<さよなら橋下徹>「橋下維新」の言論干渉を振り返る
橋下徹氏が、12月18日をもって8年間に及んだ大阪政治の実質的な最高権力プレイヤーを「いったん」退いた。在阪の報道人の端くれとして今感じているのは、やられっぱなしだったという敗北感だ。
今日書きたいのは「橋下維新」の政策の評価についてではない。言論への干渉の問題についてである。
尋常でない放送への介入
今年3月の統一地方選から、いわゆる「大阪都構想」の住民投票、11月の知事・大阪市長のダブル選挙までの、「橋下維新」(維新の党、大阪維新の会)による放送局に対する圧力と干渉は尋常ではなかった。投票の度に、「大阪都構想」に対し厳しい評価を公言していた藤井聡京大教授を番組に出演させるのは「公平」でないという内容の書面を、次々に在阪放送局に送りつけた。
裏で圧力をかけるのも決してほめられたことではないが、党の公文書で堂々と、放送局に対して出演者の人選に干渉するなど前代未聞だ。これは藤井氏の主張への賛否とは別の問題である。この言論介入にもっと抗うことができなかったかと、斬鬼の念に堪えない。
これまで何度も報じられているが、「橋下維新」による干渉の例を挙げておきたい。以下は、維新の党の松野頼久幹事長(当時)名で在阪放送各局に送りつけられた数々の書面の一部である。なお、これらの文書を放送局に送付することを指示したことを橋下氏は認めている。(2015年3月7日産経新聞ウェブ版)
文面上は「公平」を求める体裁を取っているが、突き付けられた放送局は当然プレッシャーを感じたはずだ。放送における公平さの基準とは、政治権力に求められて作るものではない。あくまで放送局が独立して判断するものだ。政治権力が「公平」の名のもとにあからさまに、報道に口をはさんで干渉する光景が日常化していくのが怖い。
焦点、争点になっているある政策に対し、賛成、あるいは反対の意見表明している人が番組に出ることが公平でないなら、橋下氏自身が、今後コメンテーターとして番組に出られないことになる。
メディアがほとんど取り上げなかった特別秘書問題
橋下氏は自身に批判的な記事を書く新聞や雑誌にも、攻撃的な批判を加えてきた。その成果なのかどうかはわからないが、条例まで作って採用した特別秘書に絡む様々な問題について、新聞もテレビもほとんど取り上げなかった。
市長の特別秘書の奥下剛光氏は、橋下徹後援会会長・奥下素子氏の息子。2008年から2012年までの4年間の政治資金収支報告書を見ると、奥下秘書の親族が3479万円を支出している。多くがパーティ券のあっせんである。これは4年間に集められた政治資金総額の3割ほどになる。このため最大の支援者の息子の「情実採用」が疑われたのだ。この件では、大阪市の住民から提訴されている。
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また奥下氏は、橋下氏が関わった選挙のたびに休職と復職を繰り返し、大阪市民の税金を使って、大阪市の仕事ではなく、まるで橋下氏の「私設秘書」のように維新の会の仕事をしていたと批判を浴びている。しかし、この問題も新聞、テレビが報じることは皆無であった。
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誰が「橋下徹」をつくったか
最後になったが、ぜひ読んでいただきたい本を紹介したい。ジャーナリスト松本創さんの「誰が『橋下徹』をつくったか -大阪都構想とメディアの迷走」(140b)。
あらためて言うまでもないが、橋下氏はメディアの中で、そしてメディアを相手に物議を醸し続けることで、自分が取り上げられるトピックスを作り「賞味期限」を延ばすことに成功し、「鮮度」を何度も回復させた。その功も罪もメディア、とりわけテレビにある。「橋下氏の出身母体は在阪テレビ」と揶揄されて来た。松本さんの著書は、その実態を確かな取材で見事に描いている。
私たち報道に携わる者は胸に手を当てて考えなければならない。「どうやって『橋下徹』が出来上がったのか」を。
「橋下維新」によってえぐられた報道の傷は、じっとしていては治癒しない。政治権力の言論介入を監視、牽制するために、市民もメディアも小うるさいぐらいに声をあげていかないとやばい。
放送法第3条を記して、筆をおきたいと思う。
「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」