もうすぐ「絶滅する」というファッション誌 休刊ラッシュで失われる大切な「役割」とは
休刊ラッシュが続くファッション誌
集英社の女子中高生向けファッション誌『セブンティーン』が2021年10月号をもって月刊誌を終了することを発表した。1968年創刊の『セブンティーン』は半世紀以上にわたって女子中高生に支持されてきた老舗雑誌である。
当初は『マーガレット』の妹誌としてスタートしただけに、マンガも掲載される総合週刊誌であった。しかし、88年にリニューアルし、ファッション誌『セブンティーン』に生まれ変わってからは専属モデルとなり、表紙を飾ることが人気女優への近道となっていった。過去の専属モデルには吉川ひなの、長谷川京子、木村カエラ、北川景子、水原希子、桐谷美玲などの名が並ぶ。
かつての『オリーブ』のようにリセエンヌでもなく、『キューティ』のように個性的でもない。『non・no』の女子中高生版、「普通の女の子」をターゲットにしてきたからこそ、今まで続いてきたとも言える。しかし、その『セブンティーン』も今後は年に3~4回発行するにとどめ、デジタルに移行するという。
また、同時に集英社は働くアラフォー世代向けのファッション誌『Marisol』も今秋以降、月刊誌を終了すると発表した。休刊になった『メイプル』の後継誌として2007年に創刊されて以来、川原亜矢子、SHIHOなどをカバーモデルに起用し、近年はエビちゃんこと蛯原友里も表紙を飾っていた。
人気モデルを抱えていても、休刊せざるをえないファッション誌。コロナ禍の影響もあり、昨年からはファッション誌の休刊ラッシュが続いている。『JJ』『ミセス』『アンドガール』『グリッター』『Domani』『セブンティーン』『Marisol』・・・老舗雑誌も、一時代を築いた雑誌も、若者雑誌もマダム雑誌もどんどん消えていく。
直接的なきっかけはコロナ禍だろうが、2010年代に入ってからファッション誌の売上げは低下していった。比較的好調だと言われる雑誌でも10万部に届かない。最盛期は100万部近くの発行部数を誇っていた雑誌ですら近年はこの有様だ。このまま紙の雑誌はデジタルに取って代わられるのか。もう私たちは紙の雑誌を必要としていないのだろうか。
紙のファッション誌が果たしてきた役割
美しいグラビア写真で伝えられる最新の流行。現在の私たちが思い浮かべるファッション誌の原型を築いたのは1970年に創刊された『an・an』である。現在の『an・an』はジャニーズ、占い、健康などエンタメやライフスタイルを扱う週刊誌というイメージが強いが創刊時の『an・an』は『ELLE JAPON』でもあり、最新のモードを届けるファッション誌だった。翌年に創刊された『non-no』、75年に創刊された『JJ』とともに長年にわたって日本のファッションをつくってきた。
洋裁からプレタポルテへ。70年代はおしゃれな既製服が次々と登場し、デザイナーやブランドが重視され始めた時代である。女性たちはどこに行けば、どんなブランドの服が、いくらで買えるのか、という情報を求めていた。もちろん、どうすればおしゃれに見えるのか、という服の着こなしを教えるのがファッション誌の重要な役割だった。モデルは憧れの存在となり、服の着こなしを指南してくれるスタイリストもスター化された。
こうしてファッション誌は女性たちの欲望に火をつけていった。『CanCam』『ViVi』『Ray』『with』『MORE』『25ans』『CLASSY.』・・・80年代には各出版社から続々とライバル誌や姉妹誌が創刊された。86年に男女雇用機会均等法が施行され、働く女性が増加した90年代になると、『Oggi』などキャリア女性ためのファッション誌も充実していく一方で、専業主婦に向けた『VERY』も創刊される。
キャリアかマダム(専業主婦)か、オフィスで働くための服か、ママ友とランチに行くための服か。あなたはどちらの服を選ぶのか、どちらの生き方を選択するのか。ファッション誌の役割は単に欲望を喚起するだけではない。欲望喚起装置であると同時に服を通して生き方を導く、生き方の教科書にもなっていった。
出版社も意識的にファッションと生き方を結びつけた。女の幸せは結婚と位置づけ、コンサバティブ(保守的)なファッションを提案し続けたのが光文社だ。『JJ』『CLASSY.』『VERY』『STORY』『HERS』と20代から50代までの「女の花道」を示していった。
一方、キャリア女性のライフコースを描いてみせたのが、小学館だ。『CanCam』『AneCan』(2016年休刊)こそ、キャリア志向ではないものの、『Oggi』『Domani』『Precious』とこちらは20代から40代までの働く女性向けファッション誌を用意した。
集英社は『セブンティーン』『non・no』『MORE』『BAILA』『LEE』『Marisol』『eclat』と10代から50代までの幅広い年代をカバーするだけでなく、キャリア向けの『BAILA』や『Marisol』、主婦向けの『LEE』というように、どちらの生き方にも対応するラインナップを取り揃えて対応した。
2000年代になると『Sweet』『InRed』などキャリアでもマダムでもない、「大人女子」を掲げた宝島社のファッション誌が台頭するようになり、あらゆる生き方に対応するファッション誌が出揃うことになった。
デジタル化で失われる生き方の教科書
だが、休刊が相次ぐことでせっかく出版社が築きあげてきたライフコースが途切れてしまう。かつては、大学入学とともに『JJ』の読者になってくれれば、あとは『CLASSY.』『VERY』『STORY』とそのまま読者はついてきてくれた。読者の側から言えば、いくつになっても次のステージが用意されていた。ある意味、安心して年をとることができたのである。
しかし、もはや光文社の看板雑誌だった『JJ』はない。集英社の『non・no』はめでたく50歳を迎えたが、『セブンティーン』も『Marisol』もなくなってしまう。小学館の『Oggi』はあっても『Domani』はない。私たちに今日(オッジ)はあっても明日(ドマーニ)はないのだ。スマホでファッション情報を得ることが当たり前になり、もちろん若い世代は雑誌を読む習慣などないのだから、仕方のないことではあるが。
紙の月刊誌を終了してもデジタル版は継続する、そちらに力を注ぐと各出版社は言う。確かに、モノのカタログ、情報誌としてのファッション誌の役割はデジタル版でも継続されるだろう。むしろ、デジタルの方が欲しいものがすぐに買えて、手軽な欲望をいっそう喚起するかもしれない。
しかし、生き方の教科書としてのファッション誌の役割はどうなってしまうのだろうか。読者に寄り添い、年齢を重ねても新たなステージで常に水先案内人として読者を導いてきたファッション誌の役割は。30歳、40歳、50歳、節目の年齢を迎える度に立ち止まり、結婚、出産、育児と仕事の両立とさまざまな問題に思い悩む女性たちの背中をファッション誌は押してきた。「大丈夫、あなたの生き方は間違っていない。これからも頑張って」と。
人生に必要なことはすべてファッション誌で学んだアラフィフ世代の私としては、生き方の教科書がなくなってしまうことに一抹の不安を感じるが、もはや杞憂なのだろうか。人生に必要なことはすべてスマホの中にあるのだろうか。あるいは、生き方の教科書などいらないほど、私たちの人生は自由になったのだろうか。