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靖国神社は戦没者の御霊を「独占」できるのか

橘玲作家
(写真:アフロ)

靖国神社の宮司が天皇を批判して退任するという前代未聞の出来事は、靖国神社がネトウヨの同類に乗っ取られたかのような衝撃を与えました。その後、当の宮司の手記が月刊『文藝春秋』に掲載され、実態がすこしわかってきました。

前宮司によると、靖国神社は不動産や駐車場の賃貸収入、資産運用の利益などもあって財政的に恵まれており、職員のほとんどは学校を出てから定年まで勤める公務員のような身分です。そのうえ単立宗教法人であるため神社本庁には人事権や指導権がなく、自分たちの好きなように処遇を決めることができます。

日々を大過なく過ごすことしか考えていない靖国神社の職員たちにとって、天皇の親拝問題は、自分たちでどうにかできるわけではないので考えても仕方ありません。「改革」を叫ぶ新任の宮司はうるさいだけの存在で、内部の研究会での暴言を録音してマスコミに流すことでやっかいばらいした、ということのようです。

前宮司も、神職たちに「ぼしんせんそう(戊辰戦争)」を漢字で書かせるような知識問題をやらせたといいますから、恨みをかっていたのはたしかでしょう(驚いたことに、幹部クラスでも低い点数の者がいたそうです)。靖国神社は日本の伝統を「保守」しているのではなく、たんなる「生活保守」だったのです。

前宮司は研究会で、「どこを慰霊の旅で訪れようが、そこに御霊はないだろう? 遺骨はあっても」と述べて、今上天皇の慰霊の旅を全否定したわけですが、なぜこのような発言をしたかの真意も手記で述べられています。

私たちは漠然と、魂は超自然的な存在で、自分の墓だけでなく、生命を失った場所にも、遺族のところにも、思い出の場所にもいるはずだと思っています。しかし元宮司は、こうした時空を超えた魂の遍在を否定し、正しい神道では戦死者の御霊は靖国神社にしかいないといいます。戦場に残されたのはたんなる「遺骨」でしかなく、だからこそ、そんな場所で「鎮魂」してもなんの意味もないのです。

これはきわめて偏狭な考え方ですが、靖国神社には戦死者の御霊を「独占」しなければならない事情があります。御霊がどこでも望む場所に行けるなら、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にもいるはずだからです。そうなれば皇族も政治家も、参拝のたびに「歴史問題」が騒がしい靖国ではなく、どこからも批判の出ない千鳥ヶ淵でこころおきなく戦没者の霊を鎮めればよいことになってしまうのです。この危機感が、「今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ」との暴言につながったのでしょう。

靖国神社を守るためには、靖国が御霊を独占しなければなりません。ところがそうすると、今上天皇が生涯をかけた慰霊の旅が、御霊のない場所を訪れるだけの「観光旅行」になってしまいます。これは保守派にとって深刻な矛盾であり、このことを率直に述べただけでも前宮司の手記には大きな意味があります。

保守論壇はあれだけリベラルのダブルスタンダードを叩いたのですから、「御霊は靖国神社にしかいないが、天皇は鎮魂の旅をしている」という自らのダブルスタンダードにも真摯に向き合うべきでしょう。

参考:「今上陛下は靖国を潰そうとしている」発言の真意 小堀邦夫前宮司独占手記「靖国神社は危機にある」(月刊『文藝春秋』2018年12月号)

『週刊プレイボーイ』2018年11月19日発売号 禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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