乳がんステージIVと闘う亜利弥’「笑って下さい、火事で焼け出されました」〈中篇〉
■放射線治療と仮住まいの入院■
5月初旬に隣家の出火により被災し、亜利弥‘(ありや・44)は約10年間暮らした部屋からの退去を余儀なくされた。
新居探しは難航し、ホテル住まいも1週間を迎える頃、亜利弥’は主治医からひとつの提案を受けた。「放射線治療に取り組んでみないか」というものだった。
「治療の間は入院できる。その手があったか、と。プロレスラーとして現役生活を続けているうちは、体に負担のかかる治療は加えないというポリシーだったけど、ホテル暮らしは経済的にも限界で、背に腹は変えられない。それに、一石二鳥ではないけれど右胸の症状もひどかったので、『放射線治療を受けるので、申し訳ないですがホテル代わりに泊めさせてください』とお願いしました」
4月の引退興行前から、成長したがん細胞が皮膚から顔を出す「花咲き乳がん」の症状に悩まされ、引退試合でも患部からの出血をガーゼで抑えながら闘った。引退後に小休止したかに思えた症状は、被災のストレスが影響したかのように再び悪化し、ガーゼでは止血しきれないほど出血することもたびたびだった。
医師の説明では、放射線治療による止血の可能性は高いという。亜利弥’が固辞していた治療に取り組むことを決めたのは、そんな切迫した理由もあった。
■「生きることはスリリング」と亜利弥‘は言った■
入院に必要な日用品はすべて煙と煤にまみれている。衣料量販店でTシャツと短パンだけを買い、仮住まいの病院暮らしが始まった。
とはいえ、病室にいられた時間は少ない。治療や診察の合い間を縫うように外出し、大量のごみと化した家財道具の処分や新居探し、区役所での手続きに追われたからだ。
最初の入院は2週間。退院後は1ヵ月間、女性限定のシェアハウスに身を寄せながら、やっとのことで賃貸マンションの入居契約にこぎつけた。
「お金はかけられないから」と格安の引っ越し業者に頼み、作業員と2人で引っ越しをすると、落ちつく間もなく再入院。骨転移のある胸椎、頚椎、脛骨の3ヵ所に放射線を照射し、痛みを緩和するためだった。
この間、体調が安定していたわけではない。むしろ、治療の副作用による高熱や股関節の激痛は続いていた。加えて、引っ越しの前には右手首も骨折してしまった。
「毎月、骨を強くする注射は打っているんですけど、やっぱり骨がもろくなっているので、ただ軽く腕を振って歩いていただけで折れてしまったんです。不思議なことに、いざ引っ越しというタイミングで。片手で荷物を運ぶのは大変でしたよ」
亜利弥‘によれば、“不思議なこと”はまだまだ続いたという。
「骨折のあとは左肩も3回脱臼してしまったし、ようやく引っ越しできたと思ったら、今度はお風呂の水が止まらなくなって大修理。そしてお風呂の次はトイレの便座が割れて。もう、ここまで来ると、さすがに『私、なにか持ってるな』と(笑)。言い方は変ですけど、こんなにいろいろなことを一気に経験できるのは私しかいないと思ってしまいますね」
「生きるというのは、本当に……」
思わず口からもれた、こちらのつぶやきにすぐさま呼応し、亜利弥‘は言った。
「スリリングですね。生きることは」
■自分はいつまで「生きる」のか■
「なぜ私だけが不運なのか、不幸が重なるのか」ではなく「こんなに不思議な経験を一気にできるのは私だけ」ととらえる。生きることは「大変、つらい」ではなく「スリリング」ととらえる。その強さはどこから来るのか。
「前向きなことしか考えないようにしているんです」と、亜利弥‘は答えた。
「見方を変えれば、この半年間では良かったこともたくさんありました。火事で被災したけど、その前日には地元の和歌山で好きだった男の子に偶然会えて、幸せなご家庭にも遊びに行かせてもらえたし、家財道具の9割を失ったけど、洗濯機もベッドも買い替えたいと思っていたし。洋服は残っていたとしても太ってしまって着れないから、ちょうどよかった(笑)。それに、3月から新しい病院に変わったけれど、すごくケアが充実しているんです。看護師さんも手厚くて、毎回嬉しくて泣きそうになる。『ひとりじゃないんだな』って」
人には弱さを見せたくない。いつも笑顔でいたい。
それは亜利弥’にとって、身上を超えた決意でもある。
「でも、実際には自分のなかの弱い部分とすごく闘っていて……。まだ、働きたくてもなかなか働きに出られない。そのしんどさには心が負けてしまいそうになるんです」
一昨年、最初の主治医から告げられた余命は「数ヵ月」だった。宣告からすでに2年以上が経つ。自分はいつまで「生きる」のか。
「がんの数値はずっと並行線をたどっていて、今の担当ドクターからはそれほど深刻なことは言われていないんです。もし、あと数ヵ月なら太く短く、楽しく天寿をまっとうしてもいいと思うけれど、たとえば10年生きるのなら、しっかり働かないと生活が成り立たない。でも、熱や吐き気や、原因不明の激痛もあるなかで、働けるんだろうか……。そういうことを考えると、やっぱりしんどいんですよね」
この再会から約2週間後、亜利弥‘から連絡が来た。
「今日は通院をしてきて、正式に余命をドクターに尋ねてみました」とのことだった。
(以下、後篇に続く)