈にできているみたいです。
私は、軽くて歩きやすい桐の台を選びました。私が選んだのは、こちらの鼻緒と台。
鎌倉彫もカッコよくて悩みました。
下駄のイメージは「重い、カランコロンうるさい、歩きにくい」でしたが、私が選んだ桐の台は、軽く、底はゴムになっていて静かで安定感もありました。
今は道路事情が昔とは違うため、滑るなどの事故防止のために、ほとんどの下駄の底にゴムがついています。
鼻緒と台を選んだ後は、店主がその場ですげてくれます
実際に履いてみて私の足にあった形にミリ単位で調整してくれました。
時間にして30分程ですが、店主が昔話しをしながらすげてくれたので、あっという間に完成しました。
どうです?世界でたった1つの私だけの下駄。
とてもカッコよく、すげてもらいました。
私が今回すげてもらった下駄の料金は、作業代込で5,600円ほどでした。(台と鼻緒によって料金は変わってきます)
下駄は、人の足と同じで左右が全く一緒ではありません。底の減り方も決して平らに減ることはないそうで、履いていくうちに私の足に合った形に馴染んでいきます。
実際に履いて近くを散歩してみましたが、履きやすく、重さや音も気になりませんでした。これから春夏のイベント時に重宝できそうです。
手入れの方法として、汚れても洗ったりする必要はなく、濡れたときは、写真のように壁にかけて通気を良くしてくださいとのことです。
泥がついた場合は、乾くのを待ち、土を落とすといいと教えていただきました。
壊れないか不安でゆっくり下駄に足を入れる私を見て「皆さん、慎重に履くのは最初だけですよ。何かあったらすぐに持ってきてください」店主から心強い言葉をもらいました。
新年度が始まりました。世界でたった1つの自分だけの下駄で「新たな1歩」を踏み出してみませんか?