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『中共壮大之謎』(中国共産党が強大化した謎)――歴史を捏造しているのは誰か?

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
日中戦争を再現 中国にテーマパーク(写真:ロイター/アフロ)

中国大陸に住む謝幼田氏は『中共壮大之謎』(明鏡出版)という本を書いている。その日本語版『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』(草思社)を紹介分析し、一部の在日中国人学者の視点と日本に内在ずる危険性を考察する。

◆謝幼田氏の主たる分析結果

謝幼田氏(1940年生まれ)はもともと中国四川省の社会科学院にいた歴史研究者だったが87年に渡米し、スタンフォード大学フーバー研究所の客員研究員として抗日戦争中の中国共産党について研究した(現在アメリカ国籍)。

その結果、著したのが中国語の『中共壮大之謎――被掩蓋的中国的中国抗日戦争真相』(中国共産党が強大化した謎――覆い隠された中国抗日戦争の真相)という本である。2002年にニューヨークにあるMirror Media Group(明鏡出版)から出版されている。

この本で主として主張されているのは以下の点である。

1、 抗日戦争中、毛沢東率いる中共軍は、まともに日本軍と戦わず、潘漢年らの中共スパイを日本外務省の諜報機関である「岩井公館」に潜り込ませて、蒋介石率いる国民党軍の軍事情報を日本側に高値で売り渡した(1939年~)。

2、 国共内戦により蒋介石に追い詰められ、延安まで逃げた毛沢東ら中共の軍隊は壊滅寸前で、蒋介石が「あと5分あれば中共軍を完全に壊滅できる」と確信したその瞬間、張学良により裏切られ、西安事変が起きてしまう(1936年12月)。

3、 ソ連が指揮するコミンテルンは、ソ連が日本に進攻されるのを防ぐため、中国に共産主義の国を建国しようと全力を尽くしていたが、毛沢東の劣勢を見て国民党との国共合作を命令した(1936年8月1日。八一宣言)

4、 その結果1937年1月から2月辺りから国共合作が始まった(手続きに時間がかかり期日がまたがる)。

5、 1937年7月7日に盧溝橋事件が起き、日中戦争が本格化した。すると毛沢東は直ちに「洛川会議」なる中共中央政治局会議を開催し、そこで以下のような秘密指令を出した。「抗日のためには10%の兵力しか使ってはならない。20%は国民党との妥協のため(国共合作をしているようなふりをするため)に使い、残りの70%は中共軍を強大化させるために使う」

あまり長くなると読むのが嫌になるだろうから、興味のある方は是非ともその日本語版である『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたのか――覆い隠された歴史の真実』をお目通し頂きたい。かつて共同通信の論説委員や香港特派員などを務められ東海大学でも教鞭を執ったことのある坂井臣之助氏が翻訳なさったものだ。

◆謝幼田氏の拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』に対する評価

筆者は拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』の執筆に入る前に謝幼田氏とお会いした。掘り起こした史実があまりに一致しているので、共著の形を取りたいと申し込むためだ。

ところが謝幼田氏は共著を強く拒絶なさり、「自分がこれまで発掘できなかった日本側の資料を独自に発掘してくれて、自分がその資料なしに展開してきた論理が正しかったことを裏付けてくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。むしろ独立に出版してくれることに価値がある」と言ってくれた。そして最後に、

「抗日戦争中の中国共産党の真相を研究している者たちに、あなたが発掘してくれた日本側証拠が、どれほど大きな勇気を与えてくれるか、その価値は計り知れない。心ある研究者はみな、あなたに感謝するだろう」

と激励してくれたのである。

9月20日にアメリカのワシントンDCにおけるNational Press Club(国家記者クラブ)で筆者の講演のコメントをして下さる辛こう年(Xin Haonian)氏も同様の激励を贈ってくれた。

中国政府高官でさえ「誰かがいつかは書かなければならなかった真相だ」と筆者を元気づけてくれたほどである。それはおそらく、8月31日付の本コラム「人民が党の真相を知ったら、政府を転覆させるだろう――1979年、胡耀邦元総書記」に書いた事実を知っているからだろう。上層部は実は筆者と共通する、これら一連の真相を知っているものと推測される。

ノーベル平和賞を受賞して投獄されている劉暁波氏も、日中戦争中の毛沢東と中共軍の動きに関して謝幼田氏や筆者と同じことを言っている。そのことは2015年12月3日の本コラム<ノーベル平和賞の劉暁波氏が書いた「中共による抗日戦争史の偽造」>で明らかにした通りだ。

◆在日中国人学者の拙著に対する酷評

それに対して、9月8日にBSフジ・プライムニュースで特集された「毛沢東と現代中国の“闇”」に出演した在日中国人学者の、拙著に対する攻撃は尋常ではなかった(前半は穏やかだったのだが、後半部分から)。それは中国政府が「立場」として反論してくるであろう内容とほぼ一致しており、拙著の価値を必死で否定する個人攻撃までしてくる姿勢には驚いた。

番組では時間が足りなくなるであろうことを心配して、この中国人学者の不当な攻撃の中にある多くの間違い(虚偽の弁論)に、いちいち反論することは控えた。しかし万一にも視聴者の中に、彼の中国政府流の歪曲した内容を「事実」と解釈なさる方がおられるとといけないので、責任上、ここにいくつかの歪曲された事実に関する説明をしておきたい。

筆者としては決して個人攻撃だけはしたくないので、この在日中国人学者の実名を書きたくないが、番組を見れば直ちに誰であるかが分かるので、明記することとする。東洋学園大学教授の朱建栄氏だ。ただ、彼に代表される「在日中国人研究家で日本の大学の教授」の何名かが事実を歪曲した中共擁護的言論を展開するので、自由ではあるものの、このような学者たちに教育を受けている日本の若者への影響を考えると看過できないものがある。そのために、いくつかを列挙する。

(1)まず冒頭に彼は中国のこんにちの発展に関して高い評価をした。それはあたかも「中国共産党が統治しているお蔭だ」というように聞こえるかもしれないが、中国だけで統治していたときには(毛沢東時代では)、貧乏のどん底にいた。ところが1972年に米中国交正常化に向けて動き出し(協定は1978年)、日中国交正常化をしたのちには、日米両国から膨大な経費的支援を受けて急速に成長していった。旧ソ連が1991年に崩壊した後は日米の重要性が小さくなり、日米が中国経済と技術発展の基礎を支えた上げたことは無視して、あたかも自分自身で経済大国になったような論を展開している。

(2)朱氏は盛んに「日中戦争が本格化する前まで、わずかしかいなかった中共軍が、なぜ日中戦争が終わるころには膨大な数に膨れ上がったのか」という問題を提起し、同時に「日本軍がどれだけ強かったかという事実」とともに、「だから、それは中共軍が日本軍と勇敢に戦った証拠だ」という論理展開を何度も行っている。

これは非常に矛盾する論理で、そんなに強い日本軍と戦ったのなら中共軍の戦死者が多く、中共軍は減るはずで、謝幼田氏の分析結果と完全に逆の結論だ。

謝幼田氏は、「それこそが、中共軍が日本軍と戦わなかった何よりの証拠」として中共側資料から事例を数多く上げて結論を出している。 謝幼田氏の結論は「日本軍との戦いは国民党軍に任せ、中共軍は洛川会議の決議通り、10%の兵力だけしか抗日戦争に使わず、70%は中共軍の拡大に力を注いだので、その結果(2万人ほどにまで)激減していた中国軍は日本が敗戦を迎えるころには(百万人ほどまで)膨大に膨れ上がっていた」、と結論付けている。謝幼田氏の分析は整合性がある。

(3)毛沢東が一生涯(1976年9月9日の死去まで)、なぜただの一度も、いわゆる「南京大虐殺」を7000頁におよぶ『毛沢東年譜』に残さなかったのかに関して問われると、「じゃあ、平頂山事件(へいちょうざんじけん)に関して記録しているか」という、関係のない話で回答をずらした。平頂山事件は1932年9月に起きた事件で、400人から800人ほどの住民が犠牲になったとされている(中国側資料で3000人)。

筆者が言っているのは中国が毛沢東の死後に言い始めた南京事件(中国では南京大虐殺)のことで、中国は日本に対する歴史カードとして南京事件を日本に突き付けユネスコの世界記憶遺産にまで登録している。毛沢東は生涯、この事件を無視しただけでなく、教科書で教えることも禁じた。それをどう説明するつもりかと問うているのである。

それには回答せず(回答できず)、他の数百人の事件で回答をすり替えるのは学者的ではない。

(4)筆者や謝幼田氏が主張していることは、かつて中国共産党中央の総書記をしていた王明という人の記録に克明に書いてある。朱氏は、「これはコミンテルンからも中国政府からも完全に否定された」と反論してきたが、コミンテルンは否定していない(最近解禁となったコミンテルンの極秘文書では積極的に肯定している)。また中共中央自身が「内部資料」として、わざわざロシア語で書かれた王明の手記を『中共50年』(東方書店)として中国語に翻訳し、指導層が一生懸命に勉強した。内部資料は今ではネットで誰でも読める。たとえばこれなどがあるが、ダウンロードはしない方が安全かもしれない。本自身を入手することも可能だ。

まだまだ日本人に誤解を与えてはならないことを数多く書かなければならないが、長くなり過ぎるので、またの機会にしたい。

非常に気になったのは、こういう偏った、完全な中共擁護に徹した教授が、純粋無垢な日本の若者たちに、大学の授業を通して「中国政府の主張に基づく歴史観をすり込んでいくこと」の危険性である。そうでなくとも日本は贖罪意識や経済的に不利になっては困るといった配慮から、真実を言うことをためらう人が少なくない。

日本国全体の問題として、あるいは今後の日中関係において、今回の対談で、そこに潜んでいる危険性にハッとした。

かつて旧ソ連のコミンテルンは全世界を「赤化」するために、アメリカや日本などにコミンテルンのスパイを送り込んで、その国の思想コントロールにかなり成功している。

それは「過去」のことだが、現在と今後の「情報戦」あるいは「思想戦」は、言論の自由、思想の自由が保障されている現在の日本の盲点の一つかもしれない。

(なお、筆者は個人的には朱建栄教授を長年にわたり尊敬してきた。彼ならばきっと冷静で正義を重んじる論理を展開してくれるものと信じて、対談相手が朱建栄教授であることに大いなる期待をしたことを付け加えておきたい。)

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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