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バカと利口のちがいはどこにあるのか?

橘玲作家

机の上に、さまざまな表情をしたひとの写真が置かれています。私たちはそれを見た瞬間、「怒っている」「笑っている」「悲しんでいる」とその感情をいい表わすことができます。

文化人類学者は、顔写真から感情を推測するこの実験を、南太平洋やアマゾンの奥地など文明社会と接触のなかったひとたちにも行ないました。すると彼らは、これまで見たことのない白人や黒人の感情を写真だけで私たちと同じように正確にいい当てたのです。

私たちは相手の感情を「直感」で判断しています。直感の特徴は、脳に情報(表情)がインプットされた瞬間に回答(相手の感情)がアウトプットされることです。

顔写真の実験は、直感が文化(経験)によってつくられるのではなく生得的なものであることを明らかにしました。それはヒトの脳(コンピュータ)にあらかじめ組み込まれたOS(オペレーティングシステム)です。ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の創始者ダニエル・カーネマンは、これを「速い思考」と名づけました。

それでは次に、暗算をやってみてください。

17×24=?

正解は408ですが、珠算の経験のあるひとでなければかなり苦労するでしょう。

暗算をしているときの生理的な変化を調べると、筋肉が硬直し、血圧や心拍数が上がるこことがわかっています。これは心理的にも生理的にも負荷が高い不快な状態です。

すぐに答の出る「速い思考」はわかりやすくて快適です(負荷が低い)。しかし私たちは、おうおうにして直感では解くことのできない問題に遭遇します。二桁の掛け算を暗算するには負荷の高い「遅い思考」が必要とされるのです。

私たちは、不愉快な「遅い思考」を無意識のうちに避けようとします。その方法は原理的にふたつしかありません。

(1)「遅い思考」が必要な問題を無視する

(2)あらゆる問題を「速い思考=直感」で解こうとする

理解が難しい問題に直面すると、「そんなことは私の人生になんの関係もない」と問題の存在そのものを否認するのが(1)の態度です。しかしそれよりやっかいなのは、複雑な問題を直感によって解こうとすることです。

「速い思考」は原因と結果を因果論で結びつけ、そのわかりやすさで感情に訴えます。「自分が正しいと感じたことだけが正しい」という狭隘な主張は、ウクライナやタイでも、「朝鮮人を殺せ」と叫ぶ団体がデモをする日本でも見ることができます。

「速い思考」しかできないひとを“バカ”と呼ぶのなら、私たちはみんなバカでしかありません。ひとは日々の出来事のほとんどを直感によって処理しています。生きるということは無数の判断の積み重ねですから、それをいちいち「遅い思考」で考えていては気が狂ってしまいます。

しかしその一方で、文明が発達し社会が複雑化してくると、速い思考だけでは対応できないことが増えてきます。私たちは生活の99%(もしかしたら99.9%)を「速い思考」で済ませていますが、世の中には負荷の高い「遅い思考」を徹底して忌避するひとと、1%(あるいは0・1%)の「遅い思考」ができるひとがいます。

私たちはみんな進化の奴隷ですが、それでも「バカ」と「利口」のちがいはあるという話を、新刊の『バカが多いのには理由がある』(集英社)で書きました。“バカ”にうんざりしているひとはぜひどうぞ。

参考:ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(早川書房)

『週刊プレイボーイ』2014年6月30日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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