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【伊勢市】御薗町の山田奉行所記念館で「1863年江、今一色に砲台構築」の記述を発見 跡地は今どこに?

haruharu地域情報発信ライター(伊勢市、鳥羽市、度会郡)

書院や白洲など公的部分の一部を復元した施設「山田奉行所記念館」。先日、館内を見学した際、「山田奉行一覧」を何気なく見て、ある記述に目が釘付けになりました。それは、安政6(1859)~文久(1863)に就任した47代秋山安房守正光の主な出来事「江、今一色に砲台構築(1863)」。「砲台構築って、まさか1853年の黒船来航の関係で?伊勢に構築?」。にわかに信じられない筆者は、山田奉行所記念館・友の会運営委員長の辻村修一さん(87)に話を聞きました。

友の会運営委員長の辻村修一さん
友の会運営委員長の辻村修一さん

辻村さんの話―山田奉行所は江戸時代に幕府が伊勢国に置いた遠国奉行、つまり幕府の出張所の一つで「伊勢神宮の警備」「鳥羽湾の監視」が主な仕事。黒船来航を聞きつけた神主や神楽職の人が「外国船から神宮を守らねば」と訴えましたが、山田奉行所は今でいう警察の役割で、兵隊がいなかった。そこで、警備を藤堂藩(津藩)へ委託するよう、江戸幕府に上申。幕府は「自分たちの目でも見るべき」と安政2(1855)年に勝麟太郎(海舟)らを連れて伊勢湾一帯を検分するなどした結果、安政5(1858)年、幕府から藤堂藩に神宮警備の公命が下り、藤堂藩が兵士を配置する場所や設備、砲台を作りました。ただ、具体的にどの場所だったのかは分かりません。

聞き終えて茫然。本当に砲台があったとは。

山田奉行所記念館
所在地:伊勢市御薗町上條1602
開館時間:9:00~16:00
休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)
入館料:無料
連絡先:0596-36-8833

砲台跡地に立つ賓日館

江の砲台が、どの場所だったかどうしても知りたくて、いろいろと調べたら、賓日館のホームページに「賓日館は明治20年、伊勢神宮の賓客の休憩・宿泊施設として神宮の崇敬団体・財団法人神苑会によって藤堂藩の砲台跡地(敷地面積1,000坪余り)に建設された」との文章を発見しました!早速、現地に向かいます。

賓日館
賓日館

玄関まで、なだらかな坂になっています。「幕末の砲台について何か知っていますか」と問い合わせたところ、NPO法人二見浦・賓日館の会代表・奥野雅則さん(62)が応じてくれました。

「隣の建物と比較してみてください。1メートルほど高いのが分かります。砲台跡地の石垣です」と奥野代表。何と石垣が残っていました。

「ここも分かりやすいですよ。隙間なくきちんと置かれた石組みは砲台跡地(写真左側)、乱雑な石組み(写真右側)は明治以降に付け足したのだと思います。砲台跡地の範囲が推測できます」。賓日館の前は海。この場所で藤堂藩の兵士が外国船に備えて、警備をしていたのでしょう。昔に思いを馳せました。

賓日館
所在地:伊勢市二見町茶屋566-2 ※江戸時代、茶屋は江地区の一部でした。
開館時間:9:00~17:00(最終入館は16:30)
休館日:火曜日
入館料:大人310円、高校生以下150円
連絡先:0596-43-2003

今一色の砲台跡は

続いて、今一色の砲台跡を調べるため、現地へ。高城神社付近でお年寄りに話を聞いたところ「昔は砲台跡の石垣があったなあ。今は埋め立てて堤防ができたで、もうないに」。残念ながら、砲台跡の石垣はなくなったようです。

 幕末の砲台について調べました。社会の教科書に載っていた「1853年黒船来航」の影響は江戸城周辺の話で、伊勢には関係ないと思い込んでいた筆者。新たな事実に衝撃を受けました。市内で唯一残る砲台跡地に立つ賓日館。一度、足を運んでみませんか。

地域情報発信ライター(伊勢市、鳥羽市、度会郡)

生まれも育ちも伊勢市。グルメ情報や個性的な店、イベント、新スポットなどの魅力を発信します。2024年9月地域クリエーターМVA受賞。担当地域は伊勢市、鳥羽市、度会郡。

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