イングランド銀行にみる中央銀行の独立性と物価目標について
世界で二番目に古い中央銀行であり、現在の中央銀行制度のモデルとなったとも言われる中央銀行が英国のイングランド銀行となる。このイングランド銀行が政府から独立したのは、1997年であった。ちなみに日銀法が施行されたのも1998年なので、英国も日本も中央銀行が政府から完全に独立したのはそれほど昔ではなかった。
第二次世界大戦後に成立した労働党のアトリー政権の下でイングランド銀行は「1946年イングランド銀行法」によって国営化され、政策運営の独立性を失っていた。
1997年5月に英国でブレア政権が誕生し、ブラウン財務相は就任わずか4日目に金融政策の大転換を行い、財務省から中央銀行であるイングランド銀行に金融政策の決定権を移し、「独立性」を高めるという大胆な改革に踏み切った。
この改革とは、イングランド銀行総裁、副総裁、理事、外部らの委員で構成される金融政策委員会へ政策運営権限を委譲すること、外国為替市場介入権限を部分的にイングランド銀行へ委譲すること、準備預金制度の法制化、銀行監督権限をイングランド銀行から分離し新設された金融監督庁へ移管すること、そして国債管理業務の財務省への移管などであった。
英国の金融政策の目的は、物価の安定を維持すること、および成長及び雇用目的を含む政府の政策を支持すること、と規定されている(1998年イングランド銀行法)。イングランド銀行は政府が定めるインフレーション目標を達成するための政策手段の決定を行う権限を持っているが、財務省が「物価の安定」の内容を決定し、政府の経済政策を具体化する責任を負っている。
金融政策を決める金融政策委員会は9名のメンバーより構成されている。総裁1名、副総裁2名、財務大臣と協議のうえ総裁が任命する金融政策担当理事と金融調節担当理事の理事2名、この内部委員5名に加え、財務大臣により任命された外部委員4名の合計9名となる。
物価がインフレ目標の2.5%から1%以上乖離し、1.5%か3.5%以上となった際には、総裁はその原因、対応策、目標圏内に戻るのに必要な期間を明示した公開書簡を財務大臣に送る必要がある。2007年4月16日、インフレ率が目標値の2%を越えて3.1%に達したため、その理由を説明した公開書簡を当時のキング総裁がブラウン財務大臣宛てに送っている。
ここで注意したいのは、英国の財務省が定めた物価目標は2.5%であるという点である。よく2%がグローバルスタンダードと言われるが、それはユーロ圏や米国の物価目標水準であり、英国は2%ではない。ECBについては国を跨ぐ中央銀行であり、それぞれの国の物価水準は異なることで一律に2%ということにはならない。米国でもターゲットという目標というよりも、その水準をゴールにしたいという目標値にすぎず、絶対目標ではない。
ということなので、日銀もそろそろ物価目標を柔軟化させ、絶対的に達成しなければならないものでなく、その水準を目指す程度のものにすることも考えてはどうか。それとともにその国の実勢に物価目標も合わせる必要があり、2%という数値にこだわらず、たとえば1%とか1.5%あたりを安定目標するなど、修正することも必要なのではないかと思う。