WBCベネズエラ代表監督、オマー・ビスケルに聞く。「まね」と「個性」で連なる名手の系譜。
第4回WBCのベネズエラ代表監督を務めるオマー・ビスケル(49)は、遊撃手としてゴールドグラブ賞を11回も獲得している。
ベネズエラで生まれ育ったビスケルは、22歳の時にマリナーズでメジャー昇格。華麗な守備は「ダンスのよう」と形容された。捕球してから、跳躍し、身体を回転しながら送球するときでも、一連の動作はスムーズでほとんどムダがなかった。素手で打球を捕球し、そのまま送球するベアハンドキャッチはトレードマーク。45歳までメジャーリーグでプレーした。
もう15年以上の前のことだと思うが、現役時代に守備について質問したことがあった。ビスケルは「神様によい手を与えられた」と笑っていた。ビスケル自身が、天からたぐいまれな才能を与えられたことを、認めていた。
今、ビスケルは現役を引退して、メジャーリーグのコーチになっている。2014年からはタイガースの一塁コーチ、守備・走塁コーチをしている。
しかし、名手ビスケルがコーチをしたからといって、誰もがゴールドグラブ11回のビスケルになれるわけではない。
ビスケルに「自分がプレーすること」と「コーチとして選手を見ること」の違いをたずねてみた。
ビスケルはこんなふうに話を始めた。「選手は持っている能力がそれぞれ違う。だから、それぞれに合ったやり方というものがある。選手個人が持っている能力を、どのようにすれば、その選手が報われるのか。それを助けるのがコーチとしての仕事だ」
ビスケルは「その選手が持っているものやスタイルを、コーチは変えることはできない。ひとりひとりの違う能力が、それぞれに報われるように。誰かと同じようにやれと言われて、トライするのは難しいことだと思う。だって、誰かと自分は同じではないのだから」と言う。
指導者ビスケルは、その選手が持っているものを見極めようとしている。
「僕は選手に技術的なアドバイスはする。それを選手が自分でやってみて、自分のものにしていって欲しい」。
それと同時にビスケルは、「個性的な選手」や「個性的なプレー」が何の脈略もなく、生まれるものではないことも知っている。
ビスケルの生まれ育ったベネズエラは、名遊撃手の産地だ。
1950年にメジャーデビューしたチコ・カラスケル。ベネズエラ初の米野球殿堂入り選手となったルイス・アパリシオは、ゴールドグラブ賞9回。1970-80年代にレッズで活躍したデーブ・コンセプシオンらがいる。
ベネズエラはなぜ、名遊撃手を生み出してきたのか。ビスケルに聞いた。
「僕たちはいつも上手な遊撃手たちのプレーをよく見ていた。子供たちはいつもまねしようとしていたね。子供たちは育っていくなかで、素晴らしい選手をよく見て、よくまねをしていた。ベネズエラはずっと前から遊撃手の伝統がある。カラスケル、アパリシオ、コンセプシオン。彼らのフィールディングをまねていたんだ」。
1967年生まれのビスケルが直接に影響を受けたのは、コンセプシオンだ。
「コンセプシオンをよく見てきた」。
「だけど、僕がさっき話したように、コンセプシオンと僕の守備とは違う。コンセプシオンは僕よりずっと背が高い。フィールディングのスタイルが、僕とは違う。でも、僕がショートをやりたいと思ったのは、コンセプシオンのプレーを見ていたから」。
子供たちはまねることによって学んでいく。まねすることはスポーツに限らず、何かを次の世代に継承していくのに不可欠なこと。しかし、体格や能力はひとりひとり違う。ビスケルは、誰かの完全コピーではなく、憧れの選手のまねをしながら、自分の持って生まれた能力を一番発揮できるプレーを探ってきた。
それが名手ビスケルのコーチングの土台になっている。