大いなる変革者――いわきFC、J1札幌を撃破
確かに「番狂わせ」だが
福島県リーグ1部のいわきFCが、J1のコンサドーレ札幌を破った。
県1部は、J1、J2、J3、JFL、東北1部、2部の下の「7部リーグ」。カテゴリー的にみれば、「大」がいくつも付く番狂わせである。
とはいえ、僕自身の驚きはそこまで大きなものではなかった。
そもそもいわきFCはJ3の福島ユナイテッドを下して、この大会に出場してきている。対するコンサドーレ札幌は昨季までJ2。今季もJ1で残留を争うポジションにいるチームだ(ちなみに福島県代表決定戦で、いわきFCに敗れたとき、福島ユナイテッドはJ3首位だった)。
つまり、肩書(カテゴリー)を取っ払って考えれば、両者の差は実はそれほど大きくなかったのである。
もちろん「番狂わせ」だったことには異論はない。しかし、この程度の番狂わせは頻繁に起きるのが、少得点競技であるサッカーの常。だから驚きもそれほど大きなものではなかった。(このあたりのことは前にも書いた)
土壇場のドラマ
それにしても劇的な試合だった。
前半は小野伸二を中心にパスワークで攻める札幌と、球際のフィジカルと前への推進力で対抗するいわきのせめぎ合い。
かと言って札幌が「球際」で戦っていなかったわけではなく、ボディコンタクトでもむしろ上回っていた。これまでいわきのゲームは5試合ほど見たが、フィジカルでこれほど苦戦したのは初めて。やはりJ1。そう感じさせるプレーぶりだった。
後半に入ると、その印象はさらに強まる。相手陣内でパスを回し、いわきを完全に押しんで圧倒。あとはゴールネットを揺らすのみ。そんな時間帯がしばらく続いた。
しかし、決められなかった。そればかりか76分、オウンゴールで失点。
そして試合はドラマチックな展開へと進んでいくのである。
まず90分、札幌がヘイスのヘディングで同点に追いつく(90分なのに「まず」である)。
90+4分、フリーキックから金が決め、いわきが勝ち越し(この時点では劇的な決勝弾だと誰もが思った)。
しかし、その直後、再びヘイスが頭で押し込み、同点。
土壇場に3ゴールを、それも両チームが交互に決め合って、勝敗の行方は延長戦に持ち越したのだった。
取って取られて、また取って
勝ったと思って追いつかれ、今度こそ勝ったと思ってまた追いつかれ……。
いわきを主語にすれば、そんなドラマであった。まして「J1相手に」である。
こういう状況でのこうした展開はサッカーではたまに起きる。そして大抵の場合、負ける。格下チームが、あと一歩まで格上チームを追い込みながら、善戦及ばず……そんな文脈で伝えられるベタ記事のニュースである。
しかし――取って取られてまた取って、また取られても……。いわきは勝利をつかみ取ってしまうのである。
延長前半8分(98分)、ペナルティエリア内での仕掛けから相手ハンドを誘発。平岡がPKを決めて勝ち越し。
延長後半10分(115分)、菊池がループで決めてダメ押し。
さらにタイムアップ直前(120分)、小野瀬がもはや祝砲のゴール。
延長だけみれば3対0。120分トータルで5対2。
終わってみれば大勝のスコア差で、J1相手に勝利を飾ったのだった。
11対1
延長に入ってからに限って言えば、いわきが完全に圧倒していた。
98分にPKで勝ち越した。普通、こういう展開になれば、残り時間は「追いかける側」の攻める時間が増える。他方、「リードした側」はどうしても凌ぎ切る立場になりがちだ。多少実力差があってもそうなる。
ところが――追いつかなければならない札幌が延長に入って放ったシュート、わずかに1本。
それに対してリードしているいわき11本。
どんな内容だったか、サッカー通ならこの数字から読み取れるだろう。
とにかく、いわきFCは「走れる」のだ。90分+30分の延長戦に入っても、雨でコンディションのよくないピッチをものともせず、ほとんどその走力に衰えが見えなかった。相手との比較でいえば、むしろ上がったように見えたほどだった。
誤解してほしくないので書き添えるが、それは近年流行の“一生懸命インフレーション”(一生懸命、熱い思いで……と手前味噌的精神論を多用して結果的に価値下落を招いている現象のことです)とは別の話。
最後まで力強く走り切れるフィジカルとフィットネスを、いわきの選手たちが確かに備えていたということである。
フィジカル革命
そんな彼らを見ながら思い出したのはラグビーの「エディ・ジャパン」だ。ワールドカップで南アフリカを破る歴史的番狂わせを演じたあのチームである(ちなみに多得点競技であり、身体接触を伴うラグビーではめったに番狂わせは起きません)。
「日本人の問題は体が小さいことではなく、フィジカルの強さが足りないこと。これまでの日本では適切なS&C(ストレングス&コンディショニング)がされてこなかった」
そう語ったエディ・ジョーンズ監督の下、適切なプログラムを施され、ハードトレーニングを乗り越えた選手たちが、スプリングボクス相手に走り負けず、当たり負けず、倒れてもすぐに起き上がり、ついには走り勝ち……その末に奇跡的勝利をつかんだ事実は、競技の枠を超えて日本スポーツ界が目を向けるべきものだったと思う(ハリルホジッチが口にする「デュエル」も似たようなニュアンスだと思う)。
そんな目線で見れば、延長戦で見せたいわきのパフォーマンスには刮目するものがあった。
とりわけダメ押しとなった4点目。相手に奪われたボールを追いかけて奪い返し、反転。そのまま前へ持ち出し、相手のコンタクトを持ちこたえながら、さらに前へ。
すでに115分走った後だったことも含めて、いわきの真骨頂が発揮されたシーンだったと言えるだろう(最後のパスを受けた菊池がワンタッチで浮かせたシュートも見事だった)。
そして、この場面に限らずこの試合の勝利は、いわきFCが旗印に掲げている「日本のフィジカルスタンダードを変える」という方向性が、エディ・ジョーンズが持ち込んだのと同じように、日本スポーツ界に変革をもたらす可能性を感じさせるものでもあった。
見据える未来
他にも書きたいことはあるのだが、今回はもう一点だけ。この夜、ピッチの外で起きた特筆すべきことを記しておきたい。
実は、この一戦、いわきFCが“自前”でネット中継を行ったのだ。
天皇杯の放映権はNHKが第一優先権を持つ。そのNHKの放送カードは別の試合だった。ならば自前で……というわけである。
300円の課金方式だった。もっとも利益は大したことはないだろう(赤字かもしれない)。そもそもこの一戦での収支など、いわきは気にしていない。
しかし、これは画期的な出来事だった。“事件”と言ってもいい。
Jリーグを例にかいつまんで説明すれば、放映権はリーグが一括管理している。リーグが(代理店をはさんで)販売し、その利益を各クラブに配分する方式だ。
このレベニューシェアは立ち上がり期にはJリーグの成功要因と言われていた。所属する全クラブの経営を安定させる原資となるからだ。いわば“護送船団”である。これが奏功し、フリューゲルス以外、Jリーグは消滅するクラブを一つも出さずに四半世紀を過ごすことができた。
ただし、その一方でビッグクラブが生まれにくい一因という面もあった。もし放映権を(リーグではなく)それぞれのクラブが持てれば、人気クラブは大きな収入を得られるチャンスがあるからだ。
たとえばアメリカプロスポーツでは、クラブや球団が放映権を持ち、ペイテレビを立ち上げ、当然ファンやサポーターの多いチームはその収入で大きな利益を上げ……
説明はこのくらいに留めるが、いわきFCとドーム社(アンダーアーマー)が見据えている未来は明らかである。
つまり、今回のネット中継はその第一歩。もしかしたら歴史的一歩が踏み出された夜となったのだ。
予言的に付け加えるならば、早晩ぶつかるだろう。
すでにサッカー界やスポーツ界にある既存の方式や勢力、あるいは常識と。Jリーグに加盟するときか、あるいはそれよりもっと前か。そして異端児、もしかしたら破壊者として扱われることも十分あり得る。
いずれにしても、近い将来、いわきFCがもたらす衝撃は、この試合の番狂わせなんかよりもずっと大きなものになるはずだ。
変革者としてのポテンシャルの大きさ――それこそが僕がこのクラブに注目する最大の理由でもある。
ずっと先まで
それにしても(本当に)ドラマチックな試合だった。わかりやすく面白い試合でもあった。その上、勝った。
こんな勝利を目にしたいわきの人々――課金のネット中継だけでなく、竣工したばかりの商業施設併設のクラブハウス「いわきFCパーク」でも、この試合はパブリックビューイング(PV)された。そればかりか、いわき駅前のデパート「ラトブ」でもPVが行われた――が、早くも次のゲームを楽しみにしているのが伝わってくるようだ。
前にも書いたが市民のチームへの関心はそもそも高かった。地元メディアも頻繁に、それも大きく取り上げているし、行政も街作りの一端にいわきFCを活用しようとしているからだ。
そこに、このインパクトのある勝利である。故郷のチームへ向かうベクトルはさらに太くて強くなっているに違いない。
しかも、その次戦はいわきで行われる可能性が高い(日本協会が「下位カテゴリーのホーム開催」と発表している)。
もしかすると7月12日は、21世紀の森(グリーンフィールド)周辺は大渋滞になるかもしれない。昨年の旗揚げ初戦、県リーグ2部の開幕戦さえ、渋滞は起きたのだから。
まだ7部リーグ。しかし、ホームタウンにおいてもいわきFCの存在感は、すでに小さくないのである。
【追記 ・原稿掲載後に発表があり、3回戦は清水での開催となりました。】
最後に蛇足ながら。札幌厚別までやってきて、昨晩の勝利を生で観たサポーターたち(ゴール裏とメインスタンド合わせて50人ほどだったと思う)。
寒かった。雨にも濡れた。観戦環境は決してよくなかった。
でも――俺、あのとき、スタンドにいたんだよね。厚別の。
ずっと先まで語り続けられる“自慢話”を手に入れたかもしれない。