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チョ・ググ氏報道めぐりハンギョレ新聞の若手記者が決起 「文在寅政権の御用化」阻止を訴え

石丸次郎アジアプレス大阪事務所代表
法相に就任したチョ・グク氏。「検察改革」に意欲を見せるが疑惑に対する反発は強い(写真:Lee Jae-Won/アフロ)

◆編集幹部の総退陣求め51人が声明、中堅記者も続々合流

韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は9月9日、チョ・グク氏を法務部長官(法相)に任命した。

その3日前の6日、韓国の国会はチョ・グク氏の適格性を審査する人事聴聞会を開いた。日本でも詳し過ぎるほど報じられたとおり、チョ・グク氏には、本人と家族による不透明な投資の問題、娘の大学、大学院入学を巡る不正など多くの疑惑が持ち上がり、人事聴聞会は、多くのメディアが生中継するなど、韓国中が注目した。

チョ・グク疑惑の概要 <韓国>文大統領の後継候補が大ピンチ 疑惑が続々持ち上がる

その「事件」は、ちょうど人事聴聞会が開かれる直前に起こった。

革新系メディアの代名詞ともいえるハンギョレ新聞で、入社7年以下の「ジュニア記者」51人が、編集局長以下、局長団の即時退陣を求める声明を連名で出したのだ(当初は31人だったが、すぐに同調者が増え51人になった)。

声明の内容は驚くべきものだった。ハンギョレが文在寅政権べったりになって「御用マスコミ」化していると、内部告発するものだったからだ。

編集幹部たちが、文在寅政権の身びいきに汲々として、政権に不利な事案については、ろくな取材体制を取らず、企画提案は却下され、疑惑を提起する原稿は一方的にトーンダウンさせられたり、タイトルを変えられたりする。記事が掲載されてもSNSでの拡散を止められ、ウェブ版ではトップペ―ジから見えない所に配置される…。

権力からの独立を社是として掲げるハンギョレでいったい何が起こっていたのだろうか?

編集会議室に貼り出された若手記者の声明文。提供メディアトゥデイ
編集会議室に貼り出された若手記者の声明文。提供メディアトゥデイ

◆チョ・グク氏関連記事削除で怒りが爆発

事の起こりは、人事聴聞会前日の5日、司法担当のカン・ヒチョル記者の連載コラム「法曹外伝」が、ウェブ版に公開されてすぐに削除されたことだった。その記事は、朴槿恵(パク・グネ)政権時の青瓦台の主席秘書官が政権交代後に逮捕された事件と、チョ・ググ氏の疑惑を比較した内容だったという。

メディア批評専門ウェブサイト「メディアトゥデイ」によれば、担当デスクは「この時期に出す記事ではない。記事は無期限保留にした。決定的なのは当該記事がハンギョレの論調に合わない」と、カン記者に削除の理由を説明したという。

記事の即時削除を知ったハンギョレの若手記者の怒りが爆発した。「バク・ヨンヒョン編集局長以下、局長団は『チョ・グク報道惨事』の責任をとって即刻辞めよ」という声明を急ぎ取りまとめ、それを編集会議室や局長室に貼り出し、社内メールで一斉送信したのだ。

この「決起」を受け、入社18期の記者7人が「ジュニア記者」の行動に共感、支持すると声明を出した。さらに19~22期の記者21人も同調し、「文在寅政府が発足した後、<ハンギョレ>の権力批判報道が鈍くなったのは、事例を挙げて説明する必要がないほど明確な事実だ。それが積み重なって、今、後輩たちが言う『報道惨事』につながった」と主張した。(「メディアトゥデイ」の9日付け続報)

編集幹部の総退陣を求める若手記者の声明文はハンギョレ社内で配布された。メディアトゥデイ提供
編集幹部の総退陣を求める若手記者の声明文はハンギョレ社内で配布された。メディアトゥデイ提供

◆自由言論の象徴だったハンギョレが…

ハンギョレ新聞は、軍事独裁政権時代の1970年代に東亜日報や朝鮮日報を解職された記者たちを中心に、独立した民主言論を掲げて1988年5月に創刊された。朴正煕(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドゥファン)の両軍事政権下で長く辛酸をなめた韓国の言論人たちが、国民の寄付を募って新しい独立系の日刊新聞を立ち上げたのだ。

ハンギョレの創刊は、筆者がソウルの延世大学に語学留学中のことだった。一面に白頭山の写真が掲げられた創刊号を買った。確か100ウォンだったはずだ。闘う韓国言論人の気概は感動的だった。留学からの帰国後も、しばらく国際郵便で定期購読していた。

ハンギョレは、盧泰愚(ノ・テウ)政権下で、北朝鮮関連取材で干渉を受けて会社を強制捜査されたり、ベトナム戦争時の韓国軍の加害を取り上げて右翼に襲撃されるなどの迫害を受けたが、筆を曲げず、「自由言論」を頑として実践した。

ハンギョレ新聞の創刊は感動的だった。これはその一面。ネイバーアーカイブより
ハンギョレ新聞の創刊は感動的だった。これはその一面。ネイバーアーカイブより

日本に戻った後、筆者はフリーランスの記者になった。所属するアジアプレスは、90年代からハンギョレと合同企画をしたり、同社が発刊する週刊誌「ハンギョレ21」に多くの記事を寄稿した。韓国の闘うジャーナリズムは眩しく、ハンギョレの記者たちとの交わりから多くのことを学んだ。

そのハンギョレが、文在寅政権になって以降、「御用マスコミ」と陰口を叩かれるようになったという。若手記者の声明文から、ハンギョレの変質について見てみよう。

筆者がハンギョレ21に寄稿した阪神淡路大震災の現地ルポ。1995年2月
筆者がハンギョレ21に寄稿した阪神淡路大震災の現地ルポ。1995年2月

◆「50代の進歩既得権の男性」の代弁紙に堕したと批判

若手記者たちは、声明文の中で次のように怒りを書いている。

他社の記者たちは、手足が縛られた<ハンギョレ>の記者を公然と嘲笑する。内部では、<ハンギョレ>は「新積弊」「旧態メディア」という自嘲的な会話が出てくる。文在寅政府が発足した後、「民主党機関紙」という汚名をしばしば聞いたが、今程ひどい時はなかった

50代の男性による、50代の男性のための新聞を作って、読者から「絶読」される事態になっている。

2030(20~30代)の取材対象たちは、「私たちはこんなに怒っているけれど、<ハンギョレ>は載せられるんですか? <ハンギョレ>は政権批判をまともにできないんでしょう?」と不信を口にした。

1960年代生まれで、80年代に大学に通った世代を、韓国では「86世代」と呼ぶ。80年代の反独裁民主化闘争を中心で担った世代だ。50代になった現在では、政財官の中心を占めるようになり、文在寅政権でも中枢に座っている。チョ・ググ氏も、ハンギョレの編集幹部の多くも「86世代」だ。この世代の社会意識や価値観で新聞が作られており、若い世代は軽んじられている、そんな強い不満が若手記者の声明に現れている。

さらに強烈なのは声明の後半に出てくる次の一節だ。ハンギョレの体質が、すっかり文在寅政権べったりになっていると、編集幹部たちを激しく批判している。

これ以上、私たちに恥ずかしい思いをさせるな。「記者」の名前によって言論の自由を押さえつけたいなら立ち去れ。過去の先輩たちのように、青瓦台へ、与党へ行け。<ハンギョレ>と言論の自由、そしてあなたたちが言う正義は、我われが守る。

「過去の先輩たちのように」とは、文在寅政権に相次いで入ったベテラン記者たちのことを指している。社会部長、論説委員を歴任した金宜謙(キム・ウィギョム)氏は、文在寅大統領府の顔である報道官に就いた(金氏は官舎に住みながら投機目的で高額のビルを買い入れた疑惑を受け2019年3月に辞職)。現役論説委員だった呉泰奎(オ・テギュ)氏は、文在寅氏が大統領選挙出馬を決めると、選挙参謀として陣営に直行した。呉氏は、文政権発足後、在大阪韓国総領事に就任した。

ハンギョレは、朝鮮日報やKBS(韓国放送公社)などのメディアが、保守政権と人事面で太いパイプで繋がることで権力となれ合いになっている批判していた。ところが、文政権になってから、ハンギョレ自身が変質して権力からの独立性をなおざりにするようになった、と告発しているわけだ。

大量の若手・中堅記者による「決起」を受け、ハンギョレ新聞労働組合は、9日に「ハンギョレの危機を克服するため全社員討論会」を開催した。その内容については、9月22日時点で何も公表されていないが、若手記者がこのような異議申し立てをすることが、ハンギョレに独立の気概が継承されていることの証なのだろう。

若手の記者の声明の全文を記す。日本語訳は南正学と石丸次郎による。()内は追加説明。

◆若手記者の声明全文

「バク・ヨンヒョン編集局長以下、局長団は『チョ・グク報道惨事』の責任をとって即刻辞めよ」

<ハンギョレ>が恥ずかしい。

5日、チョ・グク法務部長官候補者を批判したコラム「カン・ヒチョルの法曹外伝」が、「局長の指示」という理由で、出稿(公開)された後に一方的に削除されたのは、現在の<ハンギョレ>編集局が腐り切っているという事実を見せた一つの断面に過ぎない。チョ・グク法務部長官候補者が指名された後、<ハンギョレ>はいったい何をしていたのか問いたい。チョ・グク候補者の私募ファンドが公共工事を受注したという疑惑が持ち上がり、彼の娘が医専院(釜山大学医学専門大学院)に2回落第したにもかかわらず、奨学金をもらっていたという事実が報道された時も、<ハンギョレ>は沈黙した。

2017年に文在寅政権が発足した後、<ハンギョレ>の刃はどんどんなまっていった。人事聴聞会の検証チームは、文在寅政権の第一次内閣以来、一度も組織されなかった。取材ではなく「かばいだて」に汲々とした。長官が指名されると、TF(専任チーム)を組織して検証した過去の政府の場合とは全く違う。検証チームを立ち上げようとしない首脳部の無責任な決定のため、<ハンギョレ>は、他の媒体の疑惑報道に無残に引きずられることになった。候補者に対するしっかりとした検証も、間違った疑惑提起に対する追加取材も行われなかった。

それだけではない。法曹チーム(司法担当)の先・後輩たちは、疑惑を提起する記事を書くたびに一方的にトーンダウンさせられたり、タイトルが変えられたりしたと訴えた。デジタル部門では、頻繁に「現政権に批判的な記事は<ハンギョレ>公式SNSアカウントで拡散してはならない」、「特定の記事は<ハンギョレ>トップページでは見えないところに下せ」という指示があった。

チョ・グク疑惑を整理したいという映像チームの提案を、エディタが直接切り捨てるということも起こった。「30代、政治を語る <仮題>」という土曜版のカバーストーリー記事も、「局長の指示」という理由で延期された。チョ・グク候補反対集会に参加した青年たちの剥奪感について発言した青年政治家が登場するからであった。

現政権の発足後、<ハンギョレ>が、これまで報道した内容を振り返ってみよう。キム・テウ捜査官の暴露で浮上した青瓦台特別監察班不正疑惑(※文大統領府が秘密裏に民間人の動向を査察していたとキム捜査官が暴露した事件、2018年12月)、シン・ジェミン前企画財政部事務官の暴露事件(※文大統領府が民間企業であるタバコ最大手KT&Gの社長の交代を指示したと暴露した事件、2018年12月)など、現政権にとって負担になる事件は、他のメディアと比べて、積極的に事実関係を取材して報道したと自負できるか? もし、そうでなかったら、理由は何であり、誰の責任だと考えているのか? もしかして、「積極的に取材して報道するわけにはいかなかった」と考えているのではないか?

他社の記者たちは、手足が縛られた<ハンギョレ>の記者を公然と嘲笑する。内部では、<ハンギョレ>は「新積弊」「旧態メディア」という自嘲的な会話が出てくる。文在寅政府が発足した後、「民主党機関紙」という汚名をしばしば聞いたが、今ほどひどい時はなかった。

バク・ヨンヒョン編集局長だけでなく、局長団の責任も同時に問う。局長団は現政権に批判的な報道ができない状況を積極的に幇助した。若手記者の間では「(かつて社内に)人事聴聞会のTF(専任チーム)があったという話を、まるで都市伝説のように聞かされている」という自嘲的な笑い話が出てくる。

このような報道惨事まで起こっているのだが、いったい、エディタの役割は何だったのか。他社の報道を黙って見ているだけだったのに、関連出入処の記者(大統領府など関連官庁の担当記者)に「あまりにも何も書かなかったから、一度集まって書こう」などと言うのは、エディタが発すべき言葉なのか? チョ・グク候補者の行いに、「はたして違法と言える行為があるのか」というデスクの質問は、「手続き的には違法はなかった」というチョ・グク候補者の言い訳と似ている。

「合法」の枠の中で疎外され差別されている人々に注目してきた<ハンギョレ>が、社会的公正と正義を叫んできた<ハンギョレ>が、「違法ではないから記事化するのは難しい」という言い訳をしている。一抹の恥じすらも感じていない局長団に怒りを禁じえない。

現場でチョ・グク報道について抗議が提起されるたびに「密室」のようなガラスの部屋でどんな論議があったのか、聞きたい。「50代の進歩既得権の男性」を代弁するための新聞に転落したという批判に対し、局長団は深刻に考えたことがあるか? 50代の男性による、50代の男性のための新聞を作って、一部から「絶読」を突きつけられてガタガタになり、読者層を狭めてしまったのは局長と局長団自身である。

局長と局長団の無責任な決定は、「無能力」も一緒に残した。まともな検証をしてみたことがなく、検証の基本作業である登記簿謄本すら一度も取ったことがない若手記者が多い。10年後、20年後に権威的な政府が発足した場合は、今の若手記者に<ハンギョレ>の存在感を証明できると思うか? 

あなたたちはチョ・グクを守るのではなく「害社行為」をしているのだ。後輩記者の取材能力を育てることができる機会を、先輩記者たちは政治的判断で無惨に踏みにじったのだ。後輩たちに、なぜこのような連判状を回すのかと尋ねた先輩たちには、「これまで」何をしていたのかと問い返したい。もう「自分たちの時代には、こんな取材もしたよ」などと言うな。これらのことは「会社内の世代搾取」と呼んでもよい。

いったい、どんな「絶読」が恐ろしいことなのだろうか。安逸な報道を批判する読者は少なくない。「正論・直筆すべき<ハンギョレ>が、なぜ官製メディアになったのか」という電話を受けたこともあった。特定集団の読者の意見だけを「選択的に」代表しているのではないか。2030(20~30代)の取材対象たちは、「私たちはこんなに怒っているけれど、<ハンギョレ>は載せられるんですか? <ハンギョレ>は政権批判をまともにできないんでしょう?」と不信を口にした。

30年前の<ハンギョレ>の創刊の辞を読み返す。

「ハンギョレ新聞は決して特定の政党や政治勢力を支持、反対することを目的とせず、絶対独立した立場、すなわち国民大衆の立場から将来の政治、経済、文化、社会問題を報道して論評する」

(局長らが)あれほど強調する「ハンギョレの論調」とはいったい何なのか聞きたい。政権によって、対象が誰なのかによって、検証基準と水位が変わるのが「ハンギョレの論調」なのか。一部の 「586進歩既得権の男性」の声だけが<ハンギョレ>が言う「国民」なのか。(586=60年代生まれ、80年代に大学入学、現在50代の世代のこと)

社会の不平等、不公正、指導層の偽善を、どのメディアよりも先んじて、鋭く批判してきたのが<ハンギョレ>が頑固に守ってきた論調ではないのか。政治、経済権力から独立したメディアであることが、創刊以来ずっと誇りだと言い続けてきた「宋建鎬精神」ではないのか。(※宋建鎬=ソン・ゴンホ 朴正煕政権の言論弾圧に抗議して東亜日報編集局長を辞し報道の自由を求める闘いの先頭に立った。初代ハンギョレ新聞社長)

一時代、私たちにとって<ハンギョレ>は「ジャーナリズム」と同意語であった。私たちは、今日、<ハンギョレ>の存在理由を、「ジャーナリズム」の価値を共に失った。検察改革の報道も、公正な人事検証も<ハンギョレ>がすべきことである。下手な言い訳に一貫して、「チョ・グク守り」に出しゃばるな。

絶望的な気持ちでこの文を書き進める理由は、それでも、希望を持って<ハンギョレ>を変えるためである。今からでも過ちを認め、言論としての役割を果たしたいのだ。

これ以上。私たちに恥ずかしい思いをさせるな。「記者」の名前によって言論の自由を押さえつけたいなら立ち去れ。過去の先輩たちのように、青瓦台へ、与党へ行け。<ハンギョレ>と言論の自由、そしてあなたたちが言う正義は、我われが守る。

ここに我われは要求する。

1.「チョ・グク候補者関連報道」は、<ハンギョレ>の報道惨事だ。バク・ヨンヒョン局長と局長団はこの事実を認めて、自ら辞任せよ。

2.文在寅政府発足後、検証チームを組織してこなかった理由は何なのか、編集局のメンバーに詳細に明らかにせよ。一方的な通告ではなく、理由を具体的に明らかにした後、質問を受けて疑問を解消することができる場を早急に設けよ。

3.<ハンギョレ>の記事が言論の本来の役割からかい離してしまった最大の理由は、一部のエディタだけで構成された独断的な編集会議にある。編集会議の内容を全て透明に公開し、記事の配置と構成に現場記者の意見を直接的、常時的に集約できる制度を直ちに設けよ。

2019年 9月 6日

クウォン・ヨンジン コ・ハンソル クウォン・ジダム キム・ミヒャン キム・ミンジェ ノ・ジウォン パク・ダヘ パク・ユンギョン パク・ジュンヨン ペ・ジヒョン ソ・ヨンジ シン・ミンジョン シン・ジミン オ・ヨンソ オク・キウォン イ・ジェヨン イ・ジュビン イ・ジヘ イム・ジェウ チャン・ナレ チャン・イェジ チャン・ピルス チョン・グワンジュン チョ・ソンウク チョ・ユンヨン チェ・ユンテ チェ・ミンヨン チェ・イェリン ヒョン・ソウン ファン・グムビ

アジアプレス大阪事務所代表

1962年大阪出身。朝鮮世界の現場取材がライフワーク。北朝鮮取材は国内に3回、朝中国境地帯には1993年以来約100回。これまで900超の北朝鮮の人々を取材。2002年より北朝鮮内部にジャーナリストを育成する活動を開始。北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」 の編集・発行人。主な作品に「北朝鮮難民」(講談社新書)、「北朝鮮に帰ったジュナ」(NHKハイビジョンスペシャル)など。メディア論なども書いてまいります。

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