「明石家さんまの師匠」としても知られる落語家の笑福亭松之助が2月22日、老衰のため93歳で亡くなった。
上方落語界の最長老だった松之助の訃報に常に「明石家さんまの師匠」と注釈がつくのはいささか失礼な気がしないでもない。
しかし、松之助は、さんまがブレイクし始めた当時、袴に「さんまの師匠」と書いて高座に上がるという洒落っ気を見せるような人物だった。
「なんちゅう師匠や」とみんなを笑わせる師匠に、さんまは「俺の選ぶ目は間違いなかった」と誇らしく思ったという。
「師匠選び」というのもひとつの才能である。
BIG3の3人と笑福亭鶴瓶をテーマにした対談で水道橋博士は、彼らの師匠選びのセンスを絶賛している。
楽しくなることを考えてることは楽しい
さんまが弟子入りした際のエピソードは印象的だ。拙著『1989年のテレビっ子』から引用する。
弟子修行時代は、毎朝7時から松之助の自宅に通い、掃除などを行い、松之助の息子(のちの明石家のんき)たちを幼稚園に送り、松之助の仕事に同行した。
ある日、掃除をしていると松之助に「掃除楽しいか?」と訊かれた。
人間、服一枚着てたら勝ち
こうした弟子修行のさなか、さんまは一度、松之助の元を逃げ出すように“失踪”している。
懐深く思慮深い松之助なくして「明石家さんま」は生まれていなかったのだ。
「生きてるだけで丸もうけ」というあまりにも有名なさんまの座右の銘も、実は松之助の教えによるものだ。
松之助の哲学は、さんまに色濃く継承されているのだ。
その「あるがまま」に生きる松之助の哲学は自著『草や木のように生きられたら』に詳しく綴られている。
そこには、さんまに対する思いや誇りも愛情たっぷりに描かれている。
またさんまが「自分が歳をとったら、師匠の家しか帰るところはない」と語ったとも明かされている。きっとさんまが「杉本高文」に還って甘えられるほぼ唯一の人だったのだろう。
松之助はさんま以来、弟子を取ることは一切なかった。その理由について松之助らしい言い回しで書いている。