夢のある服はもういらない? ~ツモリチサトがブランドを終了する理由~
オリーブ少女の御用達ブランド
平成とともに生まれ、平成を代表する人気ブランドだったツモリチサトが今年でブランドを終了するという。長年にわたってファンの心をつかんでいたはずのブランドが、なぜ終了してしまうのか。
ツモリチサトとはそもそもどんなブランドだったのか。一言で言うならば、ガーリーでありながら、個性的な服であった。カラフルな色使いやふんだんに用いたパッチワークなどが特徴的であり、独自の世界観を持った夢のある服だった。
デザイナーの津森千里は、「イッセイミヤケスポーツ」からキャリアをスタートした。すぐに頭角を現し、83年には、ブランド名を「I.S. Chisato Tsumori Design」に変え、チーフデザイナーに就任する。80年代のDCブランドブームに乗り、「I.S.」は人気ブランドとしての地位を不動のものにした。その後、津森は90年に独立し、自らのブランド、ツモリチサトをスタートさせた。
デビューしたばかりの91~92年秋冬東京コレクションからも、その独特の世界観がよくわかる。
高橋源一郎が言うように、当時のガールズファッション&カルチャーを牽引していた雑誌『オリーブ』のモデルとしても人気が高かった、観月ありさの御用達であった。個性的でロマンティックな、90年代初めのオリーブ少女にぴったりのブランドだったのである。
ファンの高齢化とシンプルな服の流行
デビュー当時は10代後半から20代の比較的若い女性をターゲットとしたブランドであったが、ブランドが確立されていくにつれ、知名度は上がり、品ぞろえは幅広くなっていく。財布やバッグ、時計、パジャマや下着などのライセンス事業も積極的に行うようになり、ファッションだけでなく、ライフスタイルのすべてをツモリチサトで揃えることも可能になった。(ライセンスシリーズはブランド終了後も継続するという。)
しかし、肝心の服は、支持する女性たちがしだいに高齢化していった。ブランドスタート時からのファンである観月ありさ世代はもはや40代半ばである。いくら大人女子とはいえ、いつまでもガーリーで個性的なスタイルを追求するのは厳しいだろう。
ファストファッションで育った若い世代は、値段が高くて個性的な服にそれほど価値を求めないだろう。そこに、シンプルでカジュアルな服の流行が追い打ちをかける。少ない数の服を着まわす時代がやってきたのである。
「ユニクロでよくない?」「GUでよくない?」と言われては、もうどうしようもない。方向性は全く違うが、デビュー当時は行列ができるほど支持された梨花のブランドが終了するのも、根本は同じような理由からではないか。ツモリチサトは、個性的であるだけにもっと大変かもしれない。誰しも、押し寄せる「ユニクロ&GU」の波から逃れることはできないのだ。
独自の世界観よりも生活をよくする服へ
平成も終わろうとする今、人々に求められるのは、ツモリチサトのような独自の世界観を持った夢のある服ではない。「服は服装の部品」、「生活をよくする服」を掲げたユニクロのライフウェアのような服が多くの人々に支持されている。ライフウェアが求められる時代に、ガーリーで個性的な服はもういらないのかもしれない。そのように考えると、ツモリチサトがブランドを終了するのも仕方のないことのように思える。
かつて山本耀司は、「言葉にできないもの」を表現するのが、ファッションだと述べたが、現在は、胸にメッセージが大きく書かれた「ステートメントTシャツ」が流行する時代だ。言葉にできない服、夢のある服、独自の世界観を持った服は、平成とともにどんどん消え去っていく。
さて、令和のファッションはどうなっていくのだろうか。ますます人々は、機能的で快適な生活をよくする服を求めるようになるのだろうか。