6月15日を南北「平和」から「対決」の象徴へ...尽きぬ尹大統領の'執念'
2000年に史上初の南北首脳会談と南北首脳による初の共同宣言が発表された6月15日は、韓国では南北朝鮮が「和解と平和に向かう日」と受け止められてきた。だが昨年5月に発足した尹錫悦政権はこの日を「対決の日」に塗り替えようとしている。詳細をまとめた。
●尹大統領が韓国史上最大規模の「火力撃滅訓練」を参観
米韓同盟の圧倒的な威容、最尖端の戦力を前に皆さん、頼もしいでしょう?私も国軍の統帥権者としてとても頼もしく満足しています。
15日午後、韓国北部・京畿道(キョンギド)抱川(ポチョン)市の勝進(スンジン)科学訓練場で行われた『2023連合・合同火力撃滅訓練』を主管した尹錫悦大統領は、軍と観覧のために集まった市民を前にこう呼びかけた。
この日の訓練は「国家級」として位置づけられ、火力訓練としては過去最大規模のものだった。大統領室によると「米韓の71の部隊、2500余人の将兵ならびに610余台の装備が参加した」とのことだ。
米韓合同で行われた訓練には韓国のK9自走砲、多連装ロケットK-239「天橆」といった看板装備をはじめ、米国の戦闘機F-16や韓国の戦闘機F-35Aなどが参加した。
韓国国防部によると、同訓練は「建軍75周年および米韓同盟70周年を迎え、『圧倒的な力による平和』を具現するための韓米連合・合同作戦遂行能力の向上を目的」として実施されている。
5月25日を皮切りに、6月2日、7日、12日とこれまで行われ、7日には昨年だけで124億ドル(約1兆7400億円)の兵器購入契約を結ぶなど、韓国の防衛産業との結びつきを強めるポーランドの副総理が参観した。
訓練は「北朝鮮による挑発シナリオを基盤とする」ものだ。訓練を通じ北朝鮮に対する抑止力を強め、軍事能力を誇示し、米韓同盟の作戦遂行能力を向上させると韓国国防部は発表している。
尹大統領が参観したのは、フィナーレとなる五回目の訓練だった。やはり大統領室によると訓練は二部に分かれ行われた。一部では北朝鮮の核・ミサイルへの対応および攻撃の撃退が、二部では反撃作戦を模したとされる。
大統領が火力撃滅訓練を主管するのは2015年の朴槿惠(パク・クネ)大統領以来のことだった。
尹大統領は「敵の善意に依存する平和でなく、私たちの力で国家の安全保障を守ることが真の平和だ」と力を込めた。
●6月15日はどんな日か
筆者はこの日の訓練に尹大統領が参加する姿と、朝一番でFacebookに投稿した内容(後述)を見て、疑念が確信へと変わった。
それは「尹大統領は明らかに6月15日という日を意識した上で、北朝鮮への対決姿勢を強調している」というものだ。
これを理解するためにはまず、6月15日が韓国でどんな意味を持つのかを知る必要がある。
数字をとって韓国語で「ユギロ」と呼ばれるこの日は、2000年の6月13日から15日にかけて、韓国の金大中(キム・デジュン)大統領と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長との間に史上初めて行われた南北首脳会談で、その成果である『6.15南北共同宣言』が発表された日として広く知られている。
首脳会談は「互いの理解を増進させ、南北関係を発展させ平和統一を実現する上で重大な意義を持つもの」(同宣言)と南北首脳間で受け止められる、価値あるものだった。
つまり、6月15日というのは南北が手を取り合い、未来に向けて共に歩むことを象徴する日と言える。
全五項目からなる同宣言には、▲南と北は国の統一問題を、その主人であるわが民族同士、互いに力を合わせ自主的に解決していくこと、▲南と北は国の統一のために、南側の連合体案と、北側の低い段階の連邦制案が互いに共通性があると認め、今後はこの方向から統一を指向していくこと、などの重大な合意があった。
・『6.15南北共同宣言』の意味
同宣言は、その後の南北関係に大きな影響を与えた。特に重要な視点は二つある。
一つ目は史上初めて「朝鮮民族がその未来をみずから決めていく」点が、首脳間の合意として明らかにされたことだ。
19世紀末以降、日本による植民地支配と「解放」直後の南北分断、朝鮮戦争を経て冷戦の最前線となるなど国際関係に翻弄され続けてきた南北朝鮮による決意表明だった。その後南北は、この合意を元に国際協調を模索していくことになる。
韓国社会では現在、下火になりつつあるものの、民族主義に基づいた統一運動という1987年の民主化以降、急速に高まりを見せた流れが北朝鮮独特の「自主」と結びついたものと言える。
二つ目は「南北の統一ビジョンが一致したこと」であった。
韓国は1989年から『韓民族共同体統一方案』を掲げ、94年にはこれを『民族共同体統一方案』として確定させた。
これはひと言で、統一に至るまでの中間過程を置くというものだ。
具体的には、まず南北の関係を深め土台を作った後で、「二国二制度」を維持しながら共同の経済圏を形成し、休戦体制を平和協定にするなどの諸般の必要な措置を実現した後で、晴れて南北が法的に一つの国になるというものだ。
これは「南北和解協力→南北連合→法的に完全な統一」という『三段階統一論』として今日まで韓国政府に公式に受け継がれている。
00年6月の首脳会談で南北は、韓国側の統一方案の第二段階にあたる「南北連合」が、北朝鮮側が1980年そして1991年に更新し主張していた「高麗民主連邦共和国創立方案」における「低い段階の連邦制」と相通じるものとして、見解の一致を見た。
やや余談になるが、この部分の理解は難しく「韓国が一本とられた」と曲解されがちだ。だが事実は異なる。
これを裏付ける金正日委員長の発言を、会談の裏方として縦横無尽に活躍した林東源(イム・ドンウォン)国家情報院長(当時)は自叙伝『南北首脳会談への道』でこう伝えている。
「私は完全な統一までは今後、40年、50年がかかると考えます。そして私の主張は連邦制ですぐに統一しようというのではありません。それは冷戦時代に主張したことです。私が言う『低い段階の連邦制』は南側の『連合制』のように軍事権と外交権を南北がそれぞれ保有し、暫定的に統一をしようという概念です」。
つまり、南北という二つの体制のまま協力していこうということだ。
このように史上初の南北首脳会談そして『6.15南北共同宣言』は、南北の和解・協力という朝鮮半島の未来を描く記念碑的な役割を果たし、その後の南北交流の口火を切るものとなった。
当時、韓国の日刊紙『韓国日報』による世論調査では、回答者の95.7%が南北首脳会談の成果に「満足する」とするほど、韓国社会から大きな支持を得た。
●昨年から続く「対決」の強調
だが尹政権はこんな「平和の象徴」とも取れる6月15日を「対決の象徴」へと書き換えようとしている。『2023連合・合同火力撃滅訓練』の最終日をこの日に当ててきたことは偶然ではない。
昨年にも似たようなことがあった。
昨年6月15日、国会で行われる『6.15南北共同宣言』記念シンポジウムに向かう道すがら、韓国のYTNラジオを聞いていると、突如チェ・ウォニルさんのインタビューが始まり驚いた。
チェさんは黄海で2010年3月26日に起きた『天安艦沈没事件』の際に、哨戒艦『天安』の艦長だったことで知られる人物だ。
『天安』は北朝鮮の魚雷攻撃により船体が真っ二つに割れ沈没し、46人の韓国軍兵士・将校が犠牲となった。この事件を受け、当時の李明博(イ・ミョンバク)政権は『5.24措置』を発表し、開城工団を除くすべての南北関係を閉ざした(開城工団は16年2月に閉鎖)。
ここからはチェ・ウォニル元艦長と呼ぶ。6月15日に全く関係のないチェ元艦長がなぜ?と思ったところ、YTNラジオでは「1999年の第一延坪(ヨンピョン)海戦に哨戒艦『天安』も参戦していた」と説明していた。
この時に筆者は冗談ではなく、ハンドルを握りながら「そうきたか!」と声を上げた。
第一延坪海戦とは、北朝鮮の警備艇7隻ならびに魚雷艇3隻(後に警備艇3隻が増援)と、韓国の高速艇6隻が黄海(韓国では西海と表現)にある事実上の軍事境界線NLL(北方限界線)以南の地域で衝突したものだ。
先に攻撃を仕掛けてきた北朝鮮側に対し韓国側が反撃、最終的には10対10の闘いとなり、韓国側がわずか14分で北朝鮮側を退却させる勝利を収めた。この日が6月15日だった。
・結びつく6月15日と『天安』そして尹錫悦
昨年の6月15日に話を戻す。直前の9日、チェ元艦長は就任から約一か月となる尹大統領に招待され面談していた。この席でチェ元艦長は尹大統領に対し「自尊心を持って生きていけるようにして欲しい」と訴えた。
ラジオでチェ元艦長はこの発言の真意について「今もなお北朝鮮のしわざではないという声がある。北朝鮮を刺激してはならない、平和が壊れてはならないという雰囲気のために、遺族や生存した将兵が隠れて過ごしている」と説明した。
そして返す刀で前年(21年)の文在寅前大統領の対応について批判した。
国家のために犠牲となった人々を追悼する顕忠日(6月6日)の際に、遺族から「天安艦は誰のしわざだと思うか」と詰め寄られた文大統領が「政府の立場に変わりはない」と答えた点について、「(態度が)はっきりしない」と断じたのだった。
韓国では実際に『天安』の爆沈が北朝鮮によるものではないという陰謀論めいた主張が、今なお一部に存在している。
さらに、北朝鮮が関与を否定している『天安』の話題を持ち出すことは南北関係改善にとってプラスにならないという空気が、一部の進歩派人士の中に存在しているのも確かだ。
しかし筆者がこの日驚いたのは、チェ元艦長が上記のような話を『天安』が攻撃を受けた3月26日にするのではなく、敢えて6月15日にしたということだ。
本来ならば全く結びつかない二つの日付けを「『天安』が6月15日の第一次延坪海戦に参加していた」というアクロバティックな論理で結びつけたことに驚いたのだ。
こんな結びつきは過去には考えられなかった。
事実、過去の保守政権である李明博(在任08年2月〜13年2月)、朴槿惠政権(同13年2月〜17年3月弾劾罷免)の時期の2011年から16年までのニュースを検索しても、6月15日前後に哨戒艦『天安』沈没事件の話題が出てきたことは一度もない。
つまり、尹政権が6月15日を韓国市民に強い記憶として残る『天安』沈没と結びつけ、この日を「対決の日」として書き換えようとしているのだ。明らかに世論に影響を与えようとする目論見が感じられる。
昨年6月15日にチェ元艦長がYTNに出演したのは偶然ではないだろう。同社は株式の約3割(23年現在、20年には5割を超えていた)を韓国政府系の公社が保有しているため、時の政府の影響を受けるとされる。
尹政権とYTNの間にどんなやり取りがあったのかは分からないが、そうでなくとも尹政権がYTNの民営化を図る中で、チェ元艦長の出演が実現した蓋然性は充分にある。
●背景には尹大統領の世界観が影響か
チェ元艦長は、今なお大統領府と近い位置にいる。
今月14日には青瓦台(前大統領府)で開かれた昼食会に190人の国家有功者および報勲家族の一員として招かれ、尹大統領の隣に座りその存在感は際立っていた。
最近ではチェ元艦長を侮辱するような最大野党・共に民主党の報道官の失言に対し、同党の李在明(イ・ジェミョン)代表に直接抗議するなど話題にも事欠かない。
このように『天安』の沈没事件を強調し、冒頭に挙げたような「史上最大」ともされる北朝鮮を攻撃対象とした米韓合同訓練を合わせることで、6月15日は少しずつ「南北の平和」を語る日ではなく、「南北の対決」を語る日へと変わりつつある。
『天安艦ナラティブ』とでも名付けるべきこの動きは、年度でも説明できる。
前述したように第一次延坪海戦は1999年、『6.15南北共同宣言』は2000年のことだ。当然、海戦を踏まえた上で共同宣言が出たため、これを否定するのは簡単ではない。
このため、2010年の『天安』沈没事件を持ち出す必要があった。ほとんどの韓国人にとって、最もクリアな北朝鮮による加害の記憶である同事件をもって「対決」を想起させる必要があると考えられるのだ。
ではなぜ尹大統領はここまでこだわるのか?二つの答えが考えられる。
まずは尹大統領の世界観だ。ソウル大学法学部を卒業後、8浪の末司法試験に合格し、その後27年間検察ひと筋で過ごした尹大統領は、善悪で世間を判断する傾向が強いとされる。
「犯罪者のような悪い人物」と「そうでない人物」の線引きがはっきりとしており、尹大統領にとって北朝鮮の最高指導者・金正恩氏は前者にカテゴライズされているという噂は今や公然の秘密だ。
核開発を続け、住民の生活を顧みない金正恩氏は平和を語る相手ではなく、対決しねじ伏せる相手であるということだ。だからこそ「対決」そして「勝利」を押し出すのは自然なこととなる。
次は尹大統領が所属する保守政党・保守派としてのアイデンティティがある。韓国の保守派の最大のアイデンティティはが「反共」であることは周知の事実だ。
1950年に民族最大の悲劇・朝鮮戦争を引き起こした北朝鮮は韓国にとって不倶戴天の敵であり、今なお吸収統一の対象である。
前述した三段階統一論の行き先が韓国による吸収統一であるというのは、南北韓の体制競争に勝利した韓国にとって確信以外の何ものでもない。
実際に保守政権時代には『6.15南北共同宣言』がほぼ言及されてこなかった歴史がある。尹大統領もこの流れをきっちりと引き継いでおり、大統領選の中でも「反共」メッセージを連発し強調してきた。
折しも北朝鮮の金正恩氏は21年以降、韓国に対し強硬な姿勢を崩さないばかりか、昨年には韓国に対する核の先制使用を含む内容に核ドクトリンを改定した。
「対決」の強調はこんな北朝鮮に対する韓国市民の警戒心を呼び起こすことにつながる。関係改善という期待を打ち消し、南北関係に淡泊な若者世代の支持を拡大する狙いも透けて見える。
●エスカレートはどこまで
尹大統領は15日朝、Facebookに「今日で第1次延坪海戦の勝利から24周年を迎える」と書き込み、その中でやはり「1999年6月15日」という日付けを強調した。
もちろん『6.15南北共同宣言』に対する言及はなかった。まさに徹底していると言う他にない。
そして「北韓(北朝鮮)の無謀な挑発に一時の躊躇もなく断固として対応するだろう。私たちの圧倒的な力だけが敵に施しを乞うニセの平和でない、真の平和をもたらすだろう」と続けた。
尹政権は今月公表した『尹錫悦政府の国家安保戦略ー自由、平和、繁栄のグローバル中枢国家』の中で、北朝鮮の非核化戦略として、抑止(Deterrence)ー断念(Dissuasion)ー対話(Dialogue)という「3D戦略」を明確にした。
これに基づき尹政権は当分の間は「力による平和」、すなわち「抑止」に没頭すると多くの専門家は見ている。
文在寅政権の5年を経て、ふたたび互いを「主敵」と認識する南北関係。絶対に引かない尹錫悦政権の姿勢の一端が垣間見える6月15日だった