「辞世の句」がたくさん出来る――肺がん・ステージ4「俳優・小倉一郎」流の終活とは #病とともに
俳人としても知られる俳優の小倉一郎さん(72)は2022年3月、がんの告知を受けた。余命は1年から2年。まずは「辞世の句」を詠んだ。そして取り組み始めたのが、自ら主宰する俳句結社づくりだ。自身の俳句哲学と、句友と詠んだ作品を出版物として後世に残したいと考えたのだ。
だが、「やり残したことがある」との思いとは裏腹に、余命宣告されて闘病中の人に無理をさせようとする者はいない。それでも、小倉さんは苦境をはねのけ、5か月かけて俳誌「あおがえる」の創刊にこぎつけた。「とにかくやってみる」。
これは、小倉さんが「一郎」改め「蒼蛙(そうあ)」になるまでの「終活」の記録である。
●がん・ステージ4の告知――俳優休業
小倉一郎さんの俳優としてのキャリアは、東映大泉撮影所にエキストラとして通い始めた9歳の時から始まった。13歳で石原裕次郎さんの主演映画『敗れざるもの』で相手役に抜てきされる。その後は、映画・テレビを主に活動し、芸歴63年目にあたる2023年までの出演作品は映画127本、ドラマ330作品に上る。まさに名バイプレイヤーである。
俳句を始めたのは、1997年から。初めての句を褒めてくれた俳優・松岡みどりさんに誘われて、さまざまな俳句結社の句会に通い始めた。俳号の蒼蛙(そうあ)は、ドラマ『新・花へんろ』の本読みの際、尊敬する脚本家・早坂暁さんからもらった。これまでに数千の俳句を詠み、俳人として3冊の句集を出版している。テレビ番組で俳句コーナーも担当。各地のカルチャースクールで講師をしたり、大会の選者をしたりして、後進の指導にも熱心に取り組んできた。
ところが2022年3月、体調不良で受診した病院で、「がんの疑いがある」と告げられる。脳裏に「辞世の句」が浮かんだ。
《しゃぼん玉わかれは常にあるんだよ》
春の季語「しゃぼん玉」に、永遠の別れを身近に感じる気持ちを重ねた。
診断は、進行肺がん・ステージ4。余命は1年から2年という。小倉さんはその現実を受け入れ、残された時間に何をすべきかを考えた。もともと好奇心旺盛で、やりたいことが常にたくさんある趣味人でもある。その中で一つを選ぶとしたら? 答えは、俳句結社の設立だった。
俳句結社とは、主宰と会員が俳句作りの場でお互いに研さんし、その成果を俳誌として出版する組織だ。小倉さんには、「美しい日本語を残したい」「俳人を育てたい」という思いがあった。俳誌になれば活字となって残り、季語と例句を収めた「歳時記」に掲載される可能性もある。そうなれば、自分たちの句が知らない誰かに見てもらえるかもしれない。
小倉さんにとって俳句は、「自分史」だ。自分の言葉で語る、自分の歴史。
「人によっては小説や短歌かもしれないけど、自分にとっては俳句だった」
短い言葉で、深い感慨を想起させる俳句は、自分ごとで作っても受け取る人によって解釈が変わる。日常だと思っていたことも俳句に残しておけば、振り返った時に特別だったと気付くことがある。それも小倉さんが俳句に感じる魅力だ。長年なりわいとしてきた俳優業は、出演の依頼がなければできない。健康でなければ、芝居に支障が出る。一方、俳句は病床でも詠むことができる。俳句を革新した正岡子規が病床での生活で名句を詠み続けたことは、小倉さんを勇気づけた。そして、俳優を休業し、俳句に全力を尽くすと決めた。
●俳句結社「あおがえるの会」の設立
2022年3月27日、小倉さんは俳句仲間や知り合いに声をかけ、北鎌倉の浄智寺で吟行句会を開いた。そこで、自らのがんと余命を告白する。同時に、俳句結社「あおがえるの会」の立ち上げを宣言した。「あおがえる」は、自らの俳号を訓読みにした。小倉さんは、自分亡き後に結社を継いでくれる仲間を求めていた。
小倉さんは、仲間たちに俳号を付けていった。「蒼匣(そうこう)」「蒼甫(そうほ)」「蒼映(そうえい)」「蒼山(そうざん)」……。
「多くの俳人を育てたいという思いがあって、僕の名前を継いで欲しいというか、『蒼』の字をみんなに付けさせてもらったんですよね」
闘病による小倉さんの食欲低下と、それに伴う体重の減少は進んでいた。それまでの3ヶ月で体重は11キロ落ち、わずか44キロになっていた。長い時間歩くのも難しくなっていた。そんな時の立ち上げ宣言に、戸惑う仲間は少なくなかった。小倉さんの苦しそうな姿を見て、積極的に参加すべきかを決めかねた。治療に専念すべきだと考える人がいる一方、高齢の仲間には、自宅近くでの会でなければ参加できないと退会する人もいた。
●俳誌「あおがえる」の創刊
そんな状況を察して、小倉さんの家族が手伝いに名乗りを上げた。長女は結社のホームページなど組織運営に必要なものをそろえ、次女は経理を引き受けた。それまで俳句にはノータッチだった所属事務所の社長兼マネージャー坂本徹さんが会長に就いた。
小倉さんは自らを鼓舞するため、俳誌の題字を筆でしたためた。『あおがえる』のひらがな5文字。
「これを一匹一匹の『かえる』とみなしたの。だから飛び跳ねているやつがいる。なんとなくかえるに見えませんか?」
痩せてしまった小倉さんだが、瞳は輝いていた。
病と闘いながら、小倉さんは俳誌づくりに多くの時間を費やした。選句、選評だけでなく、エッセイやイラストなど、人に依頼しなければいけないことも多い。たくさんの人の助けを借りて、少しずつ進めていく。
あきらめずに続けていた治療が功を奏し、がんが小さくなってきたのは、この頃だ。小倉さんは喜んだ。そして、体重を増やそうと食べに食べた。
そして8月。ついに俳誌「あおがえる」の創刊準備号が刊行された。序文には、こんな一句が添えられた。
《あおがえる一歩を何處(どこ)へ向けやうか》
※『あおがえる』は題字に合わせて、あえて「新かな」表記とした。
小倉さんはその意味を、こう解説する。
「リーダーになるわけだけど、どういう風に人を引っ張っていったらいいのか、皆目わからない。それを、そのまんま句にしました」
小倉さんは、創刊準備号を見る度に涙を浮かべる。みんなの助けがあったからこそ、ここまでこぎ着けられたとの思いからだ。そこには、第1回から第4回の句会に参加した37人の仲間たちの句がひとつずつ掲載されている。そのほか、巻頭に小倉さんの連作10句と、小倉さんの選評とともに各句会で話題になった句が40句取り上げられている。小倉さんはこの俳誌を仲間たちだけでなく、お世話になった人たちにも感謝を込めてお渡ししている。
「会員をどんどん増やして、冊子を厚くしていきたい」
念願かなえた小倉さんは、こう意気込む。
●俳優業に復帰――そしてこれから
2023年2月、小倉さんは俳優業への復帰を果たした。休業を決めてから約1年。体調は万全とは言い難かったが、出演依頼を断るわけにはいかなかった。そのドラマは、俳句を題材にした『俳句先輩』。「あおがえるの会」で句座を共にする黒木久勝さんが脚本を書いた。黒木さんはこの作品から、小倉さんからもらった俳号に筆名を改めた。「黒木蒼硯(そうけん)」。
小倉さんもまた、生まれ変わったつもりで俳号を芸名にすることを決めた。俳優・小倉蒼蛙の誕生である。
しばらくして、小倉さんと同じように闘病生活を送る人から、「一緒に俳句をしたい」と手紙が来た。「あおがえるの会」では、句会に出席しなくても「欠席投句」という形で参加できる。その句は小倉さんの鑑賞や助言とともに俳誌に掲載され、投句者に届けられる。
小倉さんは、今も俳句結社「あおがえるの会」の主宰として、仲間とともに句座を楽しんでいる。もちろん、がんの再発・転移を防ぐ治療は続けている。
ある日の句会に投句した小倉さんの俳句がある。
《様々の星を渡りて月に行く》
「星々を(けんけんぱのように)渡って、最終的にはお月様に行きたいなと。ふと思ったのが今朝、今朝できた句なの。これは僕の辞世の句にもなるなと」
仲間から「寂しいねえ」と言われて、小倉さんは最初に作った「辞世の句」を思い出した。
《しゃぼん玉わかれは常にあるんだよ》
「がん宣告されてすぐにできた句ですけど、辞世の句が2つできました。これから3つも4つもできると思います」
小倉さんは俳句結社「あおがえるの会」をできるだけ長く続けたいと話す。小倉蒼蛙の終活は、まだまだ続く。
クレジット
監督・撮影・編集:中川 裕規
プロデューサー :高橋 樹里
整音:馬ノ段 晴人
記事監修:国分 高史
医療監修:齋藤 春洋
撮影協力:浄智寺 SPACE U
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