「水産業には関わるな」 遺言に背き起業“未利用魚のサブスク”事業とは
加工しにくかったり、水揚げ量が少なくて流通させにくかったりと、さまざまな理由で味が悪くないのに市場には出回らない「未利用魚」と呼ばれる魚がいる。その数は総漁獲量の3割ほどになるという。福岡市で水産加工業を営む井口剛志さん(27)は、祖父の代から水産業の家庭で育った。だが、先細りする水産業の現状から、家族は彼がこの業界で働くことには反対していた。それを押し切って起業した井口さんは、未利用魚を活用することで、水産業の抱える課題に挑んでいる。
・扱いにくいけどもったいない「未利用魚」
福岡市東区香椎浜ふ頭の株式会社ベンナーズ水産加工場。ここには、市場価値がつかず、行き場を失ったあらゆる種類の魚が届く。
消費者にはほとんど知られていない魚、水揚げ量がまとまらなくて1つの規格にならない魚、加工しにくい魚などだ。決して味が悪いわけではないのに、こうした理由で市場に出回らない魚を、水産業界では「未利用魚」と呼んでいる。
未利用魚は総水揚げ量の3割程度あるとされる。市場価値はついていないが、食べてみると味に問題はなく、むしろ美味しいものもたくさんある。井口さんの会社ではこのような魚の加工を行っている。
未利用魚の加工は、一般的な魚に比べると難しいことが多い。まずは多種多様な魚が来ることだ。サメもあれば、見たこともないカラフルな魚が来たこともある。魚種もサイズもバラバラなので、機械を使えず人の手で作業する。毒針がついていたり、うろこや骨が硬かったりして、手間とコストがかかることが多い。それでも井口さんは、水揚げされる魚はできる限りすべて扱いたいと考えており、加工法や味付けなどでさまざまな創意工夫をこらしている。
・水産資源と漁師の減少、魚離れの三重苦
なぜ井口さんは、このような面倒なことをしているのか?その背景には、日本の水産業界が抱える多くの課題がある。
「問題点は大きく3つある」と井口さんは言う。
1つは、水産資源の減少だ。1984年に1282万トンあった漁業生産量は、2018年には442万トンと約1/3にまで減少している。環境の変化による水温の上昇で魚の生息域が変化したことや、資源回復を上回る量で人間が乱獲してしまっていることが原因と言われている。
2つ目は漁業就業者の減少。2003年に23.8万人だった漁業就業者は、2017年には15. 3万人になった。高齢化や低賃金が理由と見られ、いずれ日本では漁師がいなくなってしまうのではとも懸念されている。
3つ目は日本人の魚離れだ。食用魚介類の1人1年当たりの消費量は2001年には40.2kgあったのが、2017年には24. 4kgに急減。肉食を中心とする食生活の変化や、共働きなどライフスタイルの変化により、手間がかかる魚料理が避けられるようになったことなどが原因だという(統計数値はいずれも水産庁「令和元年度水産白書」より)。
本来なら魚が取れなくなれば希少価値が上がり、価格も上がるはずだが、魚離れも同時に進んでいるため価格が上がらない。資源が減る一方、収入減から漁業就業者も減るという悪循環に陥っている。
・家族の反対を押し切って起業
井口さんは、祖父母が水産加工業、父親が魚卸業を営む漁業一家で育った。祖父母らには苦労も多く、「水産業には関わるな。絶対に勧めない。いい会社に入ってサラリーマンになるのが幸せな人生だ」と言われていた。祖母にいたってはそれを遺言に残したほどだ。
井口さんはそれに従い、米ボストン大学に留学。経営学を学び、商社から内定を得た。ところが、大学で受けたプラットフォーム戦略に関する講義と、起業学を専攻したことで考えが変わっていく。
水産業は課題が複雑で大きいため、解決できれば、そのインパクトも大きい。
「誰かがいつかはやらないといけない問題だと思っていて、それだったらもう自分がやるしかない」
1度しかない人生なので、どうせやるなら大きなことにチャレンジしたい。そう思い、家族をはじめ周囲の反対を押し切って大学在学中の2018年4月に水産業で起業した。
まずは水産物の流通構造の課題を解決しようと、プラットフォーム事業を始める。漁港の売り手、消費地のバイヤーをオンラインでつなぎ、互いの情報を一元化することで取引をスムーズにしようと考えた。その過程で産地を巡り、漁業関係者と話をしていく中で、未利用魚の存在を知る。
2020年になると、新型コロナウイルスの流行により水産業や外食産業も大きな打撃を受けた。井口さんが手がけていた産地と外食産業をつなげるプラットフォーム事業も同様で、これを機に未利用魚を活用した事業へのシフトを決断。未利用魚を加工・瞬間冷凍し、ネットを通じて定額・継続のサブスクリプション販売をする新事業「フィシュル」を始めた。「煮切り醤油漬け」「中華風カルパッチョ」「ハーブオイルコンフィ」など20品目以上をそろえ、6パック4200円、10パック6480円、16パック8980円のいずれかで毎月または隔月に自宅まで届けられる。忙しい共働き世帯などにも魚を味わってもらえるよう、簡単な調理で食べられるように工夫されている。
・未利用魚活用による課題解決への挑戦
井口さんは、未利用魚を活用することで、水産業のさまざまな課題に取り組めると考えている。日本人は約20種類の魚を食べているというが、日本近海には3800種類もの魚がいるとされる。そのすべては食べられないとしても、まだ食べられていない種類の魚が相当数いるはずだ。
「あまり食べられないような魚を消費することで、いま食べられ過ぎている魚の資源回復につながるのではないか」と井口さんは語る。
また、未利用魚の買い取りは価値がつかなかった魚に新たに価値がつくことになるので、漁師の収益向上につながる。サブスクで継続的に販売することで需要も把握しやすく、漁業従事者への発注も出しやすい。さらに、魚を家庭で手軽に美味しく食べられることで、魚離れした日本人に魚食を勧められればと考えている。
・食の「三方よし」をめざし
井口さんの会社ベンナーズで扱えている魚は、福岡県内だけで見ても未利用魚全体のほんの一部でしかない。これからは扱える量をどんどん増やし、福岡以外の地域にも展開していきたいと井口さんは語る。
「子どもも孫も美味しい魚を食べ続けていけるように、魚を取る人にとっても、食べる人にとっても、それらを包括する環境にとってもいい、食の『三方よし』を実現し、本当の意味で持続可能な水産業を目指していきたい」
クレジット
取材・撮影・編集 坂口 幸司
撮影 小金丸 和晃
プロデューサー 金川 雄策 山本 あかり
アドバイザー 岸田 浩和
取材協力 株式会社ベンナーズ