シロからクロ、そして今度はウエに、日銀総裁の変遷
2023年4月に植田総裁が就任して1年が経過した。
植田日銀は2023年7月に実質的に長期金利コントロールの上限を1%に引き上げた。
その後、こんな記事が出ていた。
「緩和姿勢を変えないコミットメント(約束)が守られていくか注視したい」。自民の世耕弘成参院幹事長は2023年8月2日の記者会見でこう強調していた。7月31日の講演でも「緩和からいよいよ離脱を始めるメッセージが出た。『植田日銀』に目を光らせなければいけない」と、長期金利の上昇を1%まで認めるとした28日の金融政策決定会合に露骨な不満を表明した(2023年08月02日時事通信)。
同年10月には長期金利の目標を引き続きゼロ%程度としつつ、その上限の目途を前回の0.5%から1.0%に引き上げて「目途」とすることで、イールドカーブコントロールを形骸化した。
就任後、3か月毎に修正を行っていた格好ながら、その3か月後の2024年1月での修正はなかった。
3か月毎に何かしようとしていたのかは不明ではある。ただし、これについてはっきりした証拠はないものの、そこに至る過程を見る限り、植田日銀は1月にもマイナス金利解除を含めた修正を行おうとしていた可能性があったこともたしかである。
しかし、何らかの事情が生じて、3月に先送りされた可能性がある。
結果として春闘の結果をみて、正常化に向けた一歩を踏み出した格好となった。また、自民党安倍派の政治資金問題も結果として、日銀にフリーハンドを与えた格好になったと思われる。何らかの事情が何かしらの事情で薄らいだともみられる。
総裁が植田氏に変わってからの日銀は政治的なプレッシャーに晒されながらも、物価上昇に応じ政策変更を探りながら行っていた。
前任の黒田総裁については、リフレ派ではないものの、安倍派の意向を汲んだ政策を行っていた。その前任の白川総裁は本来の日銀の政策を行ってきたが、こちらも政治的なプレッシャーに晒されていた。
白川総裁から黒田総裁に代わって日銀の金融政策は大きく変わった。まさにシロからクロに変化した。それでも物価は上がらず、日銀は無理に無理を重ねた。
ところがコロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻によって、世界の物価情勢が急激に変化し、日本も巻き込まれた。
ファンダメンタルズに大きな変化が出たが、それに対応しての日銀の修正は遅れた、というよりも「緩和姿勢を変えないコミットメント」に縛られる格好となっていたのである。
2022年4月から消費者物価は2%を超えてきた。その後、黒田日銀がやっと動いたのは2022年12月であった。日銀は長期金利の変動幅を従来の±0.25%程度から±0.50程度に拡大したのである。
拡大したと言うよりも、物価上昇に応じた長期金利の上昇圧力に耐えられなかったことや、それによる円安進行によって追い込まれた面があった。その際にも「緩和姿勢を変えないコミットメント」は変えなかった。
植田氏が就任し、物価上昇は続き、政治的な変化も生じて、日銀は本来の政策に修正が可能となった、今後は物価に合わせた金利の引き上げが視野に入る。クロからウエへの変化ともいえるか。
2024年3月19日の公表文からは、「緩和姿勢を変えないコミットメント」も消えていた。