きれいごとがうさんくさいのには理由がある
次の2つの質問に「まったく反対」「やや反対」「やや賛成」「まったく賛成」のいずれかで答えてください。
(1)ほとんどの女性はほんとうに頭がよいとはいえない。
(2)ほとんどの女性は外で仕事をするよりも家で子どもの世話をするほうが向いている。
どちらも明らかに女性差別的な主張ですから、良識あるひとは躊躇なく「まったく反対」とこたえるでしょう。
では、次の2つの意見はどうでしょうか。
(3)なかにはほんとうに頭がよいとはいえない女性もいる。
(4)なかには外で仕事をするよりも家で子どもの世話をするほうが向いている女性もいる。
こんどは良識あるひとでも判断に迷うのではないでしょうか。「まったく反対」としてしまうと、「すべての女性は頭がよく、家で子どもの世話をするには向いていない」ということになってしまうからです。いくらなんでもこれはおかしいので、「やや反対」「やや賛成」などを選ぶことになるでしょう。
じつはこれは心理学の実験で、アンケートの目的は、被験者を「女性差別に明確に反対する」か、「差別的かもしれない主張に中立的な立場をとる」かに誘導することでした。そのうえで被験者は、建設や金融など男性上位とされる企業の人事担当者になって、男女数名の採用候補者の適性を判断します。
ひとには意見や主張を一貫させたいという傾向がありますから、研究者は、アンケートで「女性差別に反対」と誘導された被験者は女性の採用候補者に寛大になると予想しました。ところが実際には、女性差別に明確に反対した彼らは、中立的な回答をした被験者よりも男性の求職者を優遇したのです。
なぜこんなことになってしまうのでしょうか。
心理学ではこれを、「悪のライセンス」で説明します。善悪の問題について私たちは「道徳の小遣い帳」のようなものを持っていて、差別的な主張に反対すると道徳の「収支」がプラスになって、その後に差別的な(マイナスの)判断をしても許されると思ってしまうのです。逆に「自分はすこし差別的かもしれない」と思ったひとは、道徳の帳尻をゼロに戻すために、差別されているマイノリティ(少数派)に寛大になります。
この「悪のライセンス」は性差別や人種差別だけでなく、あらゆる場面で観察できます。
自分が以前に気前よく寄附したことを思い出したひとたちは、そうでないひとに比べて、寄附する金額が6割も低くなります。さらには、被験者にホームレス支援施設で子どもたちに勉強を教えるボランティアをやってみたいかと尋ねただけで、参加申込をしたわけでもないにもかかわらず、被験者は自分へのごほうびとしてなにか買い物したくなりました。
よいことをしたからではなく、よいことをした「気」になっただけで道徳の小遣い帳は「黒字」になり、「赤字」すなわち不道徳な行為を許容するようになってしまいます。そして困ったことに、道徳的であるはずの自分がじつは差別的であることに本人はまったく気づかないのです。
いつもきれいごとばかりいっているひとがうさんくさく見える理由は、じつはここから説明できるかもしれません。
参考:ケリー・マクゴニガル『スタンフォードの自分を変える教室』
『週刊プレイボーイ』2016年1月16日発売号
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