【伊勢市】新一万円札の顔「渋沢栄一」が1910年伊勢山田を旅した記録を発見。地元のキーパーソンは?
新一万円札の顔になった「渋沢栄一」。日本初の銀行設立をはじめ、東京証券取引所など500超の企業の設立に関わり、「近代日本経済の父」と称されました。「それだけ多くの企業を設立した人なら、伊勢とも何かつながりがあるのでは」と素朴な疑問が生じた筆者。いろいろと調べてみたところ、見つけました!渋沢栄一記念財団のホームページ「ゆかりの地」で、「関与した事業」「旅の足跡」が掲載されていました。当時の資料を交えて紹介します。
関与した事業「参宮鉄道」
「関与した事業」で登場する「参宮鉄道」は、1890年津~宮川間、1897年宮川~宇治山田間開業。渋沢栄一は1889年~1907年、参宮鉄道の発起人、相談役でした。(渋沢栄一記念財団より引用)。写真は「宮川停車場の図」です。現在はJR参宮線の「宮川駅」。参宮線に渋沢栄一が関わっていたとは初耳でした。
次に1910年4月15日「旅の足跡」と地元のキーパーソンを追いました。
神宮徴古館農業館入り口「神苑会の大記念碑」
「伊勢山田を旅したということは、誰か渋沢栄一とつながりがある人物がいるはず」と思いながら、神田久志本町の神宮徴古館・農業館へ。入り口にある大きな碑を見たとき「何かヒントがあるのでは」としげしげと確認したところ、見つけました!裏面に「監事従三位勲二等男爵 澁澤榮一」の文字を。もう一人、「理事 太田小三郎」の名に見覚えが。「あっ!」とひらめき、はやる気持ちを抑えつつ、大鳥居近くにある太田小三郎の案内板がある場所へ早足で向かいました(後日、この碑は「神苑会の大記念碑」だと知りました)。
太田小三郎は古市の妓楼「備前屋」の主人で、神宮宮域周辺の整備を目指し、明治19(1886)年に民間団体「神苑会」を創立。神宮神苑の整備や二見ケ浦に賓日館、外宮と内宮の間にある倉田山に徴古館と農業館を建設するなどさまざまな事業を行いました(2019年 伊勢市教育委員会 太田小三郎案内板より引用)。太田小三郎は伊勢の町の近代化に貢献した人物。2人は「神苑会」で接点がありました。地元のキーパソンは太田小三郎だったのでしょう。
案内板の中に、別の新たな事実も発見しました。「太田小三郎は実業家としても活躍し、明治23(1890)年に参宮鉄道を創立。津から山田間に鉄道を敷設しました。宮川電気や山田銀行を設立し、電力開発や金融の強化など、伊勢の近代化に大きな功績を残しました」と。参宮鉄道のキーパーソンも太田小三郎だったのです。
備前屋
神苑会の太田小三郎が主人を務めた妓楼「備前屋」は、妓楼の代表格として名をはせたそうです。寛政6(1794)年に、「せり上げ式」の舞台を考案し、伊勢音頭を演じて客を招いていたのは大変有名だとか。「女好きで知られる渋沢栄一は、きっと鼻の下をのばして踊りを見ていたのでは」と心の中に思い浮かべました。現在は建物はなく、古市テニスコート近くに石碑が残るだけ。備前屋に関する資料は伊勢古市参宮街道資料館で見ることができます。
「伊勢古市参宮街道資料館」
住所:伊勢市中之町69
開館時間:午前9時~午後4時30分
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、休日の翌日(ただしその日が日曜日の場合は除く)、年末年始(12月29日~1月3日)
連絡先:0596-22-8410
入館料:無料
駐車場:約5台
アクセス:近鉄宇治山田駅から車6分、徒歩30分
公式ホームページはコチラ
渋沢栄一と伊勢とのつながりを追いました。渋沢栄一の足跡を一度、訪ねてみませんか。
取材協力 伊勢市文化政策課、伊勢古市参宮街道資料館