山修行に線状降水帯の恐怖——すれ違う僧侶の父と息子の心を変えた過酷な4日間とは
山伏、それは日本古来の山岳信仰から発展した修験道を実践する人たちだ。深い山中に分け入っての修行は過酷で、時に命の危険すらある。そんな山伏のひとりである真言宗僧侶の小林誉さん(49)は2023年5月、山での修行に息子の佑(たすく)くん(18)を初めて誘った。佑くんは仏教を学びながらも「僧侶にはなりたくない」といい、父親の誉さんを「厳しくて怖い」と敬遠している。そんな親子が初めてともに挑んだ4日間の修行。一般人には想像もつかない非日常的な空間で生まれた親子の変化とは?
●僧侶にしたい父と、なりたくない息子
小林誉さんは、東京都町田市にある一灯不動の住職だ。その次男して育った佑くんは2023年4月に高野山大学に入学した。高校も「仏教をしっかり学べるように」という父の勧めで高野山高校に通い、寺に住み込みながら仏教を生活の一部として過ごしてきた。だが、大学では宗教ではなく教育学を専攻している。将来の夢は僧侶ではなく、子供の教育に携わることだ。
僧侶になると、葬式などで多くの人の死と向き合わなければならない。悲しむ人々の姿を見るのは嫌だし、人の死にも慣れたくないからだという。
一方、誉さんは、できることなら佑くんに僧侶になってほしいと考えている。高野山高校での3年間で、息子の大きな成長を感じたからだ。誉さんにしてみれば、高校で仏教のことをしっかり学んだのに、ここでやめてしまうのはあまりにもったいない。できることなら佑くんには僧侶になって、多くの人々を仏の教えに導いてあげる人になってほしい。もちろん、息子の人生だから強制はできない。それでも山で修行してみれば、息子の中で何かが変わるかもしれない。父親にはそんな思いがあった。
●寺の後継者不足
実は寺の後継者不足はいま、全国的に問題になっている。一般社団法人「日本仏教協会」の代表理事中根善弘さんによると、全国の約7割のお寺が後継者不足に直面しているという。一番大きな理由は経営難だ。仏教離れ、檀家離れが進み、寺は安定した収入が得られなくなった。僧侶だけでは食べていけない。親から子へ受け継がれる世襲が9割というのがこれまでの寺の在り方だったが、時代の変化とともに今、多くの寺が大きな壁にぶつかっているのが実情だ。このまま後継者がいない状態が続けば、数年で日本の寺は半分に減ってしまう可能性がある、と中根さんは考えている。
●山での修行
小林誉さんは「山に行けば、自分にどれくらい体力があるかとか、自分の実力がわかる。そして厳しい自然の中に身を置くことで、いかに自分が小さな存在かもわかる。そんな山での体験は絶対に将来の役に立つ。なぜこんな修行をしなければいけないか、いまはわからないかもしれないが、歳を取ればその意味がわかる時が必ずくる。だから山へ行くことは大事なんです」と話す。
息子の佑くんは、父親の言うことにはあまり逆らわず、素直に従うところがある。誉さんからの誘いに応じ、山に登ることにした。
●1300年の伝統を受け継ぐ山伏たち
そもそも山伏はなぜ山中で過酷な修行をするのか。
かつて山は里に住む人々にとって異界だった。山にはこの世ならざる鬼やもののけが棲(す)むと恐れられ、死者の魂が帰る場所とされていた。そんな山の中で修行に励み、特別な力を得ようとする人たちは昔からいた。あの空海も山で修行をしたひとりだったという。空海に先立つこと約100年、7世紀に奈良の山中で修行をしていたのが、さまざまな呪術を使った伝説が残る役行者(えんのぎょうじゃ)だ。修験道の開祖とされている。
修験道とは日本古来の山岳信仰に仏教や神道、陰陽道などが混じりあった日本独自の宗教だ。山中の洞くつで何日も瞑想(めいそう)し、お経や真言を唱え、滝に打たれ、岩を飛び越える。そんな修験道を実践する修行者たちが、山伏あるいは行者(ぎょうじゃ)と呼ばれる。修験道は明治維新の廃仏毀釈(きしゃく)で政府によって禁止されたが、その後少しずつ復興。いまも1300年来の伝統が細々と受け継がれている。
●最も過酷なルートに挑む
台風2号が近畿地方に近づいていた5月31日。小林さん親子は紀伊半島を貫く紀伊山脈に向かった。そこには奈良・吉野から和歌山・熊野に連なる山々の峰を歩く大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)という山道がある。山伏修行の聖地とされている道だ。山での修行は日本各地で行われているが、大峯奥駈道はその中で最も過酷なルートと言われている。強風が吹けば谷底に飛ばされてしまうような難所がいくつもあるからだ。
誉さんは、奈良を拠点とする二實修験道(にじつしゅげんどう)という山伏のグループに所属している。山での修行を重んじる僧侶たちの集まりで、普段は各地で僧侶として活動しながら年に1度集まり、ともに山に入る。誉さんはこれまで10回ほど仲間たちと大峯奥駈道を踏破している。親子は二實修験道の仲間たちとともに大峯奥駈道に向かった。佑くんは「何か面白いことがあるかもしれない」というかすかな期待を胸に山に入ったが、想像以上に過酷な4日間になった。
参加した二實修験道の僧侶たちは40~50代が中心だったが、山中では驚くべき健脚を見せた。雨に濡れた山道でも鎖をつたって登る崖でもスイスイと前に進み、歩みを止めない。
山での修行には、ひとつのルールがある。けがや体調悪化などで集団のペースについていけなくなった者は、修行をやめて山を降りなければならない。その判断は山伏のリーダーが下し、ほかの者は絶対に従わなければならない。
そんな厳しさの中で、佑くんはさまざまな修行を難なくこなしていた。一方、誉さんは集団からひとり遅れ、しんどそうな表情を見せていた。そんな父親の姿を、息子は黙って見つめていた。佑くんには、それは意外な父親の姿だったのだ。
●初めて見た父親の弱さ
佑くんにとって、それまで父親は怖い存在だった。中学生の頃、勉強をサボってひどく怒られたことがあり、大きなトラウマになっていた。ところがいま目の前にあるのは、よろよろとしながらも懸命に歩き続ける父親の姿だ。18歳の息子が初めて見た父の弱さだった。佑くんは「父親も人間なんだな、と思った」と振り返る。ずっと怖い存在だった父親を、初めて一人の人間として感じた瞬間だったようだ。
山に入った当初、親子はつかず離れず歩いていたが、修行が進むにつれ、ふたりは時折笑顔で会話を交わすようになった。10キロ以上の荷物を背負いながら雨の中、山道を毎日何十キロと歩く。鎖を頼りに崖をよじ登ることも少なくない。誰もが互いに支え合わなければ歩き続けることはできない。そこには不思議な一体感が生まれていた。
しかし4日目。最大の危機が訪れた。山に線状降水帯が近づいてきたのだ。通常のルートでは危険が大きく、一行は別ルートで下山を始めた。吹きつける雨の中、道なき道を6時間転げるように歩き続け、泥まみれなりながらようやく麓にたどり着いた。
下山後、佑くんは父への印象が大きく変わったと話した。怖かった父がへばっているところを見て「父さんも人間じゃん」と思ったのだという。最も遅れて歩いていた誉さんが心配だったという佑くんは、太り過ぎを心配して「1年間、ビール禁止だよ」と軽口をたたくようになっていた。
山伏修行という非日常的で過酷な体験。それをふたりで乗り越えたことで、息子は大人の階段をもう一段登った。親子の距離は、少しだけ近づいた。