韓国に初上陸、ピカソの名画<韓国での虐殺>から朝鮮戦争を考える
今なお続く朝鮮戦争。しかしその実情は、日本では余りにも知られていない。今回、韓国で初めて展示されたピカソの名画から、朝鮮戦争の過去と現在を読み解く。
●6月25日といえば、朝鮮戦争
先日6月25日は、日本では全く意識されない日である反面、朝鮮半島では現代史を考える上で欠かせない日であった。
ユギオ。数字625をつなぎ合わせて発音するこの単語は、韓国では朝鮮戦争の代名詞として使わる。1950年のこの日の明け方、朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる北朝鮮が韓国に攻め込んできた。
それから休戦協定が結ばれる1953年7月27日まで、朝鮮半島は文字通り焦土と化した。
韓国政府の公式統計では、軍人の戦死者は韓国軍約14万人、国連軍約3万8000人、北朝鮮軍約60万人、中国軍約15万人。負傷者はこの数倍にのぼり、さらに民間人の犠牲者は韓国で死者約24万、虐殺約13万、行方不明約30万人、拉致約8万4000人とすさまじい数にのぼる。
一方の北朝鮮の民間人被害者は死者約28万人、行方不明約80万人。いずれの統計も実際にはこれよりも多いとされる。ちなみに当時の人口は、韓国約2000万人、北朝鮮約1000万人と、死者は全人口の1割を超えるだろう。
文字通り「朝鮮戦争の被害を受けなかった人は存在しない」という程の被害だった。さらに戦線が南北に行き来することで、戦禍を避けるたくさんの避難民が生まれ、53年の休戦後に分断が固着化したことにより、南北離散家族となった。
毎年この日を控え、私は「今年は何をどう書こうか」と悩む。去年は、朝鮮戦争で韓国が敗北するのか否かの瀬戸際にまで追い込まれ、臨時首都の釜山を守る最終防衛線となった「洛東江戦闘」の激戦地の山に登り、記事を書いた。真夏の山で闘う意味を問うものだった。
そんな中、今年はピカソ展を取材することにした。一見何の関連もないように見えるが、今回の展示には知る人ぞ知る、朝鮮戦争と深い関連を持つ作品が来ていたからだ。
絵画のタイトルは『韓国での虐殺(Masacre en Corea)』。日本では「朝鮮での虐殺」、「朝鮮の殺戮」などと呼ばれる、ピカソが1951年1月に発表した作品だ。
この作品がフランス・パリの国立ピカソ博物館から、他の作品110点と共に、今回初めて韓国に上陸した。
展示は、芸術の殿堂というソウルの劇場や美術館が集まる複合施設で4月30日から行われている。昨年から韓国でも猛威を振るい続ける新型コロナ禍の中で開かれる、初の大型展示ということもあり、主催者の予想を上回るたくさんの観覧客が詰めかけ、韓国内で話題となっている。
今回の展示の総監督は、過去にモディリアーニ展をはじめ、韓国でいくつもの大型展示を成功させてきた徐舜主(ソ・スンジュ、58)さん。
足かけ3年にわたって準備をしてきたという徐監督は今月23日、筆者のインタビューに答え、展示の背景についてこう明かしている。
ピカソが70年にわたる芸術家としての人生を通じ、どんな作品を残し、どんな作品が美術史の中で転換点を占めているのか、どんな業績を残したのかなどを全体的につかむための回顧展である。
会場には実際に、「マリー・テレーズの肖像」をはじめ、パリの国立ピカソ博物館から来た名画や彫刻などがずらりと並んでいる。そうした中が、徐監督は『韓国での虐殺』という作品の意味をこう強調している。
ピカソが残した『韓国での虐殺』という作品は、作品名に韓国の国の名前が含まれる唯一の大家の作品だ。今回の回顧展を機会に、この作品をぜひ韓国の人々に見せなければならない。この作品の持つ意味、この作品をめぐる誤解と真実、こうしたものに対し、私たちが明確に明らかにする時間にしたかった。
徐監督の言う「作品の意味」、「作品を通じた誤解」を知るためには、ピカソがこの作品を描くきっかけとなった、朝鮮戦争の実情を理解する必要がある。
●朝鮮戦争の一側面としての「虐殺」
1945年8月15日、日本の敗戦による’解放’後すぐに、朝鮮半島は米ソにより南北に分断された。統一政府を作ろうとする努力もむなしく、1948年8月には南側に大韓民国が、9月には北側に朝鮮民主主義人民共和国という二つの国が生まれた。
北側が南側に侵攻することで始まった朝鮮戦争は、米国を初めとする国連軍が韓国側につく反面、北朝鮮側には中国やソ連がつくことで、米ソ冷戦の中で行われた「唯一の熱戦」としての性格も持つ。日本も米国側の一員として積極的に関わった。
だが、このような国単位の‘大きな理解’の裏で、虐殺という悲しい破壊が庶民を襲っていた。南北の地域を問わず、軍や警察、民間人によって無辜の人々が殺されていった。前述したように、韓国側の統計では約13万人が犠牲となったとされるが、その正確な数値は今も不明なままだ。
こんな数多くの虐殺事件のうち有名なものとして、ノグンリ虐殺事件がある。
1950年7月末、米軍は忠清北道永同(ヨンドン)郡老斤里(ノグンリ)という地域で、150人以上の韓国住民を虐殺した。避難を誘導していたのが一転、飛行機から爆弾を落とし、逃げ惑い橋の下に隠れた住民に、数日間にわたり高所から機関銃で銃撃した。
米軍には攻撃を指示した記録が残っており、1999年にこれを明かしたAP通信の関連報道がピューリッツァー賞を受賞したことで、世界的に知られるようになった。そして2001年1月、クリントン大統領は「遺憾」を表明する。限りなく謝罪に近い遺憾とされたが、紛争地域で大小の虐殺事件を起こしてきた米軍がその責任を認めた、とても異例な出来事だった。
一方で、こうした加害者と被害者が明確ではない虐殺事件も多く起きていた。
南北の地域を双方の軍が行き来したため、例えば北側が占領下に置いていた南側地域で、北側部隊が退却する際に北側に反抗的だった人々を殺し、そこに入ってきた南側部隊は北側に協力的だった人々を殺すといった具合だった。加害者が民間の自警団である場合もあった。
こんな入り組んだ虐殺事件の一つに、1950年10月に北朝鮮の黄海道信川(シンチョン)里で起きたものがある。
北朝鮮側は米軍により3万5千人の住民が虐殺されたとし、博物館を建立し、2014年には金正恩氏が訪問するなど反米意識の源泉の一つとなっている。だが、韓国側の研究では、実際の米軍の配置や関係者との間の整合性に問題が提起されており、結論が出ていない。
ピカソのこの『韓国での虐殺』は、こうした「米軍による虐殺」、特にシンチョンでの出来事を表現したもの、という理解が韓国の一部である。
フランス共産党員でもあったピカソが、米国を批判するためにこの絵を描いたという認識だ。このため、「反共(反共産主義、反北朝鮮)」を国是としていた朴正熙(パクチョンヒ)軍事独裁政権下の60,70年代の韓国で「ピカソ」の名はタブーとなり、クレヨンに名前を付けることも許されなかった。
コメディアンが冗談で「ピカソのような顔」と言っただけで当局の調査対象になるほどだったという証言もあるほど、韓国ではピカソ、そしてこの作品は警戒対象となった。日本で出版されたピカソ作品の図鑑が、韓国語に翻訳された際、『韓国での虐殺』がマジックで黒塗りにされて売られる出来事もあった。
●朝鮮戦争とは何か?
それではピカソは実際にどんな思いでこの作品を描いたのだろうか。前出の徐監督はこう分析する。
この絵の中で、右側の軍人が具体的に米軍や北朝鮮軍など特定の軍を指し示すような描写は何もない。さらに左側の女性と子どもたちも韓国人の顔をしていないし、そもそも東洋人の顔をしているのかも明確でない。
徐監督はさらに、「この作品が書かれた1950年冬(9月から書き始めたとの話がある)には、ノグンリやシンチョンでの虐殺事件は知られていなかった」としつつ、1953年にピカソが行ったインタビューの内容をこう引用する。
(ピカソは)「加害者グループが米軍ではないか」という質問に対し、「私自身は私が戦争を描写する時、それが加害者であろうが被害者であろうが、ある特定の軍隊の軍服や軍帽をかぶった姿を念頭に置いて描いたことはない」と答えている。
その上で、『韓国での虐殺』という作品の意味についてこう説明した。
(ピカソは)「戦争の残虐さというのは、加害者と被害者により起きるものであり、少数の権力者が多数の善良な人々に行う行為こそが、最も非難される残虐性だ。これを表現するためにこの作品を描いた」と述べている。
徐監督はまた、「この展示のメインは『韓国での虐殺』ではないが、この絵が無かったらこの展示を開かなかったかもしれない」とも語っている。そしてその背景についてこう説明した。
「韓国での虐殺」という絵のタイトル自体が、日本の方たちには馴染みが薄いかもしれないし、関心が無いかもしれない。しかし、朝鮮半島の歴史は朝鮮戦争の歴史の中で今も続いている。そしてその朝鮮戦争の歴史が生まれる前には、日帝による占領という35年にわたる日本と韓国との歴史の関係があった。
筆者が今回、6月25日に合わせピカソ展を取材したのは、まさにこうした点、つまり日本にとって朝鮮戦争とは何か考え直してみよう、という所に狙いがあった。
日本の教科書では朝鮮戦争が「朝鮮特需」、つまり朝鮮半島で起きた戦争において、米軍に物資を供給することで日本の景気が上向いたと、いうことで片付けられがちだ。私も過去、群馬県の中学高校でそう習った。
しかしこの「朝鮮特需」の4文字で片付けられる戦争が、朝鮮半島に残した爪痕はこんなにも深かった、ピカソも取り上げるほど深かった、という点を忘れてはならない。
そしてそんな朝鮮戦争は今なお、休戦状態という形で続いている。これを終わらせる努力は今も続いているが、朝鮮半島の平和にとっても、日本の真の平和にとって欠かせない。戦争勃発から71周年となる今年、こんな思いをぜひ、日本の読者と共有したい。
●『ニュースタンスTV』開始のお知らせ
この度、筆者・徐台教が編集長を務めるメディア「ニュースタンス」で、YouTubeでのニュース『ニュースタンスTV』を始めました。今回のニュースも動画で、さらにリアルにご覧いただけます。ぜひご視聴ください。