いつか火星へーー探査機開発の世界大会、日本初出場に青春をかけるウイグルルーツの学生#ydocs
東北大学の博士課程で宇宙工学を研究する阿依(あい)ダニシさん(25)は、日本の宇宙開発の現状に、あせりを感じていた。「YouTubeで目に止まったいろんな国の学生たちが作る火星探査機。いま僕たちが始めないと、日本は置いていかれる」。そう思ったダニシさんは2022年、火星探査機を開発する学生団体を、日本で初めて立ち上げた。その目的は、探査機の技術を競う米国での学生世界大会に参戦することだ。メンバーは全員、社会人経験のない学生たち。自律走行や生命探査の技術力が問われるのはもちろん、最終的に800万円を超えた開発資金を調達するマネージメント力も求められる。ウイグル族の両親を持ち、異なる二つの文化にまたがって育ってきたダニシさんは、国境を越えて力を合わせられる宇宙開発に魅力を感じている。「いつか宇宙飛行士になって、火星に行きたい」。世界大会で実績を残し、夢への足がかりとできるのか。若き研究者と仲間たちの挑戦を追った。
人類は2030年代に火星に到達する!?
米国のアポロ計画で人類が初めて月面に降り立ってから半世紀。ギリシャ神話でアポロの双子の姉の名に由来する「アルテミス計画」が、日本も含む40カ国が参加して進んでいる。この計画は、月に行って終わりではない。数年かけて月面に基地を作り、2030年代には月を経由して火星で有人探査を行うことを検討している。
その時に、エンジニアとして自分が作った探査機を火星に持っていきたい――。エンジニアから宇宙飛行士になり、日本人最長の宇宙滞在記録を持つ若田光一さんに憧れるダニシさんは、そんな情熱を燃やしている。
「有人探査部門がにぎやかになってくるうれしい時期に、うれしい年頃でいられてるなぁって。もし30代で宇宙飛行士になることができたら、そこから数年、宇宙飛行士としてちょうど脂が乗った時期に、人類初の火星到達になるかもしれない」
「火星と僕は似ているんですって言ったらおかしいですか?」。少し照れながら、ダニシさんは語り始めた。「火星は神話の中で戦いの神。それは挑戦を続けてきた僕自身の象徴でもあるんです。夢をかなえるために挑戦を続けていたい」。彼が語る「挑戦」とは、現時点では火星探査機開発の世界大会への参戦だ。
火星に行くことは人類の夢。宇宙開発に国境はない
「世界中の人が知恵と技術を持ち寄り、協力しないと決して達成することのできない宇宙開発。そこに国境はない」。そう語るダニシさんは、敬虔(けいけん)なイスラム教徒の家庭に生まれた。ダニシの名は、コーランにある「科学の父」に由来する。
ウイグル族の両親が学生時代に留学していた京都の生まれだが、学業で多忙な両親とは離れ、中国・新疆ウイグル自治区に暮らす祖母の下で6歳まで過ごした。日本で再び暮らし始めたのは、小学生の頃。多感な時期に、文化の壁を経験した。
「日本語を勉強したのは、小学校から。友達にウイグルと言っても知らない。給食で豚肉が出た時は、先生が特別にじゃんけんなしで別のものをおかわりしていいと言ったが、クラスメイトに白い目で見られることが逆につらかった」
「宇宙飛行士の存在を知ったのも同じ頃。どんな過酷な状況でも、笑顔で任務をこなして期待に応える。最強の存在だと思った」
技術より大事なのはチームワーク
ダニシさんが火星探査機開発の団体を立ち上げた時に3人だったメンバーは、2年で40人以上に増えた。
新メンバーを迎える際に彼が大事にしていることがある。「技術力は後からついてくる。それよりも求めているのは、みんなが一緒にやりたいと思えるかどうか」。
メンバーは在籍する学校も、学年もバラバラ。そんなチームをひとつにまとめるのは簡単なことではない。年上相手でもタメ口でいい、新メンバーのあだ名はみんなでつける、1人で作業中もオンラインでつながる。ダニシさんはこうした独自のルールをつくってメンバー間の結束を高めてきた。リーダーの経験は、宇宙飛行士にとっては欠かせないチームワークの勉強になっているという。
メンバーが増えたことで広報活動が盛んになり、課題のひとつだった資金調達も、クラウドファウンディングで大きな成果をあげることができた。機体のクオリティーに直結する部品の提供や材料の加工といった実践面でサポートしてくれる企業も現れ、わずか2年で大きな成長へとつながった。
火星探査機の学生世界大会University Rover Challenge(URC)は、18年の歴史を持つ。毎年、世界中から100を超えるチームが応募してくるが、書類審査をへて米国での決勝に進めるのは上位36チーム前後の狭き門だ。今年ついに日本の大学生のみで構成されたチームが予選を勝ち上がり、日本チームとして初めて出場することになった。
決勝では、ユタ州の火星の環境に近い広大な砂漠地帯で、探査機(ローバー)を使って以下の4つのミッションを行う。
生命探査:土のサンプルを採取し、生命反応があるか分析する
自律走行:AIを使ってルートを選択し、目的地まで走る
運搬:起伏のある地形でアームを使っておよそ5kgの荷物を運ぶ
修理:アームを使って模擬宇宙船のメンテナンスを行う
2024年3月末のある夜、ダニシさんはオンラインでメンバーを招集した。
「URC2024(出場基準)最低点84点。僕たちは84.04点。ギリギリですが、大会に残ることができました。おめでとう!」
2年間の努力が実ったと同時に、日本チーム初の決勝進出が決まった瞬間だった。最下位だったが、目標が決勝進出だったことを考えれば、決して悪い結果ではない。しかし、勢いのついたチームは、大会では更なる爪痕を残したいと意気込んでいた。
現実の厳しさを知った大会
5月下旬。大会は1週間後に迫っていたが、準備は万端とは言えなかった。
「開発は最後まで間に合わなかった。それは完全に僕の手腕の問題でもあるんですけど、なんとかやりきるしかないという状態で大会に臨みました」
そして迎えた本番。最初のミッションは生命探査だ。ローバーに搭載したドリルでフィールド内の土を採取したり、カメラが写す画像から地質を分析したりする。そこに生命反応があるのかを分析し、導き出した結果をプレゼンテーションする。ここで勢いに乗ることが、後の成績にも大きく響きそうなところだ。
灼熱(しゃくねつ)の太陽のもと、メンバーが目を細めて見つめる先で、ローバーが大きな電子音を立てながら、ゆっくりと直進を始めた。そのわずか12秒後、直進していたローバーが止まった。石でゴツゴツした地面を進むには動力が足りていないのか、その場で旋回し、進む方向を探る。さらに1分が経過したその時、車体の左後方が沈んだように見えた。電子音がやむ。
「やばい、ステアえぐれた」。風音の中、メンバーの声が際立った。旋回するためのステアリング部分のパーツがぽっきりと折れていた。日本からの長距離輸送によるダメージと、事前の動作確認不足によるものだった。開始から2分、ミッションのために作られた機能のほとんどが何の活躍をする間もなく、続行不能となってしまった。
「緊急停止ボタンを押した時、自分の中でも何かのスイッチが入った」。ダニシさんは目の前の惨状からわれに返ると、プレゼンがまだ残っていることを思い出した。肩を落とすメンバーに声をかけ、これからプレゼンする仲間の前に整列させ、終わったら全力で拍手するよう呼びかけた。「まだ戦っているメンバーがいるんだから、最後まで支えなきゃチームではない」。その時、自然と湧いてきた感情だったという。
一方、プレゼンを担当するメンバーたちも、機体の不安定さを肌で感じていた。本番でローバーが全く動かず、何の分析もできない可能性はゼロではない。その時に備えた準備もしていた。ユタの砂漠の地質について自分たちなりにまとめ上げ、さらに来年の大会を見すえてどのような改良をしていくのかを発表した。アクシデントをリカバーするため、最善を尽くしたのだ。
それでも、チームは波に乗ることはできなかった。最終結果は34チーム中32位。ダニシさんはこう振り返る。
「現実の厳しさを知りました。ちょっと手が届きそうな思いはあったんですけど、宇宙探査の分野への道のりが一気に遠かざった思いでした」
チームワークが評価され、特別賞を受賞
ところが、表彰式で予想外のことが起きる。メンバーが突然、「ダニシさん!ダニシさん!」と自分の名を呼び始めたのだ。
「『スピリットアワード受賞してるよ』って言われて。『嘘つけ?』みたいな感じで」
故障の後のプレゼン内容が高く評価されたこと、さらにプレゼンを見守るメンバーの、最後まで諦めずに応援する姿が審査員の心を動かしていた。「スピリットアワード」は、大会側がダニシさんのチームのために急きょ新設した賞だという。開発力はまだまだだが、宇宙開発の現場を知る審査員たちから、チームが一番大切にしてきた部分を評価されたことが誇りとなった。
来年に向けて、ダニシさんの心は決まっている。
「もちろん優勝を目指す。探査機への情熱は変わらない」
URCでの活躍によってダニシさんのチームへの注目度は増しており、企業からの支援や、新メンバーも増えている。URCでの経験が血肉となり、最新の8号機ローバーの飛躍的な成長が期待される。さらに来春には、国内で初となる学生ローバーの大会が、鳥取砂丘に作られた月面実証フィールドで開催されることも決まった。ここからまた、ローバーをきっかけにして宇宙に情熱を燃やす日本中の若者たちの様々な物語が生まれそうだ。
いつか火星への切符をつかむ。ダニシさんの新たな挑戦も、また始まる。
監督・編集・記事:荒井由佳子
撮影:染谷有輝・青柳邦信・ARES Project
プロデューサー :前夷里枝・塚原沙耶
記事監修 :国分高史・塚原沙耶
取材協力:ARES Project・阿依家・小野雅裕
The Mars Society / University Rover Challenge