イルカ漁問題で揺れた太地町の今〜あるアメリカ人ジャーナリストの視点
<日本の小さな漁師町に向けられた国際社会の非難>
紀伊半島のほぼ南端に位置する人口3千人あまりの町、和歌山県太地町に私が通い始めたのは2010年の6月。この小さな漁師町が、アメリカで製作されたドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の舞台として注目を浴びたのがきっかけだった。
太地町は古式捕鯨発祥の地として知られ、400年前からクジラやイルカを獲ってきた捕鯨の歴史が町の誇りだ。しかし「ザ・コーヴ」によってこの静かな漁師町は一変する。漁の様子やイルカの血で真紅に染まる海を隠しカメラなどで捉え、告発した映像は世界に衝撃を与えた。
2010年にこの映画が長編ドキュメンタリー映画部門でアカデミー賞を受賞した時、私は違う視点で映画を作ろうと決意した。「ザ・コーヴ」は上手くできた物語だが、憎しみや偏見に満ちている、問題は日本側からの発信がないことだと思ったからだ。映画は6年後に完成し、2017に邦題「おクジラさま」として日本で劇場公開された。
<太地町に住んで捕鯨問題と向き合うアメリカ人ジャーナリスト>
「おクジラさま」で物語の案内役として重要な役割を果たしてくれたのがアメリカ人ジャーナリストのジェイ・アラバスターだ。撮影を開始した2010年当初、太地町にはイルカ漁に反対する外国人活動家や国内外の報道陣が大挙して押し寄せ、右翼団体、警察、海上保安庁まで出動して、町は蜂の巣をひっくり返したような騒ぎだった。この頃、彼は東京をベースにしてAP通信の記者として太地を取材していた。
ジェイは日本に20年近く住み、日本語も堪能だ。太地に何度も通ううちに徐々にこの問題に傾倒して捕鯨の歴史にも興味を持ち、仕事を辞めて太地に移り住むことになった。私がジェイと知り合ったのは、彼が太地に住み始めて1年ほど経った頃だった。
太地では、外国人というだけで反捕鯨の活動家として不審がられる。しかしジェイは辛抱強く、礼儀正しく、繊細な気遣いで徐々に町民に受け入れられて行った。
<「ザ・コーヴ 続編」のニュースで発足した太地の情報発信クラブ>
大学院でジャーナリズムを勉強するためにジェイは一旦アメリカへ帰国するが、2018 年には、卒業論文を仕上げるために再び太地に戻って暮らしていた。
彼が8年ぶりの太地に住んで驚いたのは、「ザ・コーヴ」の騒ぎによって海外からの圧力やメディア報道にさんざんさらされたにも関わらず、町が殆ど変わってない事だった。日本の捕鯨やイルカ漁について議論する時に問題なのは、英語による情報量が圧倒的に少ない点だとジェイは指摘する。数秒ごとに画像や映像とともにツイッターなどに情報を上げるジーシェパードのような海外の活動家に比べて、太地からの発信はゼロに近い。しかし、町内でこの状況に不満を感じている人がいるのを知ってジェイが声をかけ「情報発信クラブ」を発足した。
このきっかけとなったのは、2017年の暮れに「ザ・コーヴ」の製作者が続編を作るとフェイスブック上で発表したことだ。未だにイルカ漁を続けている太地町に業を煮やしたのか、続編を作って今度こそ「太地の漁師たちを永久に黙らせる」と宣言した。
ジェイは「ザ・コーヴ」の続編は、太地にとって大きなチャンスだと見ている。監督にも直接連絡を取り、続編には太地町側のインタビューを入れるべきだと提案した。それに対して、町民はどんな反応を示すのか?続編への対応は、情報発信クラブの最初の大きな試練となりそうだ。
<太地を訪れる外国人活動家の変化>
太地町では外国人活動家の姿を殆ど見かけなくなったが、今でも毎年欠かさず訪れるアメリカ人がいると聞いて会うことになった。ティム・バーンズは、フロリダ州で印刷会社を経営している。海辺で育ち、海とイルカを身近に感じて育ったティムは「ザ・コーヴ」を見て、その日のうちに太地へ行こうと決意したという。以来、太地へは20回近く足を運んでいる。
ジェイは、そんなティムと意見は違うが、彼の情熱に敬意を払っている。ジェイは、自分とは反対の意見にこそ耳を傾けるべきだと主張する。ティムと話しているうちに、活動家たちにも少しずつ変化の兆しが見えてきたと言う。長い歴史を持つ太地のような頑固な町に、今すぐ捕鯨をやめさせるのは無理だと気づき始めたようだ。そして毎年日本へ来るうちに、ティムは日本のことが大好きになった。「日本は世界で一番美しい国。今では、僕にとっての休暇は唯一日本に来ること」と彼は言う。
<希望>
捕鯨を続けたい側と辞めさせたい側の溝はあまりに深く見える。しかし「ザ・コーヴ」の騒ぎが落ち着いた今こそが、話合い、お互いに歩み寄るチャンスではないかとジェイは言う。「両者ともお互いから学ぶべき事がある。憎み合うのは簡単だ。憎しみは受け入れ安いから。でも憎しみだけでは、決して良い社会は築けない」
国境を越えて、違う文化や価値観を持つ人同士が理解し合うことも決して不可能ではない。ジェイは、私たちにそんな希望を与えてくれる。
(この記事はYahoo!ニュース 個人で2018年5月1日に配信されたものです)